November 09, 2009

アドラー心理学Q&A・5

Q.アドラー心理学は実践の学だが、厳密な学問としては、構成概念としての諸概念がきちんと定義されていない、十分に整理されていないように思われる。

A.劣等感や目的、勇気、共同体感覚などの諸概念は、もちろんいわゆる構成概念であり、何か手に触れられるような「実体」を指し示すものではない。説明のため、実践のために論理的に一貫して使えればよいと考えるものである。

 一方で、私は単なる構成概念であることを常に意識しているつもりだが、実践していく上には諸概念があたかも実体であるかのような実感、臨場感を持つことは必要であろう。
 そこでは「勇気がある/ない」「共同体感覚がある/ない」と言い合っても、あながち間違ってはいないと思う。
 数学者にはそれよりはるかに抽象度の高い数学的概念を、臨場感を持ってありありと感じる人がいる、例えば「虚数は存在する」などととまで言う人もいるらしい。それくらいでないと本物ではないのかもしれない。それに比べれば臨床心理なんてかわいいものだ。

 アドラー心理学の構成概念のほとんどは、操作的に定義されていないのも事実で、その点ではオーソドックスな研究者には問題に見えるかもしれない。

 ただ、私から見ると他の心理臨床学の学派に比べて、ことさらアドラー心理学の概念が曖昧であるようには見えない。自我やリビドー、転移、無意識などの精神分析学の概念よりよほどクリアーだし、共感や愛着、トラウマより扱いやすくできていると思う。

 さらに目的論や主体性、人間関係論、認知論といったアドラー心理学の諸前提が、一種の公理となって緊密に結び付き合っていて、ほとんど矛盾のない理論体系を作り上げている。
 その完成度が高すぎて、アドラー心理学はかえって外からは進歩がないように見える、あるいはブラックボックスみたいで近寄りがたいという印象を与えているような気がしてならない。

 逆に精神分析学は曖昧で矛盾が多すぎて、それを歴代の研究者が処理することが「学問的進歩」とされてきた歴史ではないか、とも感じる。

 アドラー心理学の諸概念が操作的に定義できるかどうかは疑問だが、例えばアメリカには共同体感覚を測定する質問紙も開発されているようで、そういうところではそういう試みがなされているのかもしれない。調べてみたい。

 私としては、いわゆるアカデミックな厳密な研究のパラダイムに乗らないところ、必ずしもエビデンス・ベースドにはできないところも、しっかりと思考と実践の対象にしようとしているのがアドラー心理学であると考えたい。

 人は数値やエビデンスのみでは動かない。エピソードによって動くのだ。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

November 05, 2009

文武両方の日

 11月3日の文化の日は晴れの特異日だそうですが、まさに快晴。でも東京はちょっと寒かった。私は忙しくて熱かったけど。

 午前中はヒューマン・ギルドで「アドラー心理学ゼミナール」に参加。

 アドラー心理学を学び実践している仲間が月代わりで講師となり、発表するというもの。今回は、山梨のアドラー仲間、佐藤丈さん(清里高根小学校教諭)による、「教育に活かすアドラー心理学」

 佐藤さんは、毎月のヒューマン・ギルドに欠かさず出席され、活発な議論に参加し、私の出た教育心理学会自主シンポジウムにもわざわざ静岡まで来てくれたりと、今私の知る限り最も熱心なアドレリアンです。

 そんな佐藤さんが類い希な素晴らしい実践をなさっていることは、日頃お話しさせていただく中でよくわかっていましたが、今回の講義を聴いて改めてその質の高さに感嘆しました。

