February 24, 2017

『カウンセリングテクニック入門』

 いい加減ドラマから離れて、通常モード(?)に戻ります。
 
 カウンセリングを学んでいる方、既にやっている方にとって非常に良いテキストです。
 
 
 ここのところ私は大谷ファンでして、ワークショップに参加したり、著書を読んだりしてきました。
 
 本書は2004年に出たもので、専門家からの高い評判は聞いていたのですが、私はこの流れでやっと手にして、やはり、「さすが」と感心しました。
 
 主に認知行動理論にのっとってカウンセリングの過程、主要技術が事例を入れて丁寧に解説されていますが、ほとんどすべての主要学派、アプローチにも言及していて、目配せが効いています。
 
 アドラー心理学にもきちんと言及していて、リフレーミングとライフスタイル・アセスメントをアドラー心理学の技法として紹介しています。アドラーの名も6か所で出しています。その辺はきちんとしておられる。アメリカでの臨床心理学で、アドラー心理学が一定の位置を占めていることを表しているのでしょうか。
 
 本書の流れは、
 
 クライエントの観察技法
 傾聴技法
 活動技法
 傾聴・活動技法以外のカウンセリング技法
 クライエントの問題を定義づける技法
 目標を設定する技法
 抵抗とその対応技法
 
 などです。
 
 本書には、先生がアメリカの大学院で教えていることをそのまま伝えようという意気込みがあり、実際後半の章には、アメリカの大学院のカウンセリング技法訓練の様子が詳しく説明されています。これだけでも関係者には参考になるんじゃないでしょうか。
 
 私も原点回帰じゃないけど、大谷先生からなら改めて基礎を学びたいなと思いました。
 

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February 22, 2017

共同体感覚の使い方

 遅ればせながら先週のドラマ『嫌われる勇気』を観ましたが、こちらも慣れたのもありますが、全体になじみやすい感じで、これなら多くの人が受け入れやすいんじゃないかと思いました。やはり色恋っぽいのが入ると、これまでの堅い感じから俄然雰囲気が変わりますね。
 
 私も庵堂蘭子みたいなツンデレ女子が好きです。
 
 ドラマの完成は日本アドラー心理学会の抗議の前だろうから、こういう流れのつもりだったんでしょう。やはり早まったんじゃないかな。まあ、気に入らない人は最後まで気に入らないでしょうけど。
 
 フジテレビは「このままいく」と決めたみたいだから、それでいいと思います。一応「参考にします」とはして、何らかの「色」を付けるかもしれませんが。岸見先生たちと対応を話し合ったのだろうか。
 
 ちなみに、先日なんとある週刊誌からこの件について私に取材依頼がありましたよ。ただ、最近はいろいろなニュースがあるので、紙面構成が変わったとかで流れましたが。ちょっとホッとした。世間はいくらか注目しているのですね。
 
 共同体感覚は、私の理解では、相手と関わる時の「作業仮説」みたいなもので、これを使うことで相手と仲良くなったり、信頼関係を築いたり、援助しやすくなるためのもの、相手からするとこれをきっかけに成長するためのものであり、けして他者を判定したり責めるためのものではありません。
 そもそもそれができるだけのきっちりした概念ではないのです。
 
 わたしが、庵堂蘭子に共同体感覚はあるか、で軽く示したように、ちょっと考えても全く違うアドラー心理学的解釈ができるのだから、共同体感覚を批判の根拠にしたとしたなら脆弱そのものです。
 
 だから、気に入らない人たちは内輪で文句を言い合っているか、SNSで「いかがなものか」と騒いでいればよかったのですよ。発言はもちろん自由ですから。私もそのつもりで好きなことを言っています。
 
 

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February 20, 2017

日本臨床・教育アドラー心理学研究会第7回大会間近!

