April 19, 2019

『子どものための精神医学』

 各方面から絶賛されています。子どもの発達支援に携わる人には必須でしょう。

 滝川一廣『子どものための精神医学』(医学書院)

 

 精神医学は、大人の精神病を基に発展してきたので、子どもの問題については、発達障害とかある問題に特化したものはあっても、全体を網羅した良書はなかなかありませんでした。

 本書は医学関係者以外の支援者や教師、保護者向けということなので、噛んで含めるように丁寧に説明されていて素晴らしい内容です。公認心理師などの心理カウンセラー、福祉などの支援者にこそ読んでもらいたいと思いました。

 本書は発達障害や虐待、PTSD、不登校、緘黙、など子どもの心理的支援者が遭遇する問題のほとんどが網羅されています。本書を通読すれば一通りのことはわかります。一人の臨床家、研究者がよくここまで書けたと思います。著者の臨床能力は半端ないのでしょう。

 特に認識の発達(知的発達)を縦軸に、関係の発達(人間関係の形成や共感性など)を横軸に、子どもの発達を整理した図と論説は大変参考になりました。私も発達心理学系の講演や研修をする時に、早速使わせていただいています。

 ただ、科学的精神医学とフロイト、ピアジェをベースにしているので、親子のアタッチメントを強調していても、きょうだい関係には言及していないところなどはアドラー心理学としてはもの足りなさを感じますが、共同体感覚的なものの重要さは理解されているので、アドレリアン諸氏にも大いに参考にしてもらいたいです。

 厚いですけど、一家、一職場に一冊です。

 

 

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April 15, 2019

森高千里に逢いに行く

 4月13日(土)、森高千里さんが甲府に来ました。21年ぶりの全国ツアー。

 実は私、隠れ森高ファンであることを、ここにカミングアウトします。陰でお慕い申しておりました。ただ、江口某と結婚してしまってからは、「ち、何だよ」とガッカリしたし、森高さん自身子育てとかで表に出てくる機会も減ったし、正直、時々テレビでちらっと見かけるくらいであまりフォローしてませんでした。

 ただ、久しぶりの全国ツアーで甲府に来るということを知って、いてもたってもいられず、「お忍び」で会場に向かいましたよ。

「この街」ツアー

 若い頃甲府に来た時のコンサート以来だから、26年ぶりの「再会」になりました。

「お互い年を取ったね」という感慨なんかまったく成立せず、50になっても変わらぬ美貌と美脚、素晴らしい。

 その森高さん、コンサート中のMCで、その日中には甲府善光寺に参拝し、その隣の「かいてらす」というレストラン兼物産店で、ほうとうと鳥もつ煮を召し上がったとか。なんとそこは、私のオフィスのすぐ近く。よく通る場所なので、ほとんどニアミスではないか。呼んでくれたらご一緒したのに・・・

「今日はベスト盤みたいな感じ」とおしゃってましたが、まさにそんな感じのセットリストでした。オールドファンは懐かしさに、最近のテレビの活躍で初めて来た人たちも昨今のアイドルにはない楽曲の新鮮さに、おっさんたち中心に盛り上がってました。楽しかったです。これからも「私がおばさんになっても」お慕い続けます。

 その森高さん、「ストレス」という名曲(?)があります。まさに今のストレス社会を予言するかの作品。メンタルヘルス講習会では、みんなで合唱するといいですね。きっと盛り上がりますよ。

 

 

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April 12, 2019

神道の流派

 人が集まり、動くところには必ず離合集散、権力闘争、縄張り争いがあるものですが、和の国・日本を象徴する神道でも例外ではありません。

『神道入門』(新谷尚紀著、ちくま新書)には、古代から続いてきた神道の流れがいかに分化、展開していったかのアウトラインがうかがえます。特に鎌倉から室町時代にかけて、様々な神道流派が勃興したようです。平安時代に神道は仏教、取り分け密教と混交して、神仏習合していきながら、学術的には、鎌倉時代に両部神道とか伊勢神道とか呼ばれているものがあったそうです。詳しいことはここでは省きます。

 私が縁あって学ばせていただいているのが、おそらく古代からの宮中祭祀を伝承していた白川神道というものですが、それは歴史上常に表舞台にあったわけではなく、むしろその性格上裏舞台というか、天皇家に直接仕えるものであったためにそれほど目立たない存在だったように思われます。しかし、まぎれもなく神道の正統派であることは間違いありません。

