March 28, 2017

木村政彦と合気道2

 前記事、前々記事から続いて『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』(増田俊也、新潮社)から、木村政彦の強さの背景を探ります。
 
 木村政彦は阿部謙四郎という合気道家でもある柔道家との敗戦をバネに飛躍しましたが、阿部が合気道を身につけていたとは知らなかったようです。
 
 しかし、木村の側に超有名な合気道家がいました。
 
 後の養神館館長、塩田剛三です。
 
 木村と塩田は拓殖大の同期生で、大親友でした。まさに実戦合気道の代表格、木村と仲良しなのもうなづけます。
 
 驚くべきは、身長170センチ、85キロ、驚異の腕力を持つ木村に、身長154センチ、47キロの塩田がなんと腕相撲で圧倒したことです。それは木村も認め、方々で話していました。
 
 常識的にはありえない現象ですが、私を含め武道マニアには有名な話です。
 
 著者の増田氏は自ら北海道大学で柔道(寝技重視の高専柔道の系列)を鍛錬し、職業柄たくさんの格闘技に精通しているので、このエピソードに戸惑いながらも、率直に著わしています。
(引用開始)
 柔道や空手、総合格闘技の書籍を書く場合、合気道に触れることはある意味タブーでもある。目の肥えた読者の失笑を買いかねない。
 だが、阿部謙四郎が植芝盛平に組み伏せられたことも、木村政彦がその阿部に試合で弄ばれたことも、そして木村が腕相撲で塩田剛三に敗れたこともすべて事実なのだ。
 もう一つ、合気道には離れた間合いで相手をコントロールする技術があるからこそ嘉納治五郎は「これぞ理想の武道」と非常に興味を持ち、富木謙治らに「技術を学んでこい」と言って植芝の内弟子として送り込んでいるのだ。簡単に切り捨てていいものではあるまい。実際に木村政彦と塩田剛三の同期の空手部員で当時「拓大三羽烏」といわれた空手家が「柔道や合気道など大したことない」と吹聴することに頭にきた塩田が体育館で喧嘩し、これを一蹴していることも木村×塩田の対談で明らかになっている。
(引用終わり)
 そして、「とにかく木村は阿部と塩田を通して植芝盛平という巨人の影と戦っていたのは間違いない」としています。
 
 実際に木村が塩田を通して合気道にどのような影響を受けたのかは不明ですが、二人は飲んだり遊んだりしながら、何らかの示唆を与えあったことがあったかもしれません。
 
 この二人の交友は終生続き、木村が力動山戦のまさかの敗北により地位も名声も失い、、失意のどん底に苦しみ続けた後々まで、塩田は友を心配し声をかけ続けたそうです。
(引用開始)
 拓大同期で親友だった塩田剛三(合気道養神館)も木村のことをずっと気にかけていた。
 戦前はもちろん木村政彦の方が圧倒的にネームバリューがあったが、戦後、合気道ブームがやってきて「不世出の達人」として武道界で地位を確立し、大山と同じく、忘れ去られていく木村の名声をいつしか逆転してしまっていた。
 だが、養神館の何らかの写真を見ると、そこに、よく老年になった木村が写っているのを見つけることができる。
 何か行事があれば必ず呼んで木村を弟子たちに紹介し、いかに強い柔道家だったかを弟子たちに繰り返し話した。
 塩田は木村をかばい続けた。
「木村政彦って男は本当にたいしたもんだよ。拓大もすごい男を出したもんだ。木村のような武の真髄を極めた男をだした大学は拓大以外にない。拓大はもっと誇りを感じるべきだな」
 若い頃から共に過ごしてきた男だからこそ、木村の気持ちがよく分かったのだ。
(引用終わり)
 武道家の鏡となるエピソードですね。
 
 ここを含め本書の最後の方は、私は涙なくしては読めませんでした。
 

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March 26, 2017

木村政彦と合気道

 前記事で木村政彦の強さに、なんともいえぬ柔軟な思考・行動傾向(遊び好き、いたずら好きといった感じで人々に記憶されている)があることを、 『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』(増田俊也、新潮社)から引きました。
 