 アドラー心理学がいろいろな意味で注目を集めている今、改めて学び合う貴重な機会です。もう今週末に迫ってきました。
 
 今回は諸富祥彦先生によるフランクル心理学とアドラー心理学の講演があり、ある意味原点回帰的な内容になるかもしれません。先生の講義は抜群に面白いと思います。
 
 当日いきなり来ていただいても大丈夫だと思いますが、ランチセッションの注文の関係もあるので、できれば事前申し込みをお願いします。
 
 会場で会いましょう。
 
(コクチーズから引用)
 
「日本臨床・教育アドラー心理学研究会」は春に研究会、秋に研修会を開催し、今回で研究会は6年目を迎えました。
 午前は、明治大学の諸富先生からアドラーとフランクルの幸福論についてご講演をいただきます。昼食を摂りながらの懇親会をはさんで、小学校の教育現場から岩下先生による実践的研究をうかがい、続いて、産業の現場から上谷先生によるアドラー心理学の実践を発表していただきます。盛りだくさんのアドラーの一日をお楽しみください。
                 鈴木義也(東洋学園大学)
                 会沢信彦(文教大学)
                 深沢孝之(心理臨床オフィス・ルーエ)



1.日 時
  2017年2月26日(日) 10:00~16:00

2.場 所
  文教大学越谷校舎 12号館1階 12101教室
           学生食堂2階(ランチセッション)
           (東武スカイツリーライン「北越谷」駅下車徒歩12分)

3.参加費
  予約参加(2/19(日)まで、こくちーずまたはFAXによる申込) 4,000円
  当日参加(2/20(月)以降の申込および当日) 5,000円
   いずれも当日会場で支払。ランチセッションの昼食代も含みます。途中参加や早退可能。

4.内 容
  10:00  開会挨拶
         講演「アドラー心理学とフランクル心理学にみる幸福の極意」
         (明治大学教授 諸富祥彦 氏)
  12:00  ランチセッション(昼食を取りながらの懇親会。昼食代は参加費に含まれます。)        
  13:30  研究報告「アドラー心理学との出会い──勇気づけで変わった子どもたちとの関わり」
         (山梨県甲州市立松里小学校 岩下和子 氏)
  14:40  事例検討「アドラー心理学を産業保健の現場で活かす
                 ──『患者』ではなく『社員』との関わりにおいて」
         (ヒューマンハピネス株式会社代表取締役、
                    千葉大学非常勤講師、医学博士 上谷実礼 氏)
  16:00  閉会

5.参加資格
  教育あるいは対人援助に携わる専門職の方、もしくはその分野の学生。

6.申込方法
  このサイトからお申込みください。
  FAXでの申込みも受け付けます。
  申込専用FAX 03-5256-0538
  当日参加も可能です。

7.問合先
  文教大学教育学部心理教育課程 会沢 信彦
  〒343-8511 埼玉県越谷市南荻島3337
  TEL 048-974-8811  FAX 048-974-8877
  E-mail aizawa@koshigaya.bunkyo.ac.jp 
  日本臨床・教育アドラー心理学研究会HP  http://adlerian.jimdo.com
  ※ 学校心理士の方は更新ポイントB研修会(B-16-193)となります

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February 18, 2017

どんなキャラならいいかな?

 ドラマ『嫌われる勇気』(フジテレビ)の庵堂蘭子は、そのぶっきらぼうなキャラで大分損をしているような気がします。
 
 今回日本アドラー心理学会が下らない抗議をしているようですが、あのキャラでなければどうだったのかという気がしています。
 
 真面目で融通が利かず、こだわりが強く、字義通りに物事をとらえ、世間一般でいう意味のスムーズな対人関係に気を遣わず、空気を読まない。
 
 もう診断がつきそうですね。
 
 ここでごまかしてもしょうがないから、彼女は自閉スペクトラム症の諸特徴を持つ人といって差し支えないでしょう。
 
 私は元々テレビドラマはあまり見ないし、作劇のことは全然知らないので、印象でしかありませんが、最近のドラマの主人公にはこのタイプの人が増えている気がするけどどうでしょうか。
 最近のそういうタイプというと『逃げ恥じ』の星野源が演じた津崎平匡さんでしょうね。
 もし庵堂蘭子みたいじゃなくて彼だったら、「かわいい!」とうるさ型のおばさんアドレリアンたちも手を緩めたかもしれません。
 
 あるいは『ガリレオ』の福山雅治が演じた湯川学博士(だっけ?)だったら、学会の全面的なバックアップがあったかも。
 
 登場人物の構成についていうと、原作の『嫌われる勇気』は終始、哲人と青年の対話でした。二者関係ですね。
 
 実は、他のアドラー心理学本も、ストーリー仕立てにしているもの、マンガになっているものはほとんどが基本は二者関係です。いろいろな壁にぶち当たって悩む主人公が、なぜかアドラー心理学にやたら詳しい人(アドラーの霊はもちろん詳しいですが、塾経営者だったり、大学教授だったり、喫茶店のマスターだったりします)から教えを授けられて成長する話になっています。もちろんほかにも登場人物がいても、あくまで主人公に課題を与えるだけの副次的な存在です。
 日本のアドラー心理学初期に出た野田先生の『トーキングセミナー』(最近再版された)も先生本人と編集者の対話型でした。理論や知識を伝えるにはやりやすい構成なんでしょう。
 
