July 23, 2008

「孤塁の名人」

 20世紀最高・最強の武術家として知る人ぞ知る存在が大東流合気柔術の佐川幸義

 その技量の高さは半端ではなく、まさに神業、92歳でなくなる直前まで屈強の若者や武道家、格闘家を投げ飛ばしていたそうです。

 私が尊敬する高岡英夫先生も、近代最強の武道家として、形意拳・意拳の王向斎老師とならんで佐川氏を挙げていました。

 80や90のお爺ちゃんが、体格や筋力の遙かに勝る男たちが本気でかかるのを、八百長やお手盛り抜きで一瞬で吹っ飛ばし、畳に完膚無きまでに叩きつけるなんて、壮快、まさに武道を学び達人を目指す者にとっては理想の姿ですよね。

 しかし、その実際の姿は一切マスコミ等表に出なかったので、ほとんど知られていませんでした。

 その佐川幸義をルポした本が出ています。

「孤塁の名人-合気を極めた男・佐川幸義」

 著者は作家として高名な津本陽氏。
 剣道を修め、時代小説のプロとして鳴らした著者が佐川氏と出会い、なぜか気に入られ、道場に出入りするようになり、大東流を学びながら、佐川幸義という人間を描写しているのです。
 資料的にも貴重な本です。

 帯の推薦文には、なんと極真空手館長の松井章圭氏が書いています。

 中身を見ると、佐川氏はもちろん登場しますが王貞治監督まで出て(一回体験稽古をしたようです)、なかなか豪華です。

 お弟子さんや普通のライターが書いたものとは違って、一級の作家ですから、やはり描写力が違い、佐川氏の実際の強さや門弟との関係、道場の日常が生き生きと描かれていて読んでいて面白いです。

 しかし、松井章圭氏が「大東流合気柔術を文章で表現できるのは、ご本人も武道をたしなまれる津本先生だけだと思います」と書いているにもかかわらず、確かに人が投げられたりするところはうまく描写しているけど、その佐川合気の秘密が明らかになったわけでは全然ありません。

 むしろ、「なぜだかわからん」「不思議だ」「不世出」といった感想ばかりで、解明はもちろん、津本氏は合気を学ぶこともあきらめてしまったようです。

 でも武道を学ぶ人は読んでみるといいと思います。
 こんな人が、ほんの10年ほど前までこの日本に実在したのだと知ることは、良いことだとじゃないかな。

 私も、一度、佐川幸義の合気を受けてみたかった・・・。

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July 15, 2008

汝自身を知れ

 一日の寒暖の差が激しく、完全に夏風邪を引いてしまいました。あー寒気がする。

 前回の記事で、副島隆彦氏の予測を紹介したように、ニュースではアメリカの金融危機がまた表面化したようです。どうなるんでしょうね。

 さて、子どもの問題行動や症状を正すには、今の心理臨床はたくさんの洗練された技法を持っています。

 そのまま受容・共感することの限界と無力は広く知られることとなり、強化スケジュールを分析したり、家族システムを変えり、解決イメージを作ったり、例外を探したり、認知を変えたり、砂の箱になぜかフィギュアをいっぱい入れたり、催眠や目玉を動かすなどなど、数え切れないほどあります。

 アドラー心理学は技法面では多様で折衷的ですが、アドラー自身が大事にしたのは、「誤った認知を直すこと」であることは改めて確認しておきたいと思います。

「教育困難な子どもたち」から

 そのためには、今の認知行動療法のようなやり方ができるはるか前から開発したのは、早期回想に代表されるライフスタイル診断の様式でした。

 子どもの家族の中での位置は、子どもたちを独自にまさに典型的に発達させます。子どもの職業の選択、空想、白昼夢、夢は、ライフスタイルに共感し、子どもをよりよく理解できるための手がかりを提供します。

 まさにそれらはライフスタイル診断として現在も私たちが学んでいることです。
 そして問題児や心理的病の子に対しても、

「汝自身を知れ」というのが優れた教育の手段です。それによって、私たちは、「ライフスタイルの」誤りについて子どもに完全な理解を得させ、誤りを排除するのです。子どもがこれらの連関を理解すれば、人生において決心をするようになり、もはや以前と同じ子どもではなくなります。自らをコントロールし誤りを一歩一歩ゆっくり解体し始めます。これが「汝自身を知れ」の成果です。子どもを罰したり、非難することでは、このような成果には決して達するころはできません。

 と子どもに「汝自身を知れ」と迫るのです。
 汝の誤りを理解せよというのです。

 誤りは普通「欠点」となって現れるので、これを指摘するのは確かに楽しい体験ではありません。これは「勇気くじき」でしょうか?かえって症状や問題行動は悪化しないのでしょうか?