 もう一つ、木村の柔道を飛躍させたものがあったようなのです。
 
 それはなんと、合気道です。
 
 木村が合気道を学んだわけではありません。
 
 拓大予科2年の若い頃、既に中学時代に柔道日本一を経験していた木村は無敵の勢いを示し始めた頃でしたが、合気道を学んだことのある柔道家にもてあそばれるようにして負けたのです。昭和11年6月1日、宮内庁主催の選抜試合でした。
 
 木村を翻弄したその相手は、阿部謙四郎という武道家でした。
  しかしその名前は、合気道史によほど詳しい人でないと知らないと思います。当時から天才と称され、のちにイギリスに柔道と合気道を広めた人だそうです。私は、阿部が極めて実戦的で強い人だったという話を、以前ある合気道の本か雑誌で読んだ記憶があります。本書でその具体的なエピソードを知って、とても興味深く思いました。
 
 阿部は既に柔道で相当の力があった20歳前後、偶然汽車内で出会った合気道開祖・植芝盛平に簡単に組み伏せられ、その場で弟子入り、10年間合気道を修行したとのことです。
 
 木村の自伝の言葉です。
「彼と組み合ってまず驚かされたのは、ふんわりとしか感じられない組み手の力と柔軟さだった。試合ともなれば誰しもがある程度両手に力を込めて握ってくる。当然、肩や足腰にも、相手の動きに対する警戒感から多少の力が入るのだが、彼の場合はどこにも硬さというものが感じられなかった。文字どおり掴みどころのない感触で、どんな技でも簡単に吹っ飛びそうな気さえした。
 これはたやすい。私は思い切って得意の大内刈り、大外刈りを放った。ついで一本背負い。しかしどうだろう。まるで真綿に技をかけたようにフワリと受けられ、全然効き目がない。かける技、かける技すべて同じ調子で受けられてしまう。グンと弾ね返されるならまだしも、これではまるで一人相撲ではないか・・・・。私は焦った。その瞬間、ビュンと跳ね上げられた。ようやくのことで腹ばいになって逃れる。跳ね腰だ。次に大外刈り。これも私は、危うく半身になって難を逃れた。しかし阿部五段の攻撃は矢継ぎ早に続く。私はかろうじて腹ばい、半身になるのが精一杯であった。相手の技に対して戦々恐々、防戦一方で試合は終わった。結果はもちろん、私の判定負けである」
 
 木村は筋骨隆々、すさまじい腕力の持ち主で、その大外刈りはあまりに強烈で相手が後頭部を強打して失神してしまうことも少なくなかったそうです。だから稽古では相手が怖がって、木村が大外刈りを打とうとすると、「それだけはやめてくれ」とその場で座り込んでしまうほどだったそうです。
 
 それを柳に風のごとく、まさに「柔(やわら)」というにふさわしく、剛力の木村を難なく制してしまった阿部は相当な手練れだったと間違いなく言えるでしょう。
 
 ところが木村は、阿部が合気道をやっていたことを死ぬまで知らなかったようです。
 
 しかし、木村も天才、阿部に弄ばれたことにかなりショックを受けて一時は柔道をやめようかとさえ思ったものの、師匠の牛島辰熊にさとされ(というか怒られ)、自分に足りないものを分析し、柔の要素を入れた独自の稽古を工夫して猛特訓し、1年後、今度は阿部を何度も投げ飛ばすことができ、リベンジを果たしました。
 
 心は子どものように柔らか、体の動きも柔らかくなった木村は、以後無敵となっていったのです。
 
 武道家の上達プロセスとして、大変興味深いですね。
 
 そして実は、木村に影響を与えた合気道家がもう一人いました。(続く)
 

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March 23, 2017

木村政彦の強さの秘密

 最強にして悲劇の柔道家、木村政彦の生涯を追った『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』(増田俊也、新潮社)は、素晴らしいルポルタージュとして評価は定まっていますが、ストーリーの本筋とはやや関係のないところの、私なりに興味深いところをメモします。
 