 しかし、この形式は学習漫画とか自己啓発書だと成り立ちますが、ドラマだと動きがなくなってしまい、ひどく退屈なものになるかもしれません。
 きっと文部科学省辺りから出る教材ビデオみたいに、くそおもしろくないものになってしまうでしょうね。 
 
 そこで、制作陣は、「アドラー心理学の達人」を庵堂蘭子と十文字教授に分裂させて、アドラー心理学そのものをキャラクター化させたのが庵堂蘭子、その説明役を十文字教授とし、過去に何らかの関係性があったことをにおわせる謎も与えて、青山年雄(加藤シゲアキ)との3者関係にして、物語を動かそうとしたのかもしれません。私の勝手な思い込みですが。
 
 数学の三体問題じゃないですが、3つ組の構造は物語に限らず、何事も物事が動き出す基本と聞いたことがあります。
 
 なかなか苦労や工夫の跡が見られます。

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February 15, 2017

庵堂蘭子に共同体感覚はあるか

 前記事は、ちょっとカッコつけて論文調にしてみました。けっこういいこと言っていると思うんだけどな。
 
 私は別に日本アドラー心理学会にケンカを売っているわけではないですよ。抗議文も全然関心ないから読んでいないし。論争する気もない。
 ただ、自分が楽しんでいたところへ、とんでもない邪魔をされてムカついているだけです。しかも広い意味でのアドラー仲間にやられるとはね(確かに仲が良いとは言えないけど)。余計頭にくるし、残念です。
 
 それにしても、ドラマ『嫌われる勇気』に庵堂蘭子という架空の人物が登場したことによって、「あれはアドラー心理学か」「正しいアドラー心理学か」という議論が気軽にできるようになったのはよいことです。
 
 実在の人物に対してそれをしたら、単なる人格攻撃、誹謗中傷にしかならず、ひどい勇気くじきになってしまいますからね。そういうことをする人は「偽アドラー」と呼ばれるべきだよね。
 ここは「認知論」のトレーニングとしてこの教材を使おう
 
 ネットを見ると庵堂蘭子は、「アドラー心理学の思想とかけ離れている!」という声が散見されました。言っているのはどういう人かよくわからないけど、熱心に学んでいる人、「信者」っぽい感じではありました。
 
 そのアドラー心理学の思想って、「共同体感覚」のことみたいです。庵堂蘭子の行動をあれこれコメントしているようです。多分日本アドラー心理学会に限らず、私に近い人たちも同様の感想をいだいた人はいるんじゃないかな。
 
 でも私には、庵堂蘭子にそれがないとは全然思えないけど。
 
 果たして、庵堂蘭子は、共同体感覚が欠けていると判定していいのか。
 ナチュラル・ボーン・アドラーということですから、これは重大な問題ですね。
 でもこれに決着をつけるのはそう簡単な話じゃないと思います。
 
「共同体感覚とは何か」、そして、「人は他者の共同体感覚を判定できるのか?」という根源的問題になるからです。
 
 確かに、彼女が100%共同体感覚を体現しているか、と問われるとそうではないでしょう。でもそれは誰でもそうなはずです。
 
 そもそも共同体感覚がある状態って何だ?という疑問がわいてきて、あんな多義的な概念、誰も共通のイメージができていないじゃないのか。それをどうして「共同体感覚が欠けている」と言えるのだろうか。
 
 共同体感覚のよくある表現は「他者の関心に対する関心」であり「共同体への所属感、貢献感などなど(論者によっていくつかあります)の総称」といったところですが、あくまでその人の主観世界のことです。だから、原理的に客観的に判定できるわけがない。
 