 授業をするってこんなに楽しいことだったんだ、クラスがつながるとはこういうことをいうのだと分かりやすい話と動画とスライドで、手に取るようにわかりました。

 その様子は、岩井俊憲先生のブログで見ることができます。

 教育に携わる方は、是非、アドラー心理学のクラス会議(ただの学級会ではないぞ)を学んでほしい。

 午後は池袋の公会堂に飛び、私のもう一つのホームである全日本柔拳連盟の演武会、レセプションに参加。

 毎年この時期に開かれる演武会ですが、今年は王樹金老師来日50周年記念ということで取り分け盛大に行われていました。

 日本に誰が最初に太極拳を伝えたのか?1972年の日中国交回復後か?
 いえいえ、それよりもっと前、1959年に台湾・中華民国の推薦で日本に招聘された台湾の人間国宝・王樹金老師が初来日したときだったのです。
 これは明確な事実です。
 つまり今年は、日本に太極拳などの本格的な中国武術が伝わって50年なのです。

 それは当時けっこうなニュースになって、始まって間もないテレビにも出演したり、並みいる挑戦者をいとも簡単に弾き飛ばす王老師のけた外れの強さに、空手や柔道が中心だった日本武道界には衝撃が走ったといわれています。

 演武会では、王福来老師はじめ、伝統を守る老師たちの素晴らしい動きを凝視し、頭に焼き付けようとしていました。
 そのせいか、今日の自分の形意拳や太極拳の稽古では心なしか少しうまくなったような気が・・・。

 そして、その演武会では、推手(太極拳の組み手)の試合があり、私の主宰する教室の生徒が3人出場、全員が一回戦突破、一人はベストエイトまで進み、まずまずの結果でした。
 みんないつも熱心に稽古に来てくれた成果が出てよかったね。

 というわけで、私の主活動であるアドラー心理学と中国武術の2つの大事なイベントが重なり、まさに「心と体の文化の日」となり、なかなか充実した一日を過ごさせていただきました。

| | Comments (2) | TrackBack (0)

November 02, 2009

武田勝頼は生きていた!

 歴史では、武田信玄の息子で、その後を継いだ武田勝頼は織田・徳川連合軍に攻め立てられ、最後は甲斐の国(山梨)の天目山(現甲州市の山奥)に追い詰められ討ち取られ、武田家は滅亡したことになっています。

 しかし、最近実は武田勝頼は逃げ延びることができ、はるばる四国まで落ちていたことと主張し、地域興しにまでなっているところがあるらしいです。

 その驚きの地はなんと四国は、土佐。

 その地には古くから勝頼が落ち延びてきて、名を変えて生き延び、活躍していたという伝説が根強く伝えられているそうです。なんでも勝頼や諏訪ゆかりの寺社や伝承が数多くあるとか。
 武田勝頼の会というのがあって、地道な考証を重ね、山梨や諏訪への調査もしてきたそうです。

名だたる戦国武将・武田信玄の4男である甲斐武田家20代当主「武田勝頼」は、定説では天正10年(西暦1582)天目山で自害したとされていますが、高知県吾川郡仁淀川町に残る影武者説では、武田勝頼は織田軍からの敗走後、当時の土佐の武将・香宗我部氏を頼ってこの土佐に落ちのび、その後、この大崎村川井(現仁淀川町大崎)に入り、以後、名前を「大崎玄蕃(おおさきげんば)」と変名し、この地で25年ほど活躍し、慶長14年(西暦1609)8月25日64歳で逝去され、鳴玉神社に葬ると記録(仁淀川町及び佐川町に残る武田家系図に記載)があります。

 「武田勝頼土佐の会」は、土佐(高知県)における武田勝頼落人伝説に基づき、
 2009年8月に武田勝頼が没後400年を迎えることからこれを記念するとともに、
この地で伝えられてきた「玄蕃踊り」(踊りの象徴である「花台」も復活!)や「玄蕃太鼓」を通して、さらに周辺地域の民俗芸能団体もご参加いただき、地域を元気に盛り上げていくイベントを開催するものです。

 いいですね、まさに歴史ロマンです。

 私は山梨生まれの武術家ですから、当然武田ファン。

 勝頼が生きていたなんて面白いじゃないですか。
 いや、実際そうかも。当時の首実検なんて、実際それが本人かどうかわからないことが多かったそうだし。

 武田勝頼は父信玄があまりにも偉大で、しかも長篠の戦いの大敗とその後の滅亡のために徒に評価が低いきらいがありますが、実はとても強くて有能だったという評価も最近出てきています。
 実際武田の版図は勝頼の代で最大になっていますし。
 時代の流れが味方しなかったのでしょうね。

 そんな勝頼の遺徳を遠く土佐の地で偲んでくれているなんて、うれしいじゃないですか。

 是非、応援したいと思います。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

October 28, 2009

アドラー心理学Q&A・4

Q.アドラー心理学がおそらく効果的なのは、ブリーフセラピーや認知療法など類似のアプローチが効果的なのと同様に確かなのだろう。しかし、そのエビデンスは実際どうなのだろうか?