 なぜ、木村政彦は現代でも最強と言われるに至ったのか、どうやって強くなったのかということです。
 
 もちろん、健康で頑丈な体に生まれ、貧しい家庭で育ったので幼いころから肉体労働をしていたとか、「努力3倍」と自称するくらい、凄まじい稽古を積み重ねたからであることは間違いがないのですが、本書で知った木村政彦にはそれだけでない側面があります。努力家でひたすら武士道を追及する、いかにも武道家、体育会系なところばかりではないのが、彼の魅力であることがわかりました。
 
 一つは、とても愛嬌のある、というにはおとなしすぎるくらいのど派手ないたずら好き、遊び好きであったようです。著者は「悪童」と本書の中で呼んでいます。
 
 戦前、戦中の昭和の時代の男ですから、その内容は先ず「飲む」、「打つ」はないようですがそして「買う」で、その様子は破格でした。女性読者のために、ここではそのエピソードは細かく書きませんが、興味のある人は本書を開いて下さい。面白過ぎるエピソードがいくつもあります。
 
 彼と接し、行動を共にした人はたくさんいましたが、その多くが著者の取材中に彼を慕った様子を語り、彼との思い出を懐かしがり、木村はもう亡くなっていたにもかかわらず、格闘技や武道を極めた大の男たちが時に「木村さんに会いてえなあ」と、感極まって泣いたそうです。
 
 それはライバルというか終生の敵となった力動山が、弟子のジャイアント馬場やアントニオ猪木からさえも、「力道山には人間的に良いところは一つもなかった」と言われたのと対照的です。
 
 面白かったのは戦争中、24歳の青年だった木村は当然兵役に就いたのですが全然まじめな兵士でなかったことです。彼は既に柔道日本一で全国的なスーパースターだったので、当然「お国のために命を捧げます」というくらいの愛国精神を発揮した、ということは全然なかったみたいです。強くなることには執念を燃やしても、戦争は嫌いだったのかもしれません。実際、柔道家としての全盛期となるはずの貴重な20代を戦争に奪われることになってしまいましたから。
 
 木村は福岡の防空隊に配属されましたが、初年兵に鞭をふるったり理不尽な暴行を加えていた曹長に頭に来た木村は、とんでもないいたずらをしました。木村の言葉です。
 
(引用開始)
 こんなことがあった後で、また私に不寝番が回ってきた。大沢(曹長=ブログ主注)は例によって口を大きく開け、往復いびきをかいている。よし、今夜こそ復讐してやろう・・・・
 復讐と言っても寝ている相手を殴る蹴るような卑怯な真似はしない。まず下半身にかかっている毛布を静かにはぎとり、大沢の○○を露にする。その小さくしぼんだ奴を中村(仲間=ブログ主注)と交代でしごく。だんだん勃起してくる。次にはそいつを、タンポのついた木銃の先で軽くついてやる。ポーン、ポーンと、突くたびに勃起した○○がはね返ってきて、ボクシングのパンチングボールのような具合だ。なんともユーモラスでぶざまなものだ。それでも大沢はいっこうに目をさます気配もなく、こちらは十分に楽しませてもらった。  
(引用終わり)
 
 面白いなあ。
 
 著者によると、木村の戦争時代の思い出話は前後や事実関係が不明瞭で、本によって矛盾がひどいそうで、いかに彼が戦時中ちゃらんぽらんな態度だったかが推測できると言います。そして、メチャクチャ体が丈夫なはずなのに、怪しい理由で病院にかかり、入院し、結局除隊してしまいました。
 
「木村にとって戦争はどうでもいい過去なのだ」
「木村は大日本帝国に命を捧げようなどとは微塵も考えていなかったのだ」
 と著者は考察しています。
 
 木村は戦前の天覧試合での優勝など、今なら国民栄誉賞をもらえるべき立場でありながら、デンデン安倍首相、自称愛国右翼の連中なら許せない態度ということでしょうけど、これも真正武道家のあるべき姿の一つかもしれません。
 
 自分にとって大事なこと以外のくだらないことには、関心を持たない。
 
 普通の武道家なら国家や権威を信じ、その命令に従い、ガチガチの人間になるところを、何とかかいくぐって遊びまわる木村の柔軟というか、いい加減さに好感を持ちました。物事のとらえ方の柔らかさ、屈託のなさに強さの秘密があるような気がしました。
 