 しかし、室町時代に勢力を伸ばしたのが吉田神道といって、応仁の乱の混乱期に卜部兼倶(1435~1511)という人が特に発展させ、江戸時代になっても神道界で中心的な力を持っていたようです。時の権力者に認められたためですが、そもそもこの卜部家は元々白川家の家人として奉仕している立場でした。家来だったのが、勝手に独立したようなものでしょうか。

 本書によると卜部兼倶は、「積極的にみずから経典を偽作し」「新たな神道説を強引に主張し、それを広めていく」ことをしていたそうです。それが人々に受けて、権力者も気に入ったわけで、ずいぶんだと思いますが、中世の神道ではそのような経典の偽作、ねつ造はよくあったことらしいです。

 しかし、江戸時代に入って、さすがに学者たちは吉田神道の問題に気づいて、猛烈な批判が出てくるようになりました。

 そして、そこで改めて、神道界のサラブレッド・白川神道が注目されたそうです。

(引用開始)

 そうして、吉田神道への批判が高まるとともに、あらためて脚光を浴びたのが平安時代末期以来、神祇官の神祇伯の家柄であった白川家であった。神祇伯としての白川家は、宮中の内侍所や清涼殿における恒例及び臨時の天皇の神拝に際して、その作法の伝授や、天皇の名代として神事に奉仕することによって、宮廷祭祀に重要な役目を担ってきていた。また、二十二社のうちの松尾社・伏見稲荷・大野野社・広田社については、白川家が神社伝奏の立場を前代以来ずっと保持していた。 p152

(引用終わり)

 そして幕末まで、吉田神道と白川神道は各地で激しい門人争奪を繰り広げたそうです。

 私が聞いた話では、富士山信仰(江戸時代には富士講と呼ばれていた)をしていた人たちには白川神道を学んだ人が多かったそうです。

 明治になって国家神道ができあがってくると、白川神道はまた世に隠れた存在になったのですが、新書とはいえ研究者によるしっかりした解説書に、私の知る白川神道がきちんと記述されていることに、私としてはうれしさを覚えました。

 平成の時代の終盤になって、白川神道は一部の人たちに再び知られるようになりました。

 令和になるとどうでしょうか。個人的には、アドラー同様、ブレイクの予感がしています。

 

 

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April 09, 2019

神道とは何か

 数回前に紹介した『神道入門』(新谷尚紀著、ちくま新書)からメモします。

 神道という言葉から、たくさんのことが連想されます。一般には、神社、初詣、七五三といった私たちの生活に身近な宗教的な習俗というところが多いかもしれませんが、最近はそれに加えてパワースポットというイメージもあるかもしれません。いまやパワースポット巡りはけっこう大きな観光産業となっているかもしれませんね。

 あるいは、戦前の国家神道的なもの、右翼の街宣車や安倍政権を支える日本会議の面々(右派知識人など)を連想する人もいるかもしれません。

 私のように武道をかじっている者は、道場の奥にある神棚や掛け軸(鹿島神宮など)が思い出されたりします。合気道の開祖、植芝盛平が古事記や言霊を研究していたり、今でもディープな合気道修行者は、神道が源流の修験道に取り組んだりします。日本武道と神道は切っても切れない関係があります。

 一応、現代の神道は宗教の一つというくくりになっています。事実、全国の神社を統括する神社本庁は宗教法人であり、実際ほとんどの人は神道は宗教と思っているでしょう。

 しかし、一般的な宗教と神道はかなり異なっています。

「一般的に宗教 religion とは、教祖・教義・教団という三つの主な構成要素をそなえた一定の信仰集団の思念と行動の体系であるという風に理解されている。 p201」

 キリスト教も仏教もこの定義を満たしています。ところが神道はどこまでいってもあいまいです。キリストもブッダも実在したようだけど、天照大御神は不明(というか神話の登場人物)、経典もない、教義もあいまいです。厳密な意味で神道は宗教と言いにくいところがあります。著者は、

「もしどうしても宗教 religion という概念にこだわりを感じてしまうような場合には、信心深い人とか信仰に篤い人というような意味で、信仰 blief といっておけばよいであろう。 p202」

 と言っています。確かに神社で熱心に祈願している人(最近は若い女性がかなり多いですね)を見ると、その祈りの内容はたとえ恋愛とか縁結びであっても、信仰深いものを感じます。そもそも、一杯神様がいて人々はそれらを拝んでいるので、宗教でないというのも変でしょう。

