November 17, 2017

「ブレードランナー 2049」を観た

 先日「ブレードランナー 2049」を観てきました。
 
 前作は1984年の初夏、大学1年生だった私が早稲田松竹という高田馬場の映画館で観たときの衝撃は忘れられません。
 
 あのイメージに魅了されて、その後何度も何度も繰り返して観ました。ついには貧乏なのにレーザーディスク(懐かしい)まで買ってアパートでも観ましたよ。私が人生で最も多く観た映画です。
 
 そこから原作者のP・K・ディックの小説も何冊も読み耽りましたね。
 
 そして本作、楽しみにして映画館に向かいました。
 
 30年後のアメリカ西海岸の世界、あの雨に煙るロサンゼルスの夜の街がさらに先鋭化されて現れていました。前作ファンにはうれしいでしょう。
 ヴァンゲリスの印象的な音楽をモチーフにした曲がバックに流れ、既視感が襲います(今回はハンス・ジマー)。
 
 評価はいろいろあると思いますが、もともと万人受けする作品でありません。
 AIとアンドロイド(映画ではレプリカント)などの現代的、未来的な問題がさらに掘り下げられて、抑制的な表現と鮮烈な未来世界の描写が印象的でした。
 
 私には今回もとてもよかったです。静かな感動でした。
 
 前作から30年、そしてこちらも30年経ったわけで、作品世界と時間軸が並行しています。観ながらこちらの脳が勝手に反応して、30年前の作品だけでなく自分自身や過ごした景色、それからのプロセスが次々に浮かび上がる瞬間がいくつもありました。
 
「ブレードランナー」のテーマのひとつは「記憶とアイデンティティ」なので、私の記憶も揺らぐようです。
 
 ただ、160分ほどの長い作品なので、見逃している部分が多そうです。観終わって少々疲れました。
 また観に行こうと思います。DVDも買っちゃおうかな。
 
 マニアックな映画ですが、強くお薦めします。

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November 15, 2017

『老子と太極拳』

 太極拳は老子や荘子の老荘思想、道教と深いかかわりがあることは、太極拳を多少なりとも学ぶ人なら知っていることでしょう。
 
 ではその中身は、というと相手が中国古典であることもあって、なかなか詳しく学ぶ機会はありません。いざ挑戦しても中国語も漢文はもちろんわかりませんし、現代訳もわかりやすいわけではないので、歯が立たないことが多いでしょう。研究者も普通武術の専門家ではありませんから、武術のような身体文化から老子を見るという発想はありません。
 
 また、『よくわかる老子入門』『ビジネスに役立つ老子』みたいな一般向きの、どちらかというと自己啓発的な本を見ても、実際に太極拳や武術とどう絡むのかわかるものではありません。あくまでも雰囲気を味わうにとどまります。
 
 私も『老子』は持っていますが、昔ざっと読んだだけに過ぎず、とても消化できていません。
 
 つまり、老子の思想と太極拳を高度に学んだ人による解説が必要なわけです。
 
 清水豊著『老子と太極拳』(ビイング・ネット・プレス)は、まさに太極拳などの伝統武術(日本の合気道なども含む)と老子の両方の思想を味わうにはうってつけです。
 
 著者は10代より楊家太極拳、合気道、新陰流などを修め、國學院大學大学院や国立台湾師範大学などで神道や中国思想の研究を行ってきた人です。
 『老子』に記されていることは、まさに太極拳の考え方そのものである。…(略)…
 
 目先の闘争ではなく、おおいなる道(タオ)との合一を視野に入れた武術のことを、とくに「道芸」ということがある。太極拳や八卦拳、形意拳それに合気道も、みな「道芸」に属するものなのである。そうであるから、どれも、『老子』の内容と共通性を有するわけである。いうならば『老子』は、道芸の奥義書といってもよいのである。  p4
 
 
 含蓄のある文章で、太極拳がいかに老子の思想を具現化し、身体化したものかが非常によくわかりました。太極拳の先人たちは、ただの雰囲気で老子を取り入れているわけではないのです。
 私にはとても勉強になりました。
 