 いや、やはり違うのです。「罰したり、非難するのでない」とアドラーも言っています。「反省」ともちょっと違うかもしれません。
 その子どもの力を信頼して、暖かく、やさしく、ユーモアを持って、なおかつ毅然と伝えるべきだとアドラーは考えたのだと、推察します。

 この辺は、子どもを無条件に受容するとかいうのとはちょっと違う、「そのままの君でいいのよ」なんて甘いことは言わないのがアドラー心理学。
 知らない人にとっては意外なところかもしれません。
「ダメなものはダメ」と言うのです。
アドラーはそのダメなものを「人生の嘘」と言いましたが、アドレリアン・カウンセラーは「暴き系」でもあるのです。

 しかしそこは、実際の臨床や教育場面では確かに難しいところがあるのはアドラーも認めています。

 誤りを犯す人に、その誤りを洞察してもらうことは、容易なことではありません。例えば、教育困難な子どものライフスタイル全体は、変えられることに抵抗します。ペスタロッチはいっています。「荒れた子どもを改心させようとするならば、必ず反抗し、困らせようとするだろう」これは無意識化されたライフスタイルの変えられたくないための防衛手段であり、機械のように「変わることなく」動き続けるでしょう。教育困難な子どもを治療したいと思うのであれば、多くの我慢と友情と隣人愛が必要です。子どもは、他の人に関心を持っている仲間を必要とします。このような「他の人への」関心を(自分は)理解していないとしても、感じることはできるのです。

 私もアドラーのひそみに倣い、ライフスタイル診断をしてその子のライフスタイル、認知スタイルを理解したと思ったら、その子に伝え、共有するようにしています。一緒に暴き合うのは、なかなかスリリングで楽しいセッションです。

 子どもの「仲間」になる大切なステップとなります。

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July 10, 2008

サミットのほんとのテーマ

 副島隆彦氏が、今回の洞爺湖サミットの「真実」を推測しています。
 やっぱりおもしろい。
 一部、転載します。

http://www.asyura2.com/08/senkyo51/msg/739.html

副島隆彦です。 どうも、今回のサミットは、「アフリカ支援」とか「原油、食糧の高騰への対策」と言いながら、その背後では、アメリカの金融崩れが、もうすぐ起きそうなので、それを阻止するための各国協調の話し合いが、裏で行われたようだ。

 日本に対するアメリカ・メディアの論調を読んでいると、「日本は頼りない。何もしない」というものだ。ということは、福田首相は、いくらブッシュ大統領が、日本政府や、郵貯銀行が、アメリカのサブプライム組み込み債の仕立て直し債(サムライ債)を買ってくれ。 

「福田よ。アメリカの国債か、RMBSかCDOを、100兆円ぐらい郵貯の資金とかで、買ってくれないか」とブッシュが言っても、全く相手にしなかったようだ。 福田の平然とした態度に、ブッシュはいつものヘラヘラした感じで、いつもの軽薄そうな感じで、「チェアマン、チェアマン」と呼びかけていた。「どうも小泉の馬鹿とは、違うようだ。フクダは、脅しても簡単には言うことを聞きそうにないな」と感じただろう。 

 もうこれ以上は、アメリカの犠牲になるのは御免(ごめん)だ、という日本国内の一致した考えを、ようやく理解したのではないか。 アメリカで、金融情勢が、一変しつつある。

 最近の強迫エコ症状に、「ほんとはこいつらエコで儲けたいだけだろ?エコロジーなんて全然わかってないくせに。ああ、ベイトソンが泣いている」と勝手に怒ってて、エコを煽るマスコミの論調に?だったのですが、こういう動きがあったのならわかります。

どうやら、アメリカの金融市場が、おかしくなって、次の「連鎖する大暴落」が起きそうである。上の3本の記事から分かるとおり、まず、メリルリンチが、大損を出して、取り付け騒ぎのようになっている。破綻(どこかに吸収合併)させるしかないだろう。