A.アドラー心理学は、数々の無視と迫害(被害妄想?)にもめげず、100年生き残ってきて、多くの領域の実践者から良い評価を常に得てきた。
 その間、理論的、技法的に似ているアプローチがよりシンプルに、対象や目的を絞った形で、科学的に厳密な方法をひっさげて登場するに至り、21世紀の臨床心理学は、アドラー自身が予言したとおり、ほとんどが「アドラー心理学化」することは明らかになったと私は見ている。
 その意味でアドラー心理学に関する歴史的、経験的なエビデンスは確固たるものがあるといえる。

 20世紀の臨床心理学において、精神分析学と行動科学が表の番長なら、アドラー心理学は裏番長であったと半分冗談で私は思う。

 しかし、逆に「アドラー心理学固有のエビデンスはあるのか」、と問われるとそれを明確に出すのはなかなか難しいのは認めざるを得ない。これまでのアドラー派の力不足か、今のエビデンスの評価基準に合うようにうまく取り出せないままになってしまっているようにも見える。

 これは誠に重要な問題であり、今後の研究に委ねたい。

 いや、私が知らないだけかもしれない。
 これまで日本にはアドラー派の臨床向けの文献があまりにも少ないため、最近は北米アドラー心理学会の学会誌を取り寄せて見るようになったが、なかなか面白い研究や論文が多い。
 日本にはまだ知られていないアドラー心理学の側面がたくさんあるようだ。

 今後面白そうな情報は、本ブログでも紹介していきたい。

 しかし、いわゆるエビデンス・ベースド・アプローチは精神医療のクリニックや外来といった狭い枠組みの中で適用しやすいパラダイムであり、勇気づけといった日常生活の何気ない細かいやり取りや、共同体感覚の育成といった人間的成長の長いタイムスパンの両方に焦点を当てているアドラー心理学には向いていないともいえる。

 私のホームであった児童相談所臨床も、閉じられた空間が作れる精神科臨床と違って様々な職種が同時並行的に複雑に関わるため、単一の因果関係で語ることはあまり意味がないのと同様の状況である(両方を経験した私はそう思う)。

 またアドラー心理学は全体論の立場を常に意識しているため、技法固有の効果というものは意味がないと考えているのかもしれない。

 アメリカにおける効果的な心理療法の要因研究の結果では、技法が占めるのは15%に過ぎず、治療室外の出来事の影響を意味する治療外要因は40%、クライエントとのラポールや治療同盟という関係要因は30%、期待や希望・プラセボ要因が15%程度といわれる。

 アドラー心理学が効果的なのは、技法は折衷的でかなり多く相手によって使いこなし(技法要因の向上)、「横の関係、相互尊敬・相互信頼、目標の一致」で治療同盟を徹底して作り(関係要因の向上)、勇気づけで「希望を処方」し(期待要因の向上)、日常生活の実践を重視する(治療外要因の利用)のだから、全ての効果的になる要因を踏まえているので「効く」のは当たり前といえる。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

October 23, 2009

宝地図を作る

 山梨の仲間でやっているアドラー心理学の学習会が先週末にあり、いつもはカウンセリングや勇気づけなどアドラー心理学のキーワードをテーマにしているのですが、今回はちょっと趣向を変えて、宝地図(トレジャー・マップ)作りをしました。

 宝地図とは、自己啓発系といっていいと思うのですが、その領域では割りと知られていて、非常に強力な目標実現、願望実現法とされています。

 大きな画用紙やコルクボードなどを使って、中央に自分の写真を貼り、その周囲に自分の夢やゴール、達成したいことをイメージできる写真や図像を直感的に貼っていくものです。