 だからドラマのキャラクターを見て、判断できるわけはない。
 でも、みんな勝手にやっているわけだ。
 それで勝手に怒ってクレームつけている人がいるわけだ。
 
 でもそこを批判してもしょうがないし、面白そうだから、私もちょっと考えてみよう。
 
 共同体感覚は主観世界の現象である。つまりその人がどう思っているかが、最も重要なはずである。
 
 しかし主観世界は見えないので、外から観察するしかないけど、庵堂蘭子は無表情なのでわからん(笑)。
 
 そこで、客観的に判定できるものとして「共同体感覚尺度」というものがあります!
 和光大学の高坂先生や友人の橋口先生や早稲田大学の向後先生のお弟子さんが作ってくれた、統計学的に妥当性が確認された立派なものがあるのです。 もしこれを庵堂蘭子がやってくれたとしたら…
 
 例えば、いつも自信満々だから「自己受容」は高いだろう。職場である警察にちゃんと通っているし、反社会的な価値観も特にないみたいだから「所属感」もそこそこありそうだ。天才的な直観力とアドラー心理学で鍛えた思考力で見事に事件を解決し犯人を逮捕するから「貢献感」だって無表情だけど別に謙遜していないからあるだろう。合計すると…
 
「共同体感覚は高い」という結果になるのでないか。
 
 つまり、庵堂蘭子は共同体感覚が高い。
 
 本来、これで終わりでいいはずだ。ご本人の反応を尊重して。
 
 あと何か文句があるとしたら、細かいところの彼女の行動だろうか。
 
 よくわからないけど、そこに日本アドラー心理学会はいちゃもんをつけて、他のアドラー仲間たちも不満で、「欠けている」と言っているのかもしれない。職場での非協力的態度や愛想のないぶっきらぼうな姿勢を責めているのだろうか。
 しかし、それは共同体感覚なんて大げさな言葉でなくて、協調性(日本人的な)が少々足りない、ぐらいでいいのではないか。実際彼女は対人関係を避けているわけではない。捜査会議にも出ているし、必要なら鑑識に自ら頼みに行くし、こういうの対人関係に入る勇気があるって言うんじゃなかったっけ。
 
 最後に私は臨床家として、庵堂蘭子の内面にアプローチし、推測してみたい。
 
 さっきの共同体感覚尺度は科学主義、客観主義であるが、ここでは構成主義である。つまり相手と二人での対話で協同することにより、共同体感覚が現象するように関わるのだ。ただ、残念ながら庵堂蘭子と面談できないので、その前の段階として、こちらの姿勢を明確にしておくことで推測の土台を作る。
 
 その際必要なのは「共同体感覚があるかないか」「欠けているか」ではなくて、「この人は共同体感覚がどのくらいあるか」「どこでどのように発揮されているか」という問いであろう。
 
 これは仕事がら、非行少年や犯罪者、依存症者、精神障害者、発達障害者にたくさん接し、援助してきた経験から私が日ごろ思っていることだ。
 
「この人は共同体感覚がある!」とまず決め打ちするのだ。
 
 そしてどのようにそれが発揮されているか、強いところは、弱いところはどこかを観察し、推測し、クライエントへ向かい合うのである。
 
 庵堂蘭子は、先にも言ったように、警察組織に所属し、職務分掌の中で仲間と協力し合い、犯罪捜査の使命を立派に果たしている。係長と違って特に出世欲が感じられず、自分の関心で動くことは少なそうだ。
 
 確かにコンビの加藤シゲアキ演じる青山年雄君を無視する行動をよくとっているが、目先の人間関係より組織の目標、使命を果たすことにエネルギーを注いでいるように見える。彼女の関心はより広いところにあるといえる。一般に共同体感覚は広がっていく。彼女のそれは少なくとも日本社会レベルにはあると推測される。
 そして課題の分離や目的論に沿って犯人の心理をバサッと切っていて、伝え方は個性的だがその判断自体は的確で、相手の関心に関心がなければできることではない。
 
 したがって結論としては、「なかなかいいんじゃない。共同体感覚、あるよ君」というところだろう。
 
 そして庵堂蘭子への支援のポイントとしては、
「職場の仲間と、交友のタスクとして、もっとうまく関わろうか」という提案だろうか。
 
 まあ、彼女は、
「けっこうです」
 と言うだろうけど。
 
 という感じです。どうですか。
 こちらの視点や姿勢を変えるとまるで解釈が違ってきますね。
 
 結局ネットやみんなの反応を見る限り、「私の好みの共同体感覚」から批判しているだけの気がする。ここが「正しく実践」の人たちの陥穽ではないかと今回思いました。自分のやり方に関心があるので、ちゃんと見ていないし、考えていない。
 