 リーマン・ブラザーズも、原油の先物取引市場で大きな失敗をして取引停止にされて、ここももう危ない。リーマン本体の危機と大損を、原油や商品(コモディティ)市場で、取り替えそうとして危ない博打(レバレッジ500倍とか)を仕掛けて失敗したのだろう。モルガンスタンレーの本体も、どうも傾きつつある。シティグループの株価が、10ドルを割りそうだという噂が広がっている。

 そして、ファニーメイと フレディマックの、アメリカの政府系の住宅金融公庫である、この巨大な金融法人に、いよいよ、それぞれ200兆円(2兆ドル)ぐらいずつ、政府資金(税金だ。tax money injection 、公的資金の投入) を行わなければなりつつある。

 そうしないと、サラリーマン階級への住宅ローン焦げ付き者への住宅の差し押さえが始まる。今度は、FRBの救済では済まない。直接、米財務省が、救済資金を出すしかないだろう。つまりドル紙幣(FRBから借りてくる。紙切れのような米国債をFRBに担保に差し出して)を、そのまま投げ渡すのだ。そして、今や、FRBの、自己資本率4%割れ が起きている。

 そして、さらに、アムバックや、MBIA(エム・ビー・アイ・エイ)などのモノライン大手4社の危機が深刻化している。すでに、株価は1ドル前後だ。ここが、安易に保証して来た、カリフォルニア州債や、NY市債などの地方債(ミニュシパル・ボンド)の保証機能が崩壊しつつある。そうすると、債券の格付け(レイティング)機能が崩壊する。ムーディーズとS&P(スタンダード・アンド・プアーズ)のこれまでの八百長が露見する。

 私が、「連鎖する大暴落」(徳間書店、2008年3月刊)で書いたとおりの事態が、遠からず起きるだろう。

 そこで、各国首脳のサミット(G8)は、裏で、何をやっているのか。アメリカは威張っているから、まだ「助けてくれ」とは言わない。だから、G8では、全面に白けムードが漂っている。

 アフリカ支援ではなくて、本当は、アメリカに対する金融支援が、隠れた本当の主題だったのだ。アフリカ支援は、カモフラージュである。その感じが、アフリカ諸国からやってきた首脳たちの拍子抜けしたような顔つきによく現われていた。

 「どうせ、お恵み金をくれて、自分たちはいいように使われて、世界金融危機の隠蔽(いんぺい)用に使われるさ」と、彼らの顔が語っている。今のアフリカの首脳たちは、ヨーロッパで学んだインテリたちである。先進国のそれぞれ汚い背景を持つ政治家たちを、密かに(あるいは公然と)軽蔑している。
 
 原油(クルード・オイル)は、1バレル(159リットル)が144ドルまで行って、少しだけ反落したようである。それでも、このあと、150ドルを越えて、どんどん上昇して、250ドルまではなるだろう。シカゴとニューヨークの先物市場の投機筋の動きを止める事は出来ない。

 サウジアラビアに、増産を促し、何とか石油の供給を潤沢にしようという計画だろうが、G8の首脳会議の決議をもってしても、投機筋の動きを封じる事は出来ない。「ペーパー・マネーエコノミー(各種の信用マネーの紙切れ経済)から実物経済(タンジブル・エコノミーへ)という、私、副島隆彦が唱えてきた大きな動き(トレンド)を変える事は出来ない。このまま過熱して投機化した実物市場が荒れ狂う。

 そのせいで、貧しい国と、先進国でも貧しい層の人間たちは、消費者物価の高騰(インフレ経済)の犠牲者になる。この不公平の事態が野放しにされれば、最後は暴動(食料品や電気製品の略奪)が起きるだろう。その事態を沈静化させ、食い止めるために、アメリカでは、バラク・オバマが、大統領に選ばれるようになっているのである。

 私も往復100キロの通勤ドライブをしていますが、ガソリン代高騰がボディーブローのようにかなりこたえてます。
 やがてリッター200円は避けられないというし、今日労働組合の話し合いに行きましたが、そこでも今年は、各職場から通勤手当の見直しが出されていて、それを最重要要求項目に入れる方針にはなっているけど、この公務員バッシングのご時世、まあ無理だろうな。

 ほんとにこわい、ハイパーインフレが来るのだろうか?