 ゴールの視覚化と潜在意識に植え付けるのに有効とされていますが、実は20年近く前から密かに私も個人的に愛用している技法でした。
 20代半ばの若い頃でしたが、アドラー心理学と同様、これもヒューマン・ギルドで学んだのです。

 実はその時は半信半疑だったのですが、その時期に願っていたことが割りと早くかなったり、実現への道が次々と見えてきて、その「威力」に驚いたことがあります。
 あの時作った宝地図の内容は、ほとんどかなったと思います。例えば、当時はまだ臨床心理の仕事はしたかったけどできないでいて、自分のいる山梨県の福祉の世界では道も閉ざされていたのですが、その後(運や偶然や自分の努力が重なり)実現したり、とかですね。
 やはり夢や希望は、視覚化していつも心に抱いていることが大切なのを、宝地図から学んだような気がします。

 今回アドラー心理学の学習会で宝地図をやったのは、宝地図の普及に尽力している望月俊孝氏(この人も山梨出身!)の里帰りセミナーが甲府市で開かれ、アドラー仲間のアドママさんが学びに行ってくれたので、みんなで一緒に作ってみようとなったからです。

 雑誌やパンフレット、カタログなどを持ち寄り、はさみでチョキチョキ切り、自分のイメージや直感に従って貼って作っていきます。

そして、出来上がりをお互いに発表し合いましたが、みなさん、家族のこと、仕事のこと、レジャーや趣味のことなど、いろいろな夢を持っているんだなあと感心しました。

 みんな、かなうといいね。

 私が今回何を願って作ったかは、ヒ・ミ・ツ。

 いつかかなったら教えてあげます。

 宝地図は一種のコラージュ療法ともいえますが、普通のコラージュは箱庭みたいに内面を自由に表現するものですが、これは自己理想や将来の自分の姿を明確化するのに役立ちます。

 手間さえ惜しまなければ、アドラー心理学や解決志向アプローチのカウンセリングや臨床にも使えるものだと思います。

 詳しくは望月俊孝氏の宝地図のHP「宝地図公式サイト」

 

| | Comments (0) | TrackBack (0)

October 19, 2009

アドラー心理学Q&A・3

Q.アドラー心理学は、論理情動行動療法、認知療法、ブリーフセラピーなど最近のほとんどの心理療法の学派に影響を与えている。アドラー心理学がそれらの元になっているのはよくわかるが、あえていえばたとえそれがルーツであっても、今はそのように各学派が発展しているのだから、わざわざアドラー心理学を使わずに心理現象を説明しても良いのではないか?

A.もちろん、他の理論でうまく説明でき、実践もうまくいくならアドラー心理学を使わなくてもかまわないと思う。
 私もブリーフセラピーや家族療法、認知療法はよく使うし、参照することが多い。本ブログ以外の現場では、人前でアドラーを連呼したりはせず、論争もけして挑まず、相手に合った言葉を使っている。
 ほんとはとても折衷的な人間なのだ。

 しかし、逆にいえば、同じように心が説明できるなら、アドラー心理学を使ったってよいではないかとも思う。
 そこは卑屈になる必要はこちらにはない。

 私は学者でも研究者でもないが、確か学問では、自説に影響を与えた先人や引用元があるときはそれを明示することが最も大切だったはずであるが、アドラー心理学に関してはエレンベルガーが「無意識の発見」で述べたように、「誰もが無断で剽窃していく」が如きなので、少なくとも我々「後継者」を自認する者は、言うべきことは言った方がよいだろう。

 最近は認知行動療法を臨床心理学のグローバル・スタンダードとする流れが世界中で優勢になっているが、それはそれでよいことだと思う。アドラー心理学と実践上の相性もよいので、私はその流れに乗るつもりだ。

 ただたとえ、似たようなところがあっても、単一のアプローチ、発想ではカバーしきれないもの、表現しきれないものはあり、重点の置きどころの違いで、心理臨床家の側の物語は違ってくると思われる。

