アドラー心理学Q&A・5
Q.アドラー心理学は実践の学だが、厳密な学問としては、構成概念としての諸概念がきちんと定義されていない、十分に整理されていないように思われる。
A.劣等感や目的、勇気、共同体感覚などの諸概念は、もちろんいわゆる構成概念であり、何か手に触れられるような「実体」を指し示すものではない。説明のため、実践のために論理的に一貫して使えればよいと考えるものである。
一方で、私は単なる構成概念であることを常に意識しているつもりだが、実践していく上には諸概念があたかも実体であるかのような実感、臨場感を持つことは必要であろう。
そこでは「勇気がある/ない」「共同体感覚がある/ない」と言い合っても、あながち間違ってはいないと思う。
数学者にはそれよりはるかに抽象度の高い数学的概念を、臨場感を持ってありありと感じる人がいる、例えば「虚数は存在する」などととまで言う人もいるらしい。それくらいでないと本物ではないのかもしれない。それに比べれば臨床心理なんてかわいいものだ。
アドラー心理学の構成概念のほとんどは、操作的に定義されていないのも事実で、その点ではオーソドックスな研究者には問題に見えるかもしれない。
ただ、私から見ると他の心理臨床学の学派に比べて、ことさらアドラー心理学の概念が曖昧であるようには見えない。自我やリビドー、転移、無意識などの精神分析学の概念よりよほどクリアーだし、共感や愛着、トラウマより扱いやすくできていると思う。
さらに目的論や主体性、人間関係論、認知論といったアドラー心理学の諸前提が、一種の公理となって緊密に結び付き合っていて、ほとんど矛盾のない理論体系を作り上げている。
その完成度が高すぎて、アドラー心理学はかえって外からは進歩がないように見える、あるいはブラックボックスみたいで近寄りがたいという印象を与えているような気がしてならない。
逆に精神分析学は曖昧で矛盾が多すぎて、それを歴代の研究者が処理することが「学問的進歩」とされてきた歴史ではないか、とも感じる。
アドラー心理学の諸概念が操作的に定義できるかどうかは疑問だが、例えばアメリカには共同体感覚を測定する質問紙も開発されているようで、そういうところではそういう試みがなされているのかもしれない。調べてみたい。
私としては、いわゆるアカデミックな厳密な研究のパラダイムに乗らないところ、必ずしもエビデンス・ベースドにはできないところも、しっかりと思考と実践の対象にしようとしているのがアドラー心理学であると考えたい。
人は数値やエビデンスのみでは動かない。エピソードによって動くのだ。


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