 ここはアドラーの言う「相手の目で見、相手の耳で聴き・・・」の言葉を思い出そう。たとえテレビドラマでも油断しちゃダメだぞ。
 
 こう考えると、共同体感覚の有無を批判、抗議の根拠にするのは薄弱極まりないわけです。
 アドラー仲間の友人として言いたくなるのは、やっぱり日本アドラー心理学会は間違ったんじゃないかな。謝るなら今のうちだよ。
 
 ほら、勇気を出して。

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February 14, 2017

庵堂蘭子は正しいアドレリアンである

 柔道家・木村政彦のことでも書こうと思ってたら、思わぬ日本アドラー心理学会のドラマ『嫌われる勇気』への抗議のニュースで、ネタが次々に浮かんできてしまった。黙っていると体に悪いので、すっきりするために書いておこう。
 雑駁なものだから、よい子のアドレリアンの皆さん、あまり真に受けないように。
 
 それにしても、ドラマなんだから笑いながら突っ込んでいればいいのに、毎週楽しんでいる身にとって日本アドラー心理学会は迷惑なことをしてくれたものだ。
 
 といっても抗議の内容や学会内部のことは私には関係ないし関心もない。勝手にやっていればいい。頭のいい彼らのことだから、きっと何か意味があるのだろう。社会のお役に立てればいいね。
 ただ、これに触発されて、私の視点から、このドラマをどう受け止めて楽しめばいいか、遊びのつもりで考えてみよう。
 
 日本国民の皆さん、あの程度で怒るアドレリアンばかりではないのだよ。
 
 私から見ると、庵堂蘭子は「正しく」「厳密に」アドラー心理学を実践しようとしているのは間違いない。どのような場面でも、相手が誰であっても、アドラー心理学の理論、思想、技法を忠実に実践しきろうとしている。まさに字義通り、理論通りに言葉を発していく。そしたらあんな感じになってもおかしくない。
 その結果が、周りの人たちの戸惑いだ。
 
 しかし、アドラー心理学の威力、実践力によって次々に問題を見切り、解決していく。素晴らしい。
 
 つまり彼女は、文字通りのアドラー心理学原理主義者なのだ(ちなみに私はいうなれば、折衷主義者、もっというとアドラー心理学ベースの心理臨床学統合主義者という自己認識)。
 
「そんなことはない!」「アドラー心理学とかけ離れている!」「あんなことは私はしない!」「あそこはこうすべきだ!」という真面目なアドレリアン諸氏もいるかもしれない。
 
 もっともである。私もあんな風には振る舞わない。でも、それはアドラー心理学の部分ではないかもしれない。あなたの「ライフスタイル」の可能性大である。あなたの自己イメージや他者イメージ、自己理想が作り出す、いつもの対人関係パターンだ。
 あるいはあなたのいる時代、空間の要請、価値観をあなたがいくらか受け入れた行動様式もあるだろう。そうしなければあなたは、集団のつまはじきだ。
 
 そして、「ナチュラル・ボーン・アドラー」という言葉に釣られて、勝手にあなたの「理想のアドレリアン」を投影したのに、庵堂蘭子のあまりの違いに怒りを感じたのだ。
 
 アドラー心理学に類似性の高い対人関係療法では、怒りは相手に対する「役割期待」が満たされない時に生じるという。「正しいアドレリアンはこうするべきだ」という行動を、こともあろうに影響力のあるテレビドラマで演じてくれなかったことに対して、イライラや、怒りを感じたのだろう。
 
 ナチュラル・ボーン・アドラーとは、アドラー心理学だけでできているロボットである。真面目なアドレリアンが戸惑うのは、AIの打つ手に戸惑う名人棋士みたいなものだ。
 
 だから、正しい考え方は、
「あんなのアドラーじゃない!」ではなくて、
 
「あそこに私がいる!」である。
 
 あなたは庵堂蘭子なのだ。
 
 アドラー心理学を学んだ以上、間違いなくその要素が入っているはずだ。
 庵堂蘭子と同じく、周りの人に戸惑いや怒りをわき起こさせたことがあったかもしれない。原理主義者に近いほど、そうだったはずだ。
 
