ホワイト革命をニーチェ的に生き抜けるか
『ニーチェのふんどし』で著者の藤森かよこ氏が、ホワイト革命についてまとめているところをメモします。
「弱者救済」と「ユートピア構築」を目指す近代思想の究極の姿、なれの果てがホワイト革命だとしたら、臨床家の私は一応それに賛同しないわけにはいかない。
確かに正しい思想であり、理念には共感できる。
ただ、弱者を「そのままでいい」「あなたは正しい」と肯定するだけでなく(それは出発点に過ぎない)、ニーチェのいう「強者」、いわゆる「超人」へ私と共に進んでほしい、その援助をしたいという思いがあります。
超人とは、スーパーマンとか超能力者とか新人類いう意味ではなく、独立自存した人、「価値観乱立の世の中で、自分が生きることを自分なりの意味を探し求め続ける人間」を指します。
著者の超人の表現です。
超人であろうとすること、そう意志して生きることそのものが、動物ではない人間である。 常に古い自分、 矮小な自分、安逸に自足する自分を超えようと志向しなければならない。だから、人間 は、橋だし、一本 のロープなのだ。
アドラー心理学的には劣等感の補償や優越性追求、目的論の在り方と関係するところでしょう。
その辺りが、普通の心優しくリベラルな心理臨床家と私との違いであると、本書を読んで思いました。
私はどうしてもホワイトだらけの社会は不快に感じるので、ホワイト革命に従うことはニーチェのいう「畜群」「末人」になることに思えて仕方がありません。
岡田斗司夫が予測した来るべきホワイト社会は、近代まではヨーロッパ 世界に、近代以後は全世界に広がった道徳的目標「弱者救済」 と、政治的目標「弱者も生きて行けるユートピア構築」 を、ほんとうに実現させるべく人々が動く社会だ。なんとなれば、史上初めてと言っていいほど、社会的不公正を憎み、正義を愛する、繊細で優しい善意の良い人々の数が増えるからだ。環境問題や人権問題にも意識的で、持続可能な世界の構築に協力する人々が増えるからだ。それは、今までの歴史の成果であり、メディアや教育機関 がそのように教えてきたことの成果だ。p158
ところが人々が他者や社会にホワイトさを求め続けた結果、ポリコレ・ヒステリーのネット炎上やキャンセルカルチャー、SDGs、外見至上主義に行きついてしまった。
そんなもので世の中がよくなると考えている彼らは思想的に浅いので、支配者がばらまくホワイトっぽい餌に簡単に騙されてしまう。
コロナ対策に従順な人々は、まさにニーチェのいう末人といえるでしょう。
もしかしたら、国連のSDGsや世界経済フォーラムのグレートリセット、脱炭素社会の構築なんてそうかもしれません。文系の著者は、自分は理系のセンスがないからわからないけれど、これらの環境問題や社会変革運動は、「全体主義であることは確実だと思う」と言っています。
そうでしょうね。
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