大河「光る君へ」はいよいよクライマックスですが、ドラマに触発されて平安時代に興味がわいた私は、ドラマとは違った角度からの面白い本を見つけました。
日本古代史が専門の虎尾達哉氏の『古代日本の官僚~天皇に仕えた怠惰な面々』(中公新書)には、奈良時代から平安時代にかけての天皇に仕える官人たちの驚くべき実態が記されていて、とても興味深いです。
藤原道長のような上級貴族ではなく、官位が六位以下の下級役人(官人)たちはお仕事をさぼりまくっていたいう驚くべき話です。以下は、『労基旬報』という業界紙で私が持っている連載記事からの抜粋です。
(引用開始)
官位が六位以下はいわゆる下級官人で、ドラマでもまひろの父親の藤原為時も、六位から五位に昇進して国司になれたのでした。彼らは宮中の重要な儀式や日常業務を担う実務派官僚といえます。今では課長以下の実働部隊として働くヒラの役人や労働者たちといえるでしょう。
ところが彼らはそのような重要な任務に精勤するどころか、何かと理由をつけては、時には無断で休んでいたらしいのです。
例えば、「元日朝賀儀」という、正月元日に大極殿という朝廷の正殿で、天皇の前に臣下一同が拝礼、拝舞して新年をお祝いするという大変重要な儀式がありました。出席は任意ではなく義務、職務です。
しかし多くの官人が無断欠席をしていたのです。それが毎年のことで、ひどい時は、朝早くから天皇が出御しているにもかかわらず、官人たちは一向に出て来ず、天皇や上級貴族たちは夕方まで待ち続けたなんてこともあったそうです。
面白いのはその儀式の後に天皇主催の宴会があって、それにはさぼった官人たちも参加したそうです。なぜかというと宴の最後に天皇から節録というお手当がもらえたからです。儀式には無断欠勤しておきながら、節録はちゃっかりせしめていたのです。
また、「任官儀」という人事の任命式のような重要な儀式にも多くの官人たちはさぼっていました。一人一人が名を呼ばれて、辞令が渡されるような儀式ですが、その時名前を呼んでも当人がいないなら大変なことです。今だったら、無断で休んで遊んでいたとばれたら、後で人事課長や上司から大目玉を食らうでしょう。
ところがこの時、儀式を司る貴族たちは驚くべき対応をしていました。「代返」をしていたのです。「鈴木!」と担当者が呼びかけて反応がなければ、別の係りの者が「はい!」と返事をしてくれたようなものです。一昔前の大学生みたいです。これではわざわざ出るわけがない。とにかく波風立てるより、代返でも何でもして儀式を成立させることが優先されたのでした。
このようにさぼりまくっていたのは中下級官人たちでしたが、時代が下るにつれて、次第に上級官人たちも真似をするようになってしまいました。
では政府は、さぼった官人たちを厳罰に処したかというと、全くそんなことはありませんでした。天皇や上級貴族たちは「さすがにこれはいかん」と困っていたので、度々「今度さぼったら給料をこのくらい減らす」とかの注意喚起の通知を出していましたが、当時としても中身が大して重いものではなかったので、効き目は薄かったようです。
さぼる側の理由としては、人事に不満があるとかの積極的な抗議の場合もあったようですが、ただ単にさぼっていただけだったり、仮病も多かったようです。
このように下級官人は儀式だけでなく、あらゆる業務でさぼりがちでした。その辺の事情を本書はたくさん紹介しています。これは官人たちが当初はまじめで、次第に腐敗していったというのでなく、律令制が始まった当初からそうだったそうです。
朝廷は隋や唐という中国の絶対的な専制君主による官僚制の確立を目指していましたが、一般の労働者たちはそんなことは知ったことでありません。朝廷もそれを見込んであまり無理をせず、儀式や行政をとにかく形式主義で乗り切り、事なきを得ようとしていたのです。
日本人の勤勉さはいつからか
このような実態を知ると「なんて大らかな時代なんだろう」と思います。貴族たちは形だけ整えればいい、後は何とかごまかしてやり過ごすといった感じで、さぼった人たちを厳罰に処すわけではありませんでした。彼ら官人については、労働基準監督署や本紙は要らないでしょう。
その後の日本は武士の時代に入ります。「逆らったら殺す」というわけで、力によって無理矢理言うことを聞かせる時代になりました。貴族の大らかさは失われました。
それが江戸時代に儒教の朱子学が徹底され、武士道の名の下に強い秩序感覚を日本人は身につけました。
さらに明治以降は西洋的な法や規則による組織運営が導入され、それを実現するための勤労意識や人権感覚が育成されました。今やそれが過度に発達してきて、超監視社会に向かっており、働く人たちは疲弊してきているようにも感じられます。
本書の筆者も官人たちにあきれながらも好感も示し、「古代のような(官僚たちの)怠業は困るが、有能な若い官僚たちが志半ばで離職するという現代の状況ははたして健全といえるだろうか」ともらしています。
何より、元々の日本人はけして今のように勤勉ではなかったと知ることは楽しいことではないでしょうか。
(引用終わり)
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