 最近、実家の母親と、庭に芋を植えようかと話しています。こういう時に強いのは、戦中派の百姓出身か。

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July 07, 2008

上野先生に学ぶ

 スクールカウンセラーの研修会に東京学芸大学教授の上野一彦先生が来県。テーマは「知的遅れのない発達障害児の心理アセスメント」。場所は山梨英和大学。

 日本LD学会会長で、WISC-Ⅲの日本版の開発をされた、いわずと知れた日本の発達障害臨床・教育の第一人者です。

 その研修会の事例提供者に、何と私がなってしまったのです。

 私は別にスクールカウンセラーをやっていないけれど、多くのスクールカウンセラーは実は知能テストの経験が少なくて、データの読み込み方がよくわからない人が多いので、私はWISCの実践数は山梨の臨床心理士の中でも最も多い方だろうからという理由で、研修のネタに事例を出すことになったようでした。

 確かに大学院を出たばかりで、相談機関や医療機関に入らずに、スクールカウンセラーで凌いでいる人はけっこう多いのです。
 そういう人は、知能テストを実施したり、結果を元に事例を理解する機会が少ないようです。
 それでは、少々困りますね。
 ほんとは、スクールカウンセラーも検査が現場で実施できるようになってくれれば、こちらもかなり助かるのですが。検査器具購入の予算とか、いろいろ難しいことはありますけど。

 しかし、あの上野先生の横で、まさか自分が事例発表して、拙い解釈が衆目のもとに曝され、検討されることになろうとは・・・。
 光栄なような、これまでのええ加減な態度がばれるのではないかと恐怖が湧いたりして。
 これには、さすがの私も緊張したわ。
 発表の冒頭は、顔が上気していたよ。いつも脳天気な態度がすっかり消えていたと思います。

 しかし、上野先生は、ご自身がLDだったとカミングアウトされるほどの人で、とても気さくで暖かく、最後に「大変良い事例をありがとうございました」と認め、励まして下さり、うれしかったです。

 そして、先生のWISCの解釈は、さすがに、すごい。的確で明快、詳細な分析に舌を巻きました。なんとなくわかっていても、こうは読めないと脱帽。
 背景にある知識と学問的研鑽、臨床経験が違いますわ。

 まあ、WISCを作った当事者ですから、日本で1番詳しいわけで、当然といえば当然ですが。
 かなうわけがない。

 この日の上野先生の発言の一端が、先生のブログに出ています。
 http://edublog.jp/kaz1229/archive/115#BlogEntryExtend

 先週は,奇しくも,IQでいえば70台,90台,110台という,3つのレベルの非言語性の,私どもの「軽度発達障害の心理アセスメント」(日本文化科学社)でいえば逆N型の典型例の子ども達のケースに出会いました。
同じタイプでも,推定されるIQのレベルもちがえば,教育環境もちがうし,年齢もちがうので, それぞれに発達の課題もちがうのですが,それでも同じ類型の共通点もあり,知能プロフィールの深遠さ興味深く感じました。

口頭言語が比較的なめらかなので,過大評価されやすいこと,期待されるレベルよりも空間認知課題につまずきやすいこと,特に周りの子ども達にとっては容易なことでも,苦手とする動作課題が目立ったり,そのギャップに本人もいらだちやすいこと,言語性のIQは相対的に高いのに,生活経験に結びつく「理解」が思ったより高くないこと。機械的な記憶は得意なのですが,学習の定着がわるく,勉強にもつまずきがでやすいこと。開発中のWISC-Ⅳで重視されるワーキングメモリーやプランニングの弱さがあるのかもしれません・・・

診断名からステレオタイプ的に受けとめたり,類型に無理に縛られたりしてはいけないのですが,やはりその共通性は理解の原点にもなります。
そうした大きな枠組み理解の中で,その子ども固有のニーズとその子どもの固有のリソースをいかに活用するか,真剣勝負の具体的アドバイスになります。

 上野先生、ほんとうにありがとうございました。

 終了後は、甲府駅前に飛んで、ワイン専門の居酒屋で、山梨のアドレリアンと飲み会(アドラーの夕べ)。
 秋に企画しているイベントについて、打ち合わせました。

 詳細については、いずれここでも発表します。

 