 そう考えると今回の日本アドラー心理学会の反応は、自分の姿に直面した時に生じる「認識反射」とも考えられる。いや同意していないから、精神分析学でいう「治療抵抗」か。
 
 まあ、それは極論かもしれないが、庵堂蘭子が純粋アドレリアンであることはわかっていただけるかもしれない。
 
「確かに庵堂蘭子は理論や技法は愚直なまでに実践しようとしているかもしれない、でもアドラー心理学の最重要思想「共同体感覚」はどうか、彼女は共同体感覚に欠けているのではないか」、そう問う人もいるかもしれない。
 
 それについては、他の機会に考えてみたい。ただ以前、がんばれ!「嫌われる勇気」でも書いた通り、別に問題にするべきレベルとは私には思えない。一般社会人レベルであろう。共同体感覚は定義が多義的で、内容に限界はないので判定できないからである。
 
 こう考えることができれば、抗議どころか共感が湧いてくるに違いない。
 

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February 13, 2017

がんばれ!「嫌われる勇気」2

 日曜日に録画してた『嫌われる勇気』(フジテレビ)を観ました。
 続けて観てきて庵堂蘭子の毒気にも慣れてきたのか、これまで以上に違和感少なかったですね。
 
 これはこれでいいんじゃないですか。
 アドラー心理学を字義通り、理論通りに体現した姿をカリカチュアライズ(戯画化)すると、あんな感じはありですよ。つまり「正しく」アドラー心理学を実践しているともいえるわけで。
 
 アドラー仲間の臨床心理士、橋口さんは今回初めて観たらしいけど、やはり「あり」と感じたようです。
 
 彼も長年いろいろな先生からアドラー心理学を学んでいて、小学生版共同体感覚尺度も開発したなかなか優秀な人です。
 
 庵堂蘭子はこのままいった方がいいと思う。
 放映中止は論外、脚本の見直しもしない方がいい。
 途中でキャラを変えたら変なことになる。
 
 大体、「嫌われる勇気」を体現している人が、みんなから好かれる、納得される方がおかしい。この設定でいいのだ。
 
 ここは「嫌われる勇気」を発揮してほしい。
 大体、日本アドラー心理学会に嫌われて存在まで否定されるなんて、最高のアドレリアンだよ。
 
 この機会にフジテレビや制作陣、マスコミ並びに全国民に知ってほしいことがあります!
 
 日本のアドラー心理学はけして一枚岩ではないということです。
 日本アドラー心理学会が代表しているわけでもないし、よくいえば多様性がある、悪くいえばバラバラに分裂している状態なのですよ。
 
 だから気にすることはない。
 
 今回、ドラマ『嫌われる勇気』はアドラー心理学について語る時に、とてもいい教材だということがわかりました。これは抹殺していけない。私もいろんなアイデアが浮かびましたが、今回はここまで。
 あっ、日本アドラー心理学会さん、振り上げた拳を下すなら早めがいいですよ。

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February 11, 2017

がんばれ!「嫌われる勇気」

 なんとフジテレビ「嫌われる勇気」に日本アドラー心理学会がいちゃもんをつけたようです。
 
 
 何考えてんだか。
 
 真面目なアドレリアンほど明確に否定する「嫌われる勇気」と、以前書いた通りになってますね。
 
 あっ、私は昔々会員だったけど今は違うので、関係ありませんよ。
 私は香里奈さんを応援してます。
 
「正統派」の諸君、庵堂蘭子共々私を「偽アドラー」と呼ぶなら呼べ。
 
 それでも日本アドラー心理学会には、古い知り合いや好感を持っていた人もいたので、こんなことをするとは残念です。
 
 
 原作者の岸見先生と古賀さんはもちろん、制作陣を信頼、応援しています。
 
 
 ニュースによると抗議文には
 具体的には、“ナチュラルボーンアドラー”という設定のドラマの主人公が、「私はただ、感じたことを口にしているだけ」などと言っていることを問題視しており、アドラーの教えである「『他者の幸福のため』に自分がすべきことをする」という部分が「欠落している」と主張。同局に、放映中止か、脚本の大幅な見直しを求めている。
 だそうです。
 
 本当にそう見ていいのか。
 庵堂蘭子は、他者の幸福のために自分のすべきことをしていない、と言っていいのか。
 
 大きな枠組みの中では警察組織の中で、ちゃんと仕事しているじゃないか。つまり、協力ができている。犯人を捕まえているから、社会貢献している。
 
 まあ、前も書いたけど外から見たアドレリアンなんて、あんなふうに見えなくもないし。
 特にアスペっぽいアドレリアンなら、余計あんな感じになりそうだし。あの辺りにいそうだなあ、と思うんだよね。
 