 ゆる体操の高岡英夫先生の理論、あるいは太極拳のような内家拳の見方からすると、認識の世界がゆるんでいれば、身体運動は身体意識を介して必ずそのゆるみを反映するはずだからです。ただの剛ではない、剛柔相済となります。
 
 しかし同時に、それが後の力道山戦でだまし討ちにされた悲劇につながったと言えます。あまりに彼は素朴だったのかもしれません。
 
 

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March 21, 2017

アドラーネット山梨と朝カルでお話し

 先週末、17日(金)は山梨のアドラー仲間でやっている、アドラーネット山梨で私が話をしました。話題提供者は大体いつも持ち回りでやるのですけど、今回はご要望があって、マインドフルネス瞑想についてでした。
 
 今、アドラー心理学以外にメンタルヘルス分野で話題の中心はマインドフルネス瞑想、本ブログでも度々言及してますし、アドラー心理学関係者、武道関係者にも最近取り組んでいる人が増えています。
 
 瞑想をわかりやすく技法化、大衆化しており、確かに意外に取り組みやすいし、仏教のベースがある(と一応なっている)日本人には向いているのかもしれません。この勢いは当分続きそうです。
 
 私の知っている範囲で、マインドフルネス瞑想とその背景のアメリカにおける仏教文化の受け入れ過程と具体的なやり方について話して実習しました。
 
 最近認知行動療法が急に瞑想を取り入れたかのような印象を普通の人は持つと思いますが、70年代から連綿と続く東洋思想のアメリカ流入の歴史とこれは不可分なはずです。
 最初はヒッピーなどによるカウンターカルチャーから人間性心理学を中心としたヒューマン・ポテンシャル運動で瞑想がワークに取り入れられ、やがてカリフォルニアを中心としたニューエイジやニューサイエンスと呼ばれる知的潮流になり、トランスパーソナル心理学の勃興がありました。そして瞑想がアメリカ社会で大衆化される中で、より地に足をつけた研究者たちが、瞑想の効果に気づいて臨床技法になっていったのだと思います。
 アドラー心理学的にいうとマインドフルネス瞑想は、絶えず私たちの心の中で働いている優越性追求や劣等感にまつわるあれこれの思い(マインドワンダリング)に対して、よい中和剤になると思います。自己概念というか、目標を目指してあくせくしている自分をメタレベルで見通したり、劣等感にとらわれないマインドを育てるにはよいかもしれません。
 
 3月18日(土)は神奈川県藤沢まで出張って、朝日カルチャーセンター湘南教室で、「アドラー心理学入門」をやりました。2時間という短時間でしたが、多くの受講者が『嫌われる勇気』を読んでいたので理解が早く、簡単なワークをやりながら和気あいあいと進めることができました。
 
 この続きは6月に予定されています。
 朝日カルチャーセンター、通称朝カルは、実にいろいろな講座があって案内を見るのも楽しいです。私の地域にあったら、是非受講してみたいものがいくつもあります。その中にアドラー心理学が入るようになって、本当にうれしいですね。
 

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March 18, 2017

ドラマ『嫌われる勇気』終了

 ドラマ『嫌われる勇気』が終わりました。日本アドラー心理学会の抗議でネガティブな意味でも話題をまきましたが、内容的には悪くなかったと今でも思っています。ネタバレになるので書きませんが、最後にいい感じにまとまったのではないでしょうか。真犯人もビックリでした。
 
 終わりの方で同僚刑事も言っていましたが、ああいうツンデレ女子がたまに見せる笑顔はなかなかいいものですな(完全オヤジモード)。
 
 同学会が中止要請までしたにもかかわらず、最後まで放映されてよかったです。フジテレビは正しい判断をしました。
 
 視聴率的には苦心したとされていますが、昨今のドラマ全般の低調傾向の中で、内容的にも難しいテーマだし、確かに庵堂蘭子の性格はかわいくないので、それほど高くなることはないだろう、と予想はできました。あんなものでしょう。
 
 私的には、これまで再三、本ブログで擁護してきて言うのもナンですが、当初それほど熱心な視聴者ではありませんでした。「ブームに乗ってよくやるよ」と思ったのが正直なところでしたね。多分、多くのアドレリアン、アドラー心理学ファンもそうだったのではないでしょうか。
 