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目的論の理由

 アドラー心理学は行動の「原因」を因果関係に帰さず(原因論:幼児期の子育てが問題行動の原因だ、みたいな)、対人関係の中でどのような目的をもってその行動を選択したかを分析する目的論を取ります。

 目的論はアドラー心理学の大前提。

 アドラー自身はどのようにそれを説いたかを、「教育困難な子どもたち」から引きます。

 私たちは目標を置かずには、考えることも、感じることも、行為することもできません。この目標設定は、どんな運動においても避けることができないものです。一本の線を引く時、目標を目にしていなければ、最後まで線を引くことができません。欲求があるだけでは、どんな線も引くことができません。即ち、目標を設定する前は何をすることもできないのであり、先をあらかじめ見通して初めて、道を進んでいくことができるのです。このような目標設定は、人間が自ら動く生物であることと関連があります。もしも私たちが花や植物であれば、このような目標設定は何の意味もないでしょう。魂は運動であり、運動に関係し、自ら動く生物だけにあるものです。

 目標がコンテキストを作り、行動や欲求、欲望を意味づける。

 この視点からは、フロイトのエロスとタナトス、生の欲望とか死の欲望という概念は意味を持たないことになるのだと思います。

 原因論フロイトと目的論者アドラーの人間観の違いが浮き彫りになるところです。

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July 02, 2008

つながりの中での人間理解

「教育困難子どもたち」から、アルフレッド・アドラーの言葉を引きます。

 私たちは次のような確信に到達します。あらゆる精神の発達についての問いにおいて、〔行為の〕原因と動機は、他の人とのつながりのうちに与えられているということです。これは子どもだけではなく、全人類についていえることです。子どもの発達のすべては、どんな欲求や本能があるとしても、この〔他の人とのつながりという〕枠組みのうちにはめ込まれています。社会的なつながりは、それとは知らずに、前提とされているのです。人間は、方向を定められた欲求を持って生まれてくるのではありません。p25

「人とのつながり」、今風にいうと対人関係論とかシステム論といったところでしょうが、欲求なら欲求だけを取り出して、意味づけすることはほとんど意味がないことに注目する必要があります。

 いわゆる「科学としての心理学」なら、そこで当該システムの中でどのように個人やシステムの要素が振る舞うかを記述すれば良いのでしょう。
 そこから治療法(変化の起こし方)も生まれてくる可能性があります。

 価値観の心理学であるアドラー心理学は、そこからさらに人とのつながり=人類共同体にどのように貢献的になれるかを問いかけます。
 その点では、アドラー心理学は学問から離れて、思想運動(私としては、各心理学の意味づけ、方向付けをするメタ理論と呼びたい)となります。

 私たちが彼(事例の男の子:引用者注)に開くことができるのは、自分を有用なものにすることができ、〔かつ〕他の人の利益にもなるような道だけです。p26

 私たちの課題は、子どもを社会的な進歩の道具に作り上げるということです。これが世界観としての個人心理学(アドラー心理学のこと)の核です。p27

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June 30, 2008

「教育困難な子どもたち」

 久々のアドラー心理学本の紹介です。

「教育困難な子どもたち」アルフレッド・アドラー著,岸見一郎訳,アルテ

 今や子どもの問題は、たくさんの「診断名」や「障害名」で語られる時代になっています。
 その診断名を覚え、そこから現象を整理し、子どもや家族、環境を変えられるほどに使いこなせなければ、とても専門の臨床家、教育者とはいえないのです。

 だから、私も必死で勉強したよ。今もしてるし。あー大変。

 しかし、それらの「問題」が生じている子どもたちを、一言で要約すれば、すなわち「教育困難な子ども」としか言いようがないでしょう。

 本書は1920年代のウィーンで、アドラーが行った連続講演が元になっているそうです。主に教師たちに向けて、アドラー心理学を教育現場に導入するためのアドラーの熱弁が記録されているのです。

 訳者解説によると、アドラーは1919年から1920年にかけて、ウィーンに児童相談所を設立しました。世界で初めての児童臨床機関です。そこでは、

 アドラーはクラスの様々な生徒への対処について助言を求める教師の相談に応じることができるようになった。アドラーは、教師が出すケースについて教師に質問をした後、概括し、さらに実際に当の子どもと親のカウンセリングをアドラーが親の前でしてみせた。