 本書は古代から現代までの神道の歴史を一気に俯瞰して見られるようにしてくれています。

 著者は、

「神道とは形式である、容器である、たとえていえば、電車である、バスである、という結論である。神道とは、その本質は、素材 material にではなく、形式 forme にある、とういことである。神道は形式であり、時代の変化の中にさまざまな素材を、その中に含めてきている。電車やバスだから、そのときどきに、時代ごとに、さまざまな乗客が乗ってきているのであり・・・ p10」

「神道は、流動的な歴史を持って伝えられてきているものなのであり、その実態はいわば動画であり、それを静止画としてある時期をもって、真の「神道」とはこれだ、というふうに、固定化させて考えるのは、大きなまちがいのもとなのである。 p65」

 と述べています。神道は実態ではなく、流動的なプロセスであり、日本人の心や文化を形成する極めて大きな器であるようです。

 

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April 05, 2019

掛川城と三方原古戦場に行く

 先日静岡に所用があり、そのついでに遠江(掛川、浜松方面)に足をのばしました。ちょうど先月、山梨と静岡を結ぶ中部横断自動車道の一部が開通して、清水方面へのアクセスが格段に良くなったので車で行ってみました。甲府から静岡まで、これまでより30分以上短縮された感じでした。

 先ず掛川城を見学

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 山内一豊が築城したそうです。はっきり言ってそんなに好きな戦国武将じゃないのですが、なかなか良いお城でした。

 掛川桜というのがあるらしく、城の周囲に並木道がありましたが、盛りは3月上旬だそうで残念ながら終わっていました。代わりにソメイヨシノは咲き始め、今頃は満開かもしれません。

 その後時間がないので急いで、かねてより行って見たかった場所、三方原古戦場に行きました。武田信玄と徳川・織田連合軍が激突して、武田が圧勝した戦です。信玄最後の戦でもありました。家康が命からがら逃げる途中、馬上で脱糞したことでも知られていますね。

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 大きな霊園の一角に立派な石碑がありました。今は周囲は全く普通の市街地なのですが、大きな台地の上であることが運転しながらでもわかりました。その昔は広い野原だったのでしょう。

 武田衆、よくここまで山梨から歩いてきたものだと感心しました。きっと私のご先祖様も足軽だか何だか知らないけど、連れてこられてこの辺りを走り回っていたのかもしれません。

 石碑はその周囲もきれいに整備されていて、浜松市がよく管理しているようでした。

 戦国の世を偲ぶひと時、まさに兵(つわもの)たちの夢の跡。武田、徳川の兵たちの霊を鎮魂するため、石碑の前で古神道の作法を(周りに誰もいないのを確認して)させていただきました。

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April 02, 2019

新しいアドラー心理学の学会、始動!

 昨日4月1日、新元号が発表されました。それについてはいろいろ思うところがあるけれど、それはいずれ。

 何よりその同じ日、アドラー心理学の新しい学会、日本個人心理学会が動き出しました。

 ホームページが昨日、公開されました。

 日本個人心理学会

 早速入会申請者が続いています。

 アドラー心理学をベースにしたり、大きな枠組みにして対人支援や教育、子育て、人材育成活動をしたい方、アドラー心理学に関する研究をしてみたい方、アドラー心理学を含めて新しい心理学ムーブメントを起こしたい方などなど、幅広く人材を集めたいと思っています。

 正会員制度など、敷居の高さを感じる人もいるかもしれませんが、学会としてのある程度の学術性、専門性を担保するためであり、よく読めば準会員として誰もが入れる仕組みにしています。

 是非、ご参加ください。

 それにしても、この前身の日本臨床・教育アドラー心理学研究会は東日本大震災があった2011年に始まったし、今回は新元号、新天皇の即位の年に奇しくも重なり、なんか時代の重要な節目と共にあるような気がしています。

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March 29, 2019

『神道入門』

 最近の私の関心の一つは、アドラー心理学でいうと、スピリチュアル・タスクです。

 人類の文明、文化には不可欠のものであり、人間の普遍的な欲求や傾向性でもあるスピリチュアリティをどうとらえるか、アドラー心理学の観点から考えることを自分に課そうとしています。

 臨床心理学とスピリチュアリティというと、普通はユング心理学が浮かびますが、最近は認知行動療法系も抜け目ないというか、マインドフルネス瞑想を通して意識にアプローチしたり、ACTだったか、価値や生きる意味を問うみたいなことを堂々と言うようになってきています。