 本書を読むと、きっと太極拳や武術の理解が深くなり、日頃の稽古が一層愉しくなるでしょう。
 
 ここでも時折、大事と思ったところは引用、メモさせていただこうと思います。
 

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November 12, 2017

近藤等則に会う

 少し前になりますが、10月の後半に甲府にジャズトランぺッターの近藤等則さんが来ました。
 
 30年来のファンである私は、ライブ会場の桜座に勇んでいきました。桜座は、戦前に甲府に存在した有名な芝居小屋を再現したレトロでしゃれた建物で、内外の有名アーティストが来ています。
 しかし当日ライブ時間ドンピシャに台風最接近中で外は大雨、お客さんは私が数えたところなんと15人ほどしかいませんでした。
 
 世界的なアーティストなのにもったいないなあと思いつつ、まさに目の前の至近距離でじっくりと、近藤さんならではのエレクトリック・トランペットの音色に聴き入りました。
 
 休憩時間も近藤さんは楽屋に行かずそのままドリンクコーナーで仲間と休んでいたので、なんと話しかけ放題です。早速私はその場で売っていたCDを買って寄って行き、サインと握手をしてもらいました。
 
 若い頃、東京のインクスティックなどでの満員のライブで遠くから見ていたことからすれば、信じられない状況で感激です。
 
 近藤さんは新体道という武道を稽古されて、鍛えた身体から都会的で激しく鋭いサウンドを出していましたが、今は地球のバイブレーションと共振するようなとても深い響きを出しています。若い頃の混沌とした音楽も好きでしたが、今のスタイルも気に入っています。
 
 お互い年を取ったなあと思いつつ、でも元気なお姿を拝見して、ぜいたくな時間を過ごさせていただきました。
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November 09, 2017

『アルフレッド・アドラー 一瞬で自分が変わる100の言葉』

 ここのところ勝手なことをいろいろ書いてきましたが、ようやく@niftyでAmazonとのリンクができるようになったので、たまっていた本を随時紹介していきます。
 
 小倉広さんの『アルフレッド・アドラー 一瞬で自分が変わる100の言葉』(ダイヤモンド社)は、改めてアドラーの言葉を集めた本で、アドラー自身の言葉を受け取るのに最良です。
 
 この秋に出て、小倉さんに献本いただきました。小倉さん、ありがとうございました。
 
 本書の前作『アルフレッド・アドラー 人生に革命が起きる100の言葉』も、最初にアドラー心理学を知るのに最適な良書でした。21万部も売れたそうだから、あれでアドラー心理学に入った人も多かったと思います。
 
 今回は、さらに突っ込んだ感じでアドラー心理学の内容が説明され、でも初めて触れる人にもわかりやすい開かれた内容になっています。
 
 やはりアドラー自身の言葉と、自分の性格(ライフスタイル)を変えるにはどうすればいいかという点に絞ったのがいいですね。
 
 しかも今回は出典が明記してあるのがいい。そこからさらに学びたい人が、さかのぼって原典にいけます。
 
 それにしてもアドラーの生の言葉だけを読むと、やはりけっこう厳しいことを言っていますね。あからさまというか、あまりロマンチックでも文学的でもありません。
 ここが魅力であり、反発も生じるところかもしれません。
 人は迷いの解決、解放の前のところでウロウロするのが好きですから。そのウロウロを美しく、文学的に、哲学的に、ドラマチックに描くほうが喜ぶ人が多いでしょうね。
 
 ただ、やはり人生の真実を突いているな、と改めて実感しました。
 
 最後にドキッとする一言を。
 
 アルコールが人の本性を変えるのではない。
 飲んでいないときに上手に隠していた本性が、
 気の緩みとともに、表に出てきただけである。  p70
 

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November 07, 2017

共同研究者か反面教師か

 前記事を書くときにほんとに久しぶりに野田俊作先生のブログ「野田俊作の補正項」を見たのですが、さすが、参考になるところも多々あると同時に、違和感や疑問を感じたり、これは間違っていると思われるところも散見されました。
 
 しかも相変わらず岩井先生を批判、攻撃している記事もあり、「しつこいやっちゃなあ」と思ったり、最近は岸見一郎先生も批判したそうですね。読んでないけど。
 今年初め、ドラマ「嫌われる勇気」で、私はフジテレビに抗議をした日本アドラー心理学会をこっぴどく批判したけど、きっと正反対の意見でしょうね。それより焚き付けた方か。
 