 やがてこのアドラーの無料セッションは広く親の関心を引くことになり、個人心理学に通じた精神科医、心理学者が率いる治療チームが、週に1度、あるいは2度、学校の空いた教室で子どもと親の面接をするようになった。チームはウィーンの教育委員会から報酬を受けておらず、親子のいずれが先に面接をうけるなど形式はいろいろだったが、家族は無料で支援を受けることができた。

 まだ詳細な診断名が確立されるはるか以前のこと、今の「科学的心理学」の目からは荒削りに見えかねませんが、それを越えて、既に子ども臨床の本質に到達していたアドラーの力量と迫力を感じ取れる本です。

 その発想と技術は、今でも完全に適用可能です。

 しばらく、本書から気に入ったところを抜粋、紹介します。

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June 24, 2008

メタローグから

 前回の記事にあったベイトソンと娘の会話(メタローグ)について、「やさしいベイトソン」から少し解説します。

 ベイトソンの本は、小難しい論文だけでなく、娘さん(実の娘メアリーがモデルらしい)との会話が随所にあって、ベイトソンの問題意識と思考方法が浮き彫りになっていて、とてもおもしろいですよ。
 是非読んで下さい。

 本書では、ドン・キホーテが著者の代わりに語ります。

「この物語(本書のこと:私注)を始めるにあたって、わしはなんとなく右の会話(前回のメタローグ)が気になってな。本能とか重力とか、これらたいそうな『真実』も実は、説明原理、つまりストーリーだと気づかせてくれるからじゃ。わかっていてもこの一大事、人は拙者も含めて、いきおい忘れがちじゃ。『文化』もそうなら『精神分裂症』も説明原理であることをな」
「ていうことは、実際にはそんなものは存在しないっていうことですかい?」
「あると言えばある、しかし、ないと言えばない。サンチョどん、この話はすこし待って欲しい。いずれ・・・」
「旦那様、わしはそういう言い方は嫌いでがす。話についていけるようしてもらわんと」
「では、手短に述べておくことにするが、馬上からわしの槍が地面に落ちたとしよう。『重力によって落下した』という説明を聞いて、お前はなんと思う?『なるほど科学的だ』とか『そりゃうまい説明だ』と思うか、『それは神のご意志だ』と思うか?どちらも説明原理じゃ。『幸運の女神』もそうなら『先祖の霊』も同じじゃ。しかし、一方を真実だと思う人が、もう一方こそ真実だと思う人を糾弾することがどうしてできよう」
「信じることが真実になるということでがすか」
「日常生活においてはそのとおり。わしらの修行生活もまたしかりじゃ」

 ベイトソンの言いたいことがわかってくると、私は臨床心理学の世界がいかに「説明原理」だらけかがわかってきて、じゃあ、それなら自分によりフィットする説明原理を選ぼうと思うようになったのでした。

「リビドー」「抵抗」はつまらなそうだし、「集合的無意識」「元型」は魅力的だけどよくわからないし、「行動」は最も強力だけど視野が狭そうな気がしてね。

 アカデミックな厳密さはないけど、「勇気」や「目的」「共同体感覚」が現場しか知らない自分にはフィットしたから選んだということではないかと、最近思います。

 ついでにベイトソンの遺産は、家族療法やブリーフセラピーに受け継がれたけど、全てではない気がします。
 それは実利的な半分。

 もう半分は、科学批判というか心理学ではトランスパーソナルの方向性、世界をエコロジカルに見る関係性の思想ではないかと思っています。

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June 22, 2008

「やさしいベイトソン」

 前々回書いた、「ベイトソン・セミナー」の主催者の文化人類学者・野村直樹氏が、20世紀最大の思想家・グレゴリー・ベイトソンについて、これ以上ないというくらいやさしい本を書いてくれました。
 その名も

「やさしいベイトソン-コミュニケーション理論を学ぼう」金剛出版

 ベイトソンの著作は文体や文章自体は、他の思想家、例えばフランス現代思想の人たちに比べて大して難しくはないのに、なぜか「難解だ、難解だ」という声を聞きます。

 どうしてなんだろう。

 私にはポストモダンの思想家やフロイトなんかの方が、よっぽど難解でわけがわからない。
 むしろベイトソンは、気持ちのやさしさがそのまま誠実な書きっぷりにつながっているような思いすらあります。
 真っ当すぎて、わかりにくいのか。