 勇気づけが足りないとは思うけど、確か、勇気づけは褒めることやおべんちゃらと違うよね。勇気づけられたかどうかは相手次第だよね。
 つまりこの場合は、加藤君や犯人かな。彼女だけ見てはダメです。全体論、人間関係論を勉強し直そう。実際彼は庵堂蘭子によって変わりつつあるのだから、勇気づけられているのだろう。
 
 結局、古賀さんの言う「カリカチュアライズ(戯画化)されたキャラクター」の表現や造形の仕方が気に入らないか、理解できないということだろう。
 理想のアドレリアン(というその人の私的論理)から引き算して批判するのは、正しいのか?
 それを放送中止を要請するとはねえ。お得意の関西風味の突込みで楽しく批評(批判ではなくて)してほしかったな。
 
 私は庵堂蘭子を、「課題の分離」スペシャリストのアドレリアンと解しています。実は専門、得意分野がアドレリアンそれぞれにあるんですね。私はカウンセリング・スペシャリストを目指すアドレリアンです。だから、「これはあなたの課題であって、私の課題ではありません」なんて言わないですよ、けして。当たり前じゃないか。
 もちろんカウンセリング以外に実践しないというわけではないよ。大分適当だけど。
 
 だから、あれはあれでありだと思う。実際にいたら尊敬します。私、嫌われる勇気ないので。
 
 というわけで私はその抗議、明確に否定します(笑)。
 

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February 09, 2017

『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』の概略をつかむ

 分厚い本や長編小説を読むと、終わりが近づいてくるとなんだか寂しい気持ちがするものです。早く読み終わりたいような、少しペースを落としてじっくりと味わいたいような気持で揺れることがあります。
 若い頃はエンターテイメントを含めてけっこう長編を読んだものですが、最近は短くてわかりやすいものやお手軽な本を手にすることが増えました。ご時勢も年齢も影響しているのでしょう。
 
 増田俊也『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』(新潮社)は、まさにそれ自体で「自立」するほど分厚い本でしたが、そういう読書体験でした。古今無双、明治、大正から現在まで含めても最強といわれる柔道家にして、力動山戦で謎の屈辱の敗北を味わった木村政彦の生涯を通して、昭和という時代を味わった感がありました。
 
 でも面白いからと知り合いに進めても、やはり厚い、長いで敬遠されることが多いことがわかりました。
 
 そこで書評サイトで本書をよくまとめたところがありましたので、リンクします。それでも少々分量あるけど。
 
 
 興味を持ったら、読んでみてください。
 

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February 08, 2017

「君の名は。」の心理構造

 昨年大ヒットの「君の名は。」は、どうして複雑な物語なのにあんなに面白いのか。
 
 そういえば、本ブログで私も観たことを報告していませんでしたが、実は昨年秋に評判を聞いて観に行っていて、大変感心、感動しました。ただ、完全に理解するには、物語の構造が複雑なので1回だけでは十分ではないと感じていました。
「君の名は。」をどう理解するか。
 
 
 新海誠監督は相当スピリチュアル文化や宗教的な精神性に関心がある人みたいですから、そちらの世界の人の解釈は参考になります。 
 
 その他の一般的な学術的な範囲にいる人たちがどう解釈しているか知りたかったのですが、あまりその分野は詳しくないのでわかりませんでした。
 そしたらなかなか興味深いサイト記事を見つけました。
 
 
 サイト主は、リバータリアン心理学研究所というのをやっている心理学者で、評論家、思想家の副島隆彦先生の弟子筋の人でもあるようです。そうすると政治思想的には私も近いことになります。親近感がわきます。
 リンクしますので、関心のある方はご覧ください。
 
 父性と母性、解離性障害、自我同一性、退行催眠などがキーワード。
 
 とても面白いですね。
 
 ただ、精神分析学もそうだけどこういうものに対する心理学的な分析は、ある理論の網にかけただけで、それが作品の力やメッセージを理解していることになっているかというと難しいところがあります。
 
 普通の知識人は受け入れらなくても、作品(新海監督)の独自の世界自体(神道とか意識の変容体験とか)を楽しむ以外にない気がします。
 私は古神道に関心があるので、そういう場面や、最後の方の意識のトリップ場面が印象的でした。
 
 

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