 野田先生は大変ユニークな方なので、崇拝する人もいる一方、個人的に方々で批判や陰口を聞いていますが、ネットなど表立った言論としてはあまりないんですよね。みんな内心引いているのか、ビビっているのかもしれません。20年前の分裂騒動の時のあのひどい攻撃を見たり聞いたりしたトラウマ(!)でしょうか。確かにひどかった。
 
 また、その後のアドラー・ギルド系とヒューマン・ギルド系などとの微妙な棲み分けの空気のためもあるかもしれません。
 
 それに何を言ってもお互い個人ブログだし、異なる意見があってもよく、私も異論があっても個人攻撃になってはいけないので、ぼやかした表現しかしてきませんでした。
 
 そうはいっても一応野田先生は日本のアドラー心理学の代表格であることは間違いなく、本来なら河合隼雄や小此木啓吾クラスになるはずだった人です。結局なれなかったけど。ご本人はならなかったと言うかもしれないけど、それが私や周囲の評価です。
 
 いい意味でも悪い意味でもアドラー心理学界隈には影響力がある人であり、他者批判は繰り返しているし、現在の分裂状態を作った張本人でもあるのだから、批判されてもいい立場ではあると思います。というか批判される価値のある内容を表現してきたと言ってもいいかもしれません。無内容ならスルーされて終わりですから。
 論旨は明快だし、わかりやすく、適度に高度な内容です。
 
 そこで、これから何か異論を感じたりすれば、隠さず論評や批判をしようと思いました。野田先生の文章は論理的だから叩き台としては優れています。
 
 そして、「自分のアドラー心理学」を創っていく足掛かりにすればいいと考え直しました。
 それにもういい加減、この辺の世代を継承しつつも相対化し乗り越えないと、日本のアドラー心理学の発展はないような気がしてきました。
 
 ということで大変僭越ながら、野田先生は私の師になるには足りませんが、「共同研究者」には十分です。これでも尊大に聞こえるなら、「私淑」ぐらいにしておくか。
 
 ちょうどアドラーがフロイトの理論を反面教師にして、個人心理学を打ち立てたのと同じですね。
 
 日本中のアドレリアンの皆さんも臆さず、やってみましょう。
 
 

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November 04, 2017

3年かけて良師を探せ

「3年かけて良師を探せ」
とは中国武術の文献や物語の中でよく言われている言葉です。
 
 自分の道を見つけるためには、たくさんの指導者を訪ねて、渡り歩いて、探し回りなさいという教えのようです。
 例えば太極拳でも空手でも合気道でも、同じジャンルの武術であってもいろいろな系統や流派があるので、最初のうちはできる限り広く見聞することが大成への道である、最初から一人の師匠、一つの流派に固まるのは大変危険であるという教えと考えられます。
 
 ではその後、心に決めた師匠について一意専心、一つの道に突き進めばいいかというと必ずしもそうではありません。
 
 歴史に残る達人たちの話を聞くと、実は一人の師について一つの流派を極めたように見えても、初心者の時期だけでなく、年数がたってからでも「浮気」をしているエピソードがけっこうあるのです。それは師匠公認の場合も、非公認の場合もあるようですが。そして研究と実戦を踏まえて、達人になっていくのです。
 
 上達に「浮気」は必要なのです。
 
 男女はダメですよ。
 
 どうしてこんなことを言うかというと、アドラーリーグ構想をアップした翌日に、まるでそれに反応したかのように野田俊作先生がブログで「浮気するなよ」という記事をアップしたと、あるアドラー仲間が教えてくれたからです。
 
 私は野田先生のブログを読む習慣がないのでわかりませんが、恐れ多くも大先生が私ごときに反応するわけはなく、内容もいつもおっしゃっていることと代り映えしない気がしますが、確かに私とは視点が違うようです。
 久々に読むと相変わらずで逆にうれしいですが、これではアドラーリーグには入っていただけそうもありませんねえ。残念です。
 
 野田先生は自身のアドラー心理学は密教だとおっしゃっているらしいですが、最近チベット仏教にはまっているらしいですね。アドラー心理学野田派は密教化、オカルト化していくのでしょうか。オカルティズムや神秘主義に多少嗜みのある私としては、興味深いところではあります。
 