 ところが突っ込みどころがありながらも意外に面白いので、楽しんで観るようになりました。そしたら日本アドラー心理学会の抗議がマスコミに出てビックリ。
「人が楽しんでいるんだから邪魔すんじゃねえよ」とムカついたと同時に、「これは放っておくといかんぞ」と気づいて、もっときちんと考えて発信しなければと思い直しました。
 
 いかんぞ、というのは、先ず報道記事を読んで、日本アドラー心理学会の抗議内容は私とは正反対の意見で、私から見るとアドラー心理学的にも間違っている可能性が高いこと、同学会があたかも日本のアドラー心理学シーンの代表で、引っ張ってきたような間違った印象を人々に与えてしまうことでした。
 私が書いてきたことは同学会員には不愉快でしょうけど、またそこにも良い先生がいることは知っているけど、アドラー心理学的解釈として間違っていること、事実として違うところは指摘する必要を感じたわけです。
 
 庵堂蘭子張りに、「その抗議、明確に否定します」
 と人々に伝えようと思いました。
 
 それでさらに真剣に観るようになって、これほどドラマに向き合ったのは、『真田丸』ぐらいでしたね(笑)。
 
 
 いっぱい書きましたね。
「正しいアドラー心理学」を発信しなくては、という私なりの共同体感覚の発露でした。少なくとも「視聴者共同体」には貢献できたのではないかな。
 
「アドラーの思想とかけ離れている!」と騒いだ人たちより、深くて良い解釈ができたのではないかと思います。やっぱりドラマは真剣に観て、かつ楽しまなきゃね。
 
 庵堂蘭子の造形について、発達障害特性があるのでは、と書いたことがありましたが、(どんなキャラがいいかな)、前回のドラマで、庵堂蘭子自身が「私は子ども頃からなぜか人とうまくやれなかった」などと話していたので、もちろん診断名は言わないものの、そのような視点で作ったキャラであることが推測されました。つまり、そのような人物がアドラー心理学に救われた、ということが暗示されていたわけです。
 だから「協力の姿勢が見られない」「共同体感覚に欠けている」なんて単純に言わない方がいいってことです。
 
 まったく、読みが浅いんだから。
 
 そんなことを書いていたら、ひょんなことからマスコミ2社から取材の申し込みがあり、1社は実現しました。出してみるものですね。
 
 
 取材を受けるにあたって、初めて日本アドラー心理学会の抗議文を読みましたが、こんな内容では私のブログ記事の方がよっぽど正しい、まともだと思いました。
 たかがテレビドラマだから見解の違いは別にかまわない。しかし、今回は抗議という政治的行動に出ているので、改めてこのままではいけないと思って話をさせていただきました。
 
 この影響や反響はどうだったのかはよくわかりませんが、twitterの『嫌われる勇気』クラスタの人たちには話題になったみたいで、熱心な視聴者らしき人が何度もリツイートしてくれたようです。
 
 ヒューマンギルドの岩井先生もニューズレターで「大変説得力がある。是非お読みください」と勧めてくれていました。ありがたいことです。多くの会員の人たちも読んでくれたことでしょう。
 
 実は上記ブログ記事のほとんどは、アップする度に番組HPのメッセージコーナーから、メールと共に送っていました。香里奈さんはじめ、制作陣を勇気づけるためです。「アドラー心理学的にもいろいろな考え方があるのだよ。(抗議は)気にしなくていいよ」ということを伝えたかったのです。
 
 その効果は定かではありませんが、制作陣が少しでも励まされ、番組継続に役立ったのなら幸いです。
 
 とにかく、私にとっては、アドラー心理学を思い切って好きなように論じることができて(なんといっても架空の話ですから)、なおかつドラマの進行と共に社会活動までしてしまったという面白い体験でした。その意味では、日本アドラー心理学会に感謝しなきゃね。
 そして、同学会員に限らず、私の記事で考え直してくれる人、違った視点を持ってくれる人が増えてくれたら幸いです。
 