 精神分析学は、人はいかに病気かを描写したいというニーズに応えるものだった。

 ブリーフセラピーは、臨床家が面接がもっとうまくなりたい、治療の達人になりたいという切実なニーズに応えようとするものだった。

 認知(行動)療法は、ある特定の精神疾患を確実に治したいというニーズに応えようとするものだった。

 ではアドラー心理学はどうか?
 それはなんと、つまるところ、「人類を幸福にしたい」「地球の平和を守りたい」というウルトラマンみたいな、誇大妄想というか気宇壮大なものなのである。
 共同体感覚なんてまさにそう。
「そんなの心理学か!科学か!」とお怒りになる向きもあるかと思うが、でも結局全ての学問の目的はそこにあるはずなので、それを真正直に言っただけであり、反論はできないはずだ。

 ただ、それを政治経済のレベルではなく、また妄想的に文学的に語るのでもなく、個々の日常生活のレベルで楽しく実践できるように考えようというのがアドラー心理学であると思う。

 私から見れば、そういった思いの心理臨床領域での具体的発現がブリーフセラピーであったり、認知療法であるように見えるのである。

 しかしだからといって、別に常に正しくあれとか、人々に尽くせとか、間違いを犯すなと道徳的に言っているわけではなく、聖人君子を目指しているわけでもないことは、あえて指摘しておきたい。

 アドラー心理学の実践では、気楽で楽しく、ユーモアに満ちたものを目指したいのである。

| | Comments (2) | TrackBack (1)

October 18, 2009

講座を2つ

 シリーズものが続いていますが、ちょっと告知を。

「子どもの発達と病理」セミナー
   10月24日(土)13:30~18:30
(内容)
 幼児期から思春期に至る子どもの心理を病理的な側面も加味してしっかり学びます。

「アドラー心理学を子ども臨床に生かす」セミナー
   10月25日(日)10:30~16:30
(内容)
 講師の児童相談所での体験を元に、アドラー心理学をベースに他の臨床の動向も知りながら、自信を持って活動に向かえるようになることを目的として開催します。

 講師はな、な、なんと私が務めます。

 場所、申し込みはヒューマン・ギルド

 一日目は発達障害や虐待、二日目は心理アセスメントについて、ごく基本的なことですが、子どもの問題を扱ったり支援するには知っておいた方がよいことを改めて取り上げて、参加者と確認し合い、お互いのスキルアップを目指したいと思っています。

 関心のある方は是非、お申し込み下さい。

| | Comments (2) | TrackBack (0)

October 14, 2009

アドラー心理学Q&A・2

 引き続き、Q&Aです。思ってることを書き散らしていきますよ。

Q.アドラー心理学が共同体感覚を大事にしているのはわかるが、現代社会は共同体が壊れていくプロセスにあるともいえる。そういう中にいることを好む人も世には少なからずいるはずで、そういう人たちにどのように応えていくのか?
 また資本主義社会は数値や売り上げが第一で、そのような世界でアドラー心理学は本当に通用するのだろうか?

A.確かに資本主義経済の社会は共同体を破壊する方向で進んできた。一家に一台車があるより、家族4人全員が持てば、4倍の売り上げになるのは当然の論理である。そのために共同体より個を重視するのは必然の流れであった。

 私自身も田舎育ちだが、必ずしも農村共同体の規範や人付き合いが好きというわけではない。都会的な個の感覚を居心地良く感じる一人でもある。
 しかし、このままで良いのかという危機感は持っている。

 共同体より孤立した個を好む人がいても、「心の治療」とはつまるところ何らかの「つながりの回復」のことに他ならないので、その人がアドラー心理学がお好みでなくてもかまわない。
 アドラーのアの字も使わなくても、効果的な心理治療はすべて、共同体感覚的なものを回復させているはずだからである。
 その人のお好みのアプローチを採用すればよいだけであろう。