 確かに、学びたい人が野田派だけで身を立てたいのなら、おっしゃる通りでしょう。
 
 しかし、これは「供給者側の論理」であると私は思います。
 学びに行く側は違って当然。
 むしろ真面目に従う方が見込みがない。
 
 実は現実に起こっているのは、師匠が弟子を選ぶのではなく、弟子が師匠を選ぶということです。
 
 学ぶ人は師匠を名乗る人たちを冷静に見渡し、誰がどの程度の人物か、冷酷に判定しているものです。信者以外は。そしてこの人からどの程度のことを学ぶかを判断する。これはとても健全な態度だと思います。
 
 いろいろな系統を学ぶと「混乱」するからというのは、そういう人もいるかもしれませんが、別に来なくなったのは混乱したからではなく、あきれたからとか、気が合わないからとか、理論はいいけど○○がねとか、信者っぽい人から変なこと言われたとか、いろいろあるようです。
 いや、どこがというわけではないですよ。私はいろいろな人とお会いしたり、相談されてきたので、その中でいろいろな理由をうかがってきました。もちろん私のグループから他へ行った場合も、似たような思いを持たれた方がいたかもしれません。
 
 反対に、アドラー心理学のいろいろな系統を渡り歩いて学びつくしたアドレリアンの最高峰は、私にとってなんといっても、ペルグリーノ博士でした。
 お会いし、カウンセリングや講義のパフォーマンスを見て、身体意識を観察して(一応気功家なので)、「これはものが違う」と思いましたね。アドラーの息子、クルト・アドラーがペルグリーノ博士に、「あなたは父に似ている」と言ったと聞きますが、そうだろうなと感じました。この人は是非、モデルにしたいと思いました。
 
 一つの系統だけの原理主義を貫くことで、達人(優れたアドレリアン)になることもできるかもしれませんが、意外に少ないように私は思います。なぜかというと、単に信者的になって目が曇るというか、批判力や創造力が衰えるからです。上達には、対象を相対化する力や俯瞰する視点が必須だと私は思います。
 
 原理主義に向いているのは、こだわり中心に生きる気質の人(粘着気質や自閉症スペクトラム系の人など)くらいではないかな。私が学んだ気質論では、粘着気質の人は「親分子分」の関係になりたがるそうです。そういう関係性に入れると強みを発揮します。自閉症スペクトラムの人はコピーがうまいですからね。
 むしろ、いろいろな系統を身につけることでさらに達人になることが可能である、これが現実だと思います。
 
 とにかく人の縁、学ぶ縁はコントロールできないもの、「天の配在」と言えます。「出会った!」と思った機を逃さず、どんどん浮気をしましょう。
 

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November 01, 2017

オープンダイアローグと愛、共同体感覚

 前記事に出たオープンダイアローグの本を読んだり、シンポジウムなどに行くと、「オープンダイアローグを実践すると、その場に愛の感情が生まれる」という発言によく接します。
 
 そして決まってその後に、「性愛の愛じゃないですよ」と慌てるかのように一言注釈が入ります。
「じゃあ、どんな愛だ?」と思うわけですが、主な論者たちはそこをうまく説明できていないように見えました。
 
 確かに「オープンダイアローグをすると、患者と治療者が愛の関係になる!」なんて言ったら、週刊誌ネタ、文春砲ものになりかねません。斎藤環先生、やばいです。
 
 つまり愛という言葉ではオープンダイアローグのコミュニケーション空間を表現するには不十分で、適切な言葉がまだ当てられていない、ということでしょう。
 
 彼らの言い分を聞いていると、私には、「共同体感覚」という言葉が最もしっくりくるような気がします。愛でもラポールでもジョイニングでもなく、単なる所属感や達成感のような単一の心理学的な概念でもなく、もう少し広くて深いイメージを包含した概念です。
 