「ベイトソンの書き物は、はじめ読んだときには、頭がおかしくなるほど何のことかわからない。しかし、そのうちに、頭がおかしくなるほど鮮明に理解されてくる」
 という言葉があります。

 確かにベイトソンを読むと何か知識が貯まるという感覚は乏しくて、有名なダブルバインドとか概念や理論の一部を取り出して要約してもあまり意味はないと思います。

 ただ、物事を実体ではなく、関係として、関係のネットワークの中の点として見ることができ、世界観が気がついたら変わっている、そしてこれまでの物事の理解のしかた、表現の仕方のどこかに違和感を感じ、何か問いを発したくなる、そんな作用があります。

 ベイトソンは「精神の生態学」で、自分の娘との対話という形で、その問いの扱い方を書いています。

娘「パパ、本能って、何なのかしら?」
父「本能とはね、一つの説明原理さ」
娘「何を説明するもの?」
父「何もかもだ。説明してもらいたいことなら何でも説明してくれる」
娘「うそでしょう?重力は説明してくれないわ」
父「それはだね、だれも、”本能”で重力を説明したくないからだ。その気にさえなれば、立派に説明してしまうよ。月は距離の二乗に反比例する力で、物体を引きつける本能がある、とかね」
娘「そんなの、ナンセンスじゃない」
父「そうさ、だが本能なんてこと言い出したのはお前だぞ。パパじゃない」
娘「いいわ。でも、じゃあ、重力は何で説明したらいいの?」
父「重力を説明するものか。それはね、ないんだ。なぜなら重力が一つの説明原理だからだよ」
娘「ふーん」

 とても面白い会話ですね。
 本書ではベイトソンが思索でよく使った父娘の会話(メタローグといいます)に習ってか、ドン・キホーテとサンチョ・パンサの会話という形で、ベイトソンについて語り合うことで、ベイトソンの世界を解き明かそうとしています。

 題名の通り、ベイトソンがやさしいと思える格好の入門書です。

 

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June 18, 2008

続・ブッシュ弾劾

 前々回、天木直人氏のブログのブッシュ弾劾の記事を紹介しましたが、その後正しい情報が入って、天木氏も訂正したので、追加し、訂正します。
 TBでもご指摘してくださった専門家らしい方、ありがとうございます。

 しかし、

 なにしろ下院議員(オハイオ選出デニス・クシニッチ・民主)がブッシュ大統領の弾劾決議案を提出し、下院本会議が、251対156という圧倒的多数で、それを司法委員会に送付することを可決したのだ。

  司法委員会がこの決議案をどうとりあつかうかは、米国政治の大きな政治的駆け引きとなるに違いない。

  だからブッシュ大統領が本当に弾劾されるかどうかはわからない。

  しかしこのような弾劾決議案が提出され、それを検討せよと下院本会議が判断した事自体が大きな事件であるのだ。

 私もそう思うし、思いたい。
 これをもって天木氏の意見は軽率であるかの意見があるようですが、そうは思えない。

 私にしてみたら、ブッシュらその支持者連中に少しでもイヤな情報は、どんどん流してほしい。
「決議した」でなく「送付」だっていい。それが正しい情報なら。その上で、「米国の新しい動き」「つぶされかかっている少数意見」があることだって、日本人が知ったってよいでしょう。
 要は伝え方です。 

 日頃どうでもいいことばかり垂れ流したり、公正中立な顔をしてブッシュ・小泉だけでなく、ある層にだけ有利な情報を選択的に流しているはずのメディアに、それを要求することは全く正当なことだと思います。

 先のグレゴリー・ベイトソンが確か、情報の世界では0は何も「ない」ではなく、何か「ある意味」を伝えるのだ、といった趣旨のことを言っていたのを思い出しました。

 情報とは差異ですからね。

 報道しない、ということは何かを伝え、するということは別の何かを伝えることになるのだと思います。

 特にこういうのは、「疾きこと風の如く」が肝要です。

 ガンガンいきましょう、天木さん。

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