 実際今の社会状況はアメリカ型資本主義が崩壊の道を辿っているといえるかもしれず、既に共同体の問い直し、回帰が起こる兆しが方々に出ている。
 今後、アドラー心理学の共同体感覚という発想がさらに重要になってくる可能性は高いと思われる。

 その際は、既存の共同体に適応することが共同体感覚の獲得とは限らないことに留意する必要がある。
 未だ現れていない共同体を模索すること、なければ創造し、自分に合ったところを主体的に選択することが大切な発想となろう。

 また、そのような未来のことではなく、現行の社会の中でも、実践者の数こそまだ少ないがアドラー心理学の「威力」は既に発揮されている。

 私の師匠の岩井俊憲氏は企業研修・経営コンサルタントのプロであり、アドラー心理学を使って激しい競争の研修業界で何十年も生き抜いているし、実際多くの企業や団体が助けを求め、エネルギーをそこから得ている。

 逆にいえば経営者や管理的立場にいる人は、売り上げや数値だけでは人も企業も育たないことを直感的に理解しているのかもしれず、アドラー心理学的なものを求めているのかもしれない。

 実際大前研一氏のような「アドラー贔屓」をはっきり言明している人もいる。

 企業だけでなく、さらに結果重視のはっきりしたトップスポーツの世界でも、アメリカのアドラー心理学大学院で学んだ平本相武氏が選手たちにコーチングをしてめざましい成果を上げている(柔道金メダルの石井慧選手や早大ラグビー部中竹監督など多数)。

 適切な例えかわからないが、社会を戦場に見立てれば(やはりそういう面は否定できない)、教育は優秀は兵士を育てる場、臨床は負傷兵や帰還兵をケアする場であり、企業研修やコーチングは戦場に出向いて現役兵士に戦い方を教える場ともいえる。

 それら人間社会の全ての領域にアドラー心理学をバックした実践が役に立つ可能性が高いことは、もっと注目されてもよいと考えている。

| | Comments (3) | TrackBack (0)

October 10, 2009

アドラー心理学Q&A

 秋の学会自主シンポジウムのレポートが終わったところで、その討論の時に出た質問に対する私なりの考えをしばらくここに述べたいと思います。
 教育、心理臨床両学会共、とても活発に質問が出されて議論が行われ、改めてとてもありがたかったと感じています。
 しかし、限られた時間の中で、私に向けられたものに十分に考えて答えることができなかったり、どうしても言葉足らずのところがあったので、改めて検討してみたい気持ちがあります。

 ここにあげる質問内容は、指定討論者の先生やフロアの先生がお出しになったものを、私の記憶で再構成したもので、それに対する答えも他の先生がおっしゃったものもありますが、私が同意したものとして私の理解を通して載せますので、誰が言ったとかではなく、全て私の自問自答的なものとして書かせていただきます。

 アドラー心理学の課題や将来について、議論のネタの一つになればいいと思っています。

Q.アドラー心理学では未来の目的論から考えるということだが、例えばADHDは器質的な問題といういわば「過去に生じた原因」が想定されている。アドラー心理学ではこのような問題にどのように考えているのか?
 一般の心理学の原因論とアドラー心理学の目的論を表裏のようにして統合させて説明することはできないか?

A.アドラー心理学でも器質的な影響があることを受け入れている。むしろ、歴史的に全てを「内面の問題」「親子関係の問題」など心や対人関係に原因を帰そうとしていた臨床心理学とは最初から一線を画していた。

「全体論」「器官劣等性」という基本前提や概念が、そういう器質や身体性の次元の重要性を持つことにつながっているのだろう。
 しかし、その器質的な特徴を持っているからといって成長して機械的にその子がADHDになるとは、アドラー心理学ではけして考えてはいない。

 大事なのは、そういう器質に対して、その人がどのように態度決定をしたか、その主体的決断(意識的にせよ無意識的にせよ)があると措定して「信じて」いるのがアドラー心理学である。
 これを「ソフト・ディターミニズム(柔らかい決定論)」と呼ぶ人もいる。