 どうしてそう思えるのか、ここでは根拠を引用しませんが、前記事の研修で八巻先生が研修で説明してくれていました。いつか詳しく活字になるかもしれません。
 
 アドラー先生、またもや先走っていたようですね。

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October 30, 2017

オープンダイアローグとアドラー心理学

 10月28日(土)の午後、埼玉越谷の文教大学で、日本臨床・教育アドラー心理学研究会の研修会が開かれました。折しも2週連続の台風接近で、雨の降りしきる中、50人超の人が来てくれました。
 
 研修のテーマは、昨今心理臨床、精神医療分野で最もホットな話題のひとつ、オープンダイアローグです。
 
 北欧のフィンランドで生まれたオープンダイアローグはある特殊な対話の仕方により、統合失調症の治療に画期的な成果を上げて、関係者を驚愕させました。アドラー心理学と直接の関係はないようですが、その実践の方法、考え方は驚くほどアドラー心理学と共通点があるのは、両者を知っている者にとっては自明のことです。
 
 しかし、これまでそれについて公に言挙げしたものはありませんでした。
 そこで当研究会がまず先鞭をつけようと試みたのが、今回の研修会です。
 
 講師は、両者について長年研究し、通暁している八巻秀先生(駒澤大学教授、やまき心理臨床オフィス)。これ以上ない人材です。
 
 言語と心理療法の関係、社会構成主義など高度なことをわかりやすく説いてくれ、リフレクティブ・トークなどの楽しいワークを織り交ぜて、あっという間に時間が経ってしまいました。私も主催者なのに楽しく参加していたら、うっかり写真を撮り忘れてしまった。
 
 普通、オープンダイアローグの研修では医療・心理関係者が多いと思いますが、ここは教育関係者が多かったので、この新しいアプローチがアドラー心理学と共に伝わったのは、本当にいいことだと思います。
 
 実は八巻先生、前日の27日は山梨に来県され、私の前職場、山梨県立北病院主催の「子どもの心に関する講演会」に登壇されていたのです。こちらも医療、福祉関係者や不登校などの保護者、教員など100人も集まり、盛況でした。この時はもっぱらアドラー心理学でした。
 
 私は2日連続で八巻節に浸ったことになりますね。

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October 25, 2017

アドラー・リーグ構想

 最近アドラー心理学に興味を持って学び始めた人たちは、遅かれ早かれ戸惑うはずです。
 
 なんでアドラー心理学の団体はいくつもあるの?
 えっ、仲悪いの?
 どこ行ったらいいの?
 ここでは、あそこの話はタブーなの?
 あの先生、どうなの?
 
「共同体感覚あふれる人たち」がなぜか、分裂状態。これが日本の現実。
 
 これには深いワケがあるのです。90年代半ばから後半かけて起こったアドラー心理学の黒歴史である分裂騒動。ここでは詳しく言いませんが。私も思い出すとまだ冷静ではいられないし。
 
 しかし、それによって、多くの人が大変なコスト(時間的、物理的、金銭的)を負い、迷い、苦労をすることになったのは事実だと思います。それでアドラー心理学から離れてしまった人も多いでしょう。
 私の仲間には「アドラー心理学の失われた20年」と呼ぶ人もいます。
 
 この事態を何とかできないものか。
 
 前記事で書いたシンポジウム「アドラー心理学の過去・現在・未来」岩井先生のブログ)で、最後に私は次のように言いました。
 
1.各団体が林立している現状の肯定
 分裂、割拠状態を嘆いても仕方ない。今さら一緒になるとか、統一するというのは無理だろう。
 むしろ、肯定し、アドラー心理学が本来持っている多様性としてとらえ直そう。
 
 そして、
 
2.他のアドレリアン・グループとの共存、共栄、切磋琢磨を目指そう
 私もここ数年の日本臨床・教育アドラー心理学研究会などの活動を通して、また他団体、グループの人たちと意識的に交流する機会を重ねて、冷静に見まわしてみると、それぞれに学べるところは多々あると気づきます。
 お互いに意識し合いながらも、いたずらに敵対することなく、いや、時にはライバルとして競い合っていけばいいでしょう。
 
3.時には連携、協同を
 そして、必要な時には協力して、協同で事業やイベント、研究、執筆などを行ってみよう。特にアドラー心理学の外の世界(例えば心理臨床学会などの心理系学会や精神分析学勢など)に対する時には、共同戦線を張ることができるかもしれません。
 