 難しいテーマに挑戦して、なんとかドラマを創り上げた制作陣、役者さんたち、アドバイザーの岸見一郎先生と古賀健史さんには賛辞を贈りたいと思います。
 
 ありがとうございました。
 お疲れ様でした。
 
 

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March 16, 2017

ゲートキーパー養成講座

 3月8、15日と2回、山梨県笛吹市役所で行われた「ゲートキーパー養成講座」で講師をしました。
 
 ゲートキーパーとは専門職というより一般の人で、自殺のリスクのありそうな人に声掛けしたり、自殺の相談を打ち明けられた時に適切に対応できるような人です。自殺予防対策の一環として、最近各自治体で開いているようです。
 
 今回は笛吹市役所の職員、約50人が参加してくれました。職種は行政から土木、福祉など様々でした。
 
 内容はできるだけわかりやすくなるように努めましたが、最近の自殺研究の成果と認知行動モデルによるメンタルヘルスの説明、対応法として、もちろん傾聴と、これは私独自の部分かもしれませんが、アドラー心理学の勇気づけを入れました。
 
 こういう研修は、先ず第一に傾聴の重要性がうたわれて、それはその通りですが、ではその後どうコミュニケーションするかというところが意外に足りない気がしていました。
 
「安易な励ましはいけない」とテキスト等にはありますが、ではどうするか。一般の人は(専門家も)、話を聴いた後に何も話さないでいることは難しいでしょうし、助言の仕方も途方にくれるかもしれません。
 
「適切な励まし(encourage)」が必要なのです。
 
 そのような時に、アドラー心理学は励まし(勇気づけ)について本質的なところから考えていて、しかも普通の人にもわかりやすいのではないかと期待できます。
 
 幸い講義自体は好評だったようで、お役に立てればうれしいです。

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March 14, 2017

『アドラー臨床心理学入門』増刷!

 一昨年に出した『アドラー臨床心理学入門』(アルテ)の増刷が決まったようです。
 
 これで3刷りになるかな。
 
 もはや、アドラー心理学の基本テキストの一つにはなっているような気がします。
 
 一般書とは言い難いので、他のアドラー本に比べて出ている数は大したことないけど、多くのカウンセラーや支援者に読んでいただけているようでうれしいです。
 
 もちろん、一般の方も、自己啓発書などでアドラー心理学を知った後の、アドバンス編として触れていただけます。
 
 より深く、アドラー心理学の理論と技法を知ることができます。
 
 

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March 12, 2017

『嫌われる勇気』誕生秘話

 いまだにベストセラー上位の『嫌われる勇気』(ダイヤモンド社)の制作に携わった敏腕編集者の対談記事がありました。

「僕が一番影響を受けたんです」 天才編集者・柿内氏が『嫌われる勇気』に費やした3年を振り返る

 共著者の古賀さんと共に、岸見アドラーに惚れぬいて、岸見先生のところに通い詰めながら、時間をかけて作り上げていったようです。

 1冊に入れこむ熱量が他の本とは違っていたんですね。それに応えた岸見先生もすごいと思います。

 ところで、私は今2冊の本が進行中です。同じくらいのエネルギーを注いでいきたいとは思いますが、 ただ、臨床系は「熱さ」があまり前面に出ない方がいいと思います。自己啓発系、教育系とは違うところです。

 むしろクールさと信頼性が高いイメージを与えるものがいいでしょう。そのためには学術的体裁をある程度整えるとともに、アドラー心理学には数字的なエビデンスで示すのは難しいところがあるので、何人かで書く共著という形で、多様性とある程度の普遍性、妥当性を示すというところだと思います。要するに、勝手にいい加減なことをやっているのではない、というのを示すということです。

「単著を書いたら」と言われたことがあるのですが、私は今のところそこまでの気はなく、一般向けだったら岸見先生や、岩井先生とその関係の方々がわかりやすくていいものを出し続けてくれているし、専門家向けは仲間と進めていけばいいかな、という気持ちです。

 私が書くとしたら、これまでの万人向け、あるいは専門家向けではなく、マニア向け、武道やスピリチュアリティー・神秘思想に絡めるとか、場合によっては物議をかもすようなものが書きたいですね。どっかから抗議されたりして。つまり売れないものですね。だから日の目を見ることはないでしょう。