 初期のアドラー心理学では「劣等感の補償」と呼ぶ現象である。

 あるいは多動性や衝動性として現れる自分の体の特質という「ライフタスク」の問いかけにどう応えるかという問題といえるかもしれない。

 その主体的態度決定の結果、ネガティブな行動がなされると、診断的カテゴリーではその子がADHDと診断されることになったりするのだろう。
 アドラー心理学のライフスタイル類型でいうと、ADHD的な人全てが「エキサイトメント・シーカー(興奮を求める人)」になるわけではなく、「ドライバー(一位を目指す人)」や「ベイビー(依存的な人)」にもなり得るし、選択の可能性は限りなくあるといえる。

 したがって、生物学的原因論とアドラー心理学的原因論は質問にあるように、「個人の主体性・創造性」を起点にすれば、表裏のように統合することは可能であると思われる。

 この点で、最近の臨床心理学のアセスメント論では「生物心理社会モデル」を採用して人の心の問題や症状を説明しようという考え方が優勢であり、アドラー心理学とほとんど重なるものである。
 ただ、そこに「未来志向性・目的・目標の最重要性」は取り入れられておらず、それぞれの領域の所見をただ図式的な構造としてつなげているだけであるように見える。

 それは認知行動療法のような最新のモデルは、あくまで近代科学的因果論に基づいているが、アドラー心理学はあくまで現象学的、個人の主観的な視点を中心においているためと思われる。

 しかし、ただいまブレイク中の脳機能学者・苫米地英人氏の主張では、最新の認知科学や哲学でも「目標の最重要性」「時間は未来から現在、過去へ流れている」という考えが説かれているそうで、確認はしていないがそうであるなら、もしかしたらここでもアドラー心理学の視点は今でも世界を先取りしているといえるのかもしれない。

| | Comments (2) | TrackBack (0)

October 06, 2009

【緊急告知】私は大丈夫です

 先週末に、ある女性から奇妙な電話が職場にありました。

 不審に思った上司が私を呼んで、その電話をかけてきた人の名を知っているかどうか聞いてきました。
「いや、知りません」
「昔、○○という勉強会で君に会ったとその方は言うんだが」
「ああ、それなら確かに10年近く前に通っていたところですね。その名前の人はいたような気もしますが、よく覚えていませんね」

 そうか、と上司は怪訝そうな顔をします。「どうしたのですか?」と聞くと、

「その人は、『君が万引で捕まって逮捕されたと聞いて、是非、いい人だから懲戒免職とかにしないでほしい』と言うのだよ」
「はあ?」

 もちろん、私は万引きもしていませんし、捕まっていませんし、逮捕・拘留もされていません。上司も職場も当然知っています。

「話が変なんで、うちの患者さんかと思って、名前を調べたがどうもそうではなさそうだ」
「誰でしょうね、何なんでしょうね」

 私と上司は電話の意味が分からず、しばし、狐につままれた顔をしていました。

 やがてある仮説が思い浮かびました。

 数ヶ月前に、私と同姓同名、字もまったく同じ人がしかもなんと山梨県内で、連続窃盗犯として捕まったというニュースがあったのです。
 それをテレビのローカルニュースで聞いたとき私も周囲もビックリしましたが、もしかしてそれが噂になって、その人に伝わったのかもしれません。

「深沢逮捕!」のニュースが人づてに伝わり、尾ひれがついたりして、

「あの人知ってる?捕まったんだってさ。いい人だったのにどうしたのでしょうねえ。きっとお金に困っていたのかしら。でも、辞めさせられたらかわいそうよねえ」
「いや、でもあいつじゃやりかねないよ」
 とか何とか言っているうちに、私の「窮状」を察してくれた人が思いあまって職場に嘆願の電話をしたのかもしれません。

 きっとそうだ、それしか考えられない。

 というわけで、捕まったのは私でなく、同じ名前の別の人です。

 心配してくれたのはありがたいのですが、私は無事です。
 もちろん私は罪深い人間ですが、「まだ」捕まっていないので大丈夫ですよ。

 安心してね。

| | Comments (6) | TrackBack (1)

«心理臨床学会アドラー自主シンポ・3