 以上のようなスタンスを、 「アドラー・リーグ」と呼んだらどうだろう、と話したのです。
 
 プロ野球やJリーグのように、普段はライバル、敵として振る舞いながらも、根底では協力、連携し合っていく「リーグ戦」です。
 
 実はこの言葉は私ではなく、アドラー仲間のS先生の発案です。素晴らしいと思ったので、借用させてもらっています。素敵なアイデアをありがとうございます。
 
 シンポジウムでも参加者の皆さんに、あるインパクトを持ったイメージになったようでした。
 
 さらに、実は先日、日本アドラー心理学会系のさる重要人物にあるところでお会いする機会があった時に、このアイデアを話したところ深く賛同してくれ、
「素晴らしい、是非、その中に入れていただきたい」
 と言ってくれました。あちらにも同じような問題意識を持っている人がいてくれたみたいです(ここまでしか言えないのが悲しいけれど)。
 
 岸見先生の『嫌われる勇気』を始め、たくさんの人たちの努力によって、せっかくここまで伸びてきたアドラー心理学の芽をまた摘んでしまわないためにも、大切な考え方ではないでしょうか。
 
 

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October 22, 2017

アドラー心理学の過去・現在・未来

 10月21日(土)は、東京・神楽坂のヒューマン・ギルドに行き、 「アドラー心理学の過去・現在・未来」というシンポジウムにシンポジストとして出ました。他に岩井俊憲先生、梶野真先生がご登壇です。
 
 台風接近の雨の中、定員ぎりぎりの29人が参加してくれたようです。久しぶりにお会いする方もいて懐かしかったですし、初めてお会いする方も多く、わざわざあいさつに来てくれる方もいて、新しくアドレリアンになってくれた方たちの息吹も感じました。
 
 さて、アドラー心理学の課題と未来像を描き出そうという、これまでにないテーマです。私も相当の覚悟を持って臨みましたよ(ちょっと大げさか)。
 
 シンポジウムといっても私たち3人が一方的にしゃべるのではなく、テーマごとにシンポジストが話した後に参加者同士のディスカッションをはさみながら進むという、双方向的で、わいわいがやがや的な雰囲気になってとても盛り上がりました。
 
 岩井先生が日本のアドラー心理学が、1983年頃からの野田俊作先生らとの立ち上げ、勃興期からどのように発展していったのか、時系列的に示されました。なんとその時の最初の講座に出席したという大先輩もいらっしゃって、時代の目撃者の話もうかがえました。
 
 そして、アドラー心理学史の「黒歴史」(とはっきり言ってしまおう)、1997~8年ごろの分裂騒動の経過が出ました。
 私はその時の目撃者ですから、自分が感じた思いや感じを率直に話しました。そしてなぜ、西方、アドラー・ギルドではなく、ヒューマン・ギルドを選んだかも正直に話しました。本来「暴露系」の私がここで少し本性を現しましたから、少々過激な言い方だったかもしれません。
 
 現在に至る過程は、私は自身の臨床歴とアドラー心理学の実践の仕方、私なりの努力、仲間の臨床家とここ10年近く積み重ねてきた心理系の学会での発表やシンポジウムの活動、日本臨床・教育アドラー心理学研究会の活動の報告をしました。
 
 梶野先生は、アメリカのアドラー心理学大学院留学の経過、体験談を話してくれました。
 
 さらに、私と梶野先生で参加した昨年の北米アドラー心理学会と今年7月の国際アドラー心理学会の様子も写真を映しながら報告しました。
 梶野先生は、この8月に仲間とウィーンにも行き、アドラーのお墓やゆかりの場所を訪ねた興味深い旅の様子も報告してくれました。お墓やアドラーが仕事をした診療所の写真などを見て、私もいつか行ってみようと決意しましたね。
 
 最後に、これからのアドラー心理学について、3人の思いを伝えました。
 そして、フロアのディスカッションとフィードバック。
 
 終了後はほとんどが懇親会に参加し、そこも盛り上がりました。私は紹興酒をかなり飲んで、真っ赤になってしまったようです。楽しかったね。これはお酒だけでない、アドラー心理学の歴史をみんなで共有した意識のためだったかもしれません。
 
 この時話した私の未来像は次回書きます。

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