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March 10, 2017

ビジネスジャーナルに掲載

 前々記事であるところからインタビューを受けたと書きましたが、それが表に出ました。
 ネットのニュースサイトである「ビジネスジャーナル」です。
 
 
「専門家」というところに、私からそれこそ「疑義」を出したいですが、実際これだけ自分のブログでアドラーを連発していて、あまつさえ本まで出しているから世間的にはやむを得ないでしょうね。
 
 まあ、アドラー心理学的に考えてもいろいろな見方があるよ、やっている人達にもいろいろいるんだよ、ということを世の中に言いたかったので、インタビューを受けました。
 
 内容的にはこれまでここで書いてきたことを、簡潔にしたものです。
 
 つまり、庵堂蘭子は、社会共同体にとってユースフル(有用)な行動と考え方を示している。つまり、共同体感覚があると推測していい、という私見です。
 
 楽しんでいただけたでしょうか。

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March 06, 2017

ナラティヴ・コロキウム参加

 なんか格闘技のイベント名みたいですが、れっきとした心理療法の集まりです。
 
 3月4~5日、駒澤大学で行われた「第5回 ナラティヴ・コロキウム-ナラティブの広がりと臨床実践」に参加しました。
 
 いわゆるナラティヴ・セラピー、社会構成主義に影響を受けた心理療法が一堂に会したようなお祭りでした。
 私は特に専門というわけではありませんが、ナラティヴ・セラピーにはずっと親近感というか親和性を感じていて、というより臨床思想的には自分は社会構成主義者といってもいいと思います。けして科学主義、客観主義、エビデンス主義ではない。
 
 アドラー心理学には多面性があり、完全にそればかりとはいえませんが、現代のアドレリアンには社会構成主義との共通性を見る人が日米共に多いようです。もちろん、基礎心理学的、科学主義的手法でアドラー心理学を研究することも大事なので、その能力のある人は是非進めてほしいと思っていますが、早期回想などその人の語りを重視するアドラー心理学は、最初からナラティヴ的です。
 
 そんなんで、ナラティヴ・アプローチは文系にもできる心理学、というとその筋の専門家に怒られるかもしれませんが、やなりナラティヴ、物語、ストーリーを第一義に取り上げるところは、私にはとっつきやすさがあります。
 
 内容は専門的になるので省きますが、いくつもワークショップや自主シンポがあって、私は「リフレクティング・スキル入門:オープンダイアローグ対話実践の基本」と「アンティシペーション・未来語りダイアローグ」というのに出ました。
 
 全体参加の特別ワークショップには目玉となる登壇者が二人いまして、一人は翻訳家で英米文学者の柴田元幸先生(東京大学)、もう一人は精神科医の斎藤環先生でした。柴田先生は作家・村上春樹との共著も出していますし、その世界では超大物。斎藤先生は言わずと知れた有名文化人です。実は私はこの人たちの生の姿を拝見するのがお目当てでした。
 
 柴田先生は別に臨床の世界の人ではありませんが、レベッカ・ブラウンという作家の翻訳者として、その作品に触発された臨床実践の報告にコメンテーターのように呼ばれたようでした。舞台に上がるなりレベッカ・ブラウンの作品の朗読をしてくれ、しばし文学的空気を楽しむことができました。病と身体、生活について淡々と描写した作品で、読んでみたくなりました。
 
 斎藤先生は精神分析学、特にラカンの解説者で知られていましたが、最近はオープンダイアローグに相当熱を入れていて、今やその先導者の一人です。
 とにかくタフで優秀な頭脳を持っている人だというのが私の印象でした。理論家であるとともに、あれだけ研究していた精神分析学も「効かない」「治療が下手」としっかり批判して、新興のオープンダイアローグを高く評価するなど、臨床でも優れているのだろうと思いましたね。
 
 オープンダイアローグが何かについてもここでは省きますが、斎藤先生に限らず、今かなりの臨床家、研究者が注目していることが実感されました。心理療法の近未来の方向性がそこにあると、多くの人に予感されているかのようです。
 
 その他にもいろいろな先生にお会いでき、お話もでき、かなり刺激になった2日間でした。

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