 特に日本人にとってのスピリチュアリティを考えるとき、まず出てくるのは仏教です。仏教の精緻な理論や修行法は、古代から現代まで膨大な数の人々を魅了し、その才能が注ぎ込まれてきました。時の政治権力も常に仏教を庇護し、育ててきました。

 アドラー心理学の指導者級の人たちも、先ずは仏教を基に自らのスピリチュアリティへの取り組み、思索を表明してきたと思います。

 しかし、仏教そのものは外来の思想であることも間違いありません。しかも日本の仏教は元々の仏教とは変質していて、それ以前、おそらく縄文時代から人々の心の底に流れて続けてきた「日本思想」とでもいえる何かわけのわからないものと融合して独自の展開をしてきたことは周知のとおりです。

 そのわけのわからないものが、「神道」です。

 私はここに焦点を当ててみたい。しかし、学術的に宗教学を修めたわけではないので、素人研究の域を出ないのですが、アドラー心理学が日本に土着化していく中で、神道や神道的なものを理解しないのは極めて不十分だと思います。

 そこでとっかかりに

 新谷尚紀『神道入門ー民族伝承学から日本文化を読む』(ちくま新書)

 を読んでみました。わかっているようでわかっていない神道のアウトラインをつかむにはとても良いと思いました。

 日本書紀の神道から古代神道、中世、近世、そして明治以降の国家神道まで、民俗学と文献学の視点から展望できます。

 また、現在日本の神社を統括している神社本庁は実は戦後設立された一宗教団体にすぎず、私は、名称からあたかも公的機関であるかのような素朴な誤解をしていたことを知りました。

 これから本書からも、興味深いところをメモしていきたいと思います。

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March 25, 2019

長岡市で講演

 先日お伝えした通り、3月23日に新潟県長岡市に行きました。トンネルを抜けたら雪国を楽しみにしていたら、長岡駅前には全く雪はなし。お迎えに来てくださった方によると、今年は市内の方はあまり降らなかったそうで、車に雪用のタイヤをつけたのがもったいないくらいだったとのことでした。昨年はけっこう降ったそうで、そんな年もあるのですね。ちょっと残念。


 アドラー心理学仲間の五十嵐淳至さんが中心の「長岡楽しく学ぶ会」主催の講演会「アドラー心理学に学ぶ思春期・青年期の支援のあり方」というテーマで、前半90分講義、後半1時間は会場の参加者に書いていただいた質問に答える形で進みました。


 49人もの方が参加してくれ、けっこうディープな質問もあって、私もカウンセラー魂に火がついて答えがいがありました。アンケートでも質疑の評判が特によかったそうです。


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会場の長岡市立中央図書館講堂です。


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 講演タイトルです。


 夜は参加者との懇親会、翌日24日は、五十嵐さんと長岡市のアドラー仲間の相田さんが周辺観光を案内してくれました。


 先ずは「錦鯉の里」という施設。新潟県小千谷市は錦鯉発祥の地だそうです。


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 管内の大きな水槽には、立派な錦鯉がたくさんいました。近づくと餌がもらえると思うのでしょう、ものすごい数の錦鯉が寄ってきます。錦鯉って値段は数十万円から、高いものは1千万円もするらしいです。海外からも注文があり、セレブの趣味ですね。


 その後、新潟県立歴史博物館を見学。歴史好きの私には、縄文から現代までの新潟の歴史を一覧できて楽しかったです。新潟については、武田信玄を通して上杉謙信しか知らなかったので、とても勉強になりました。


 特に縄文時代の暮らしぶりや、雪国を大変さを再現した等身大のジオラマは見応えがありました。


 帰りに、長岡駅ビルにある蕎麦屋で、へぎ蕎麦という名物をいただきました。つなぎに布海苔という海藻を使った緑色の麺で、ややもちもちした触感で美味しかったです。


 新潟を楽しんだ二日間でした。


 五十嵐さんはじめ、新潟のアドレリアンの皆さん、大変お世話になりました。ありがとうございました。


 


 


 


 

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March 22, 2019

女性老師の肖像

 いろいろ忙しくて、本の紹介もしたいのですが来週に回します。前記事の通り、明日から新潟県長岡市に行ってまいります。
 それで何を書こうかと思ったのですが、久しぶりに武術関連にしましょう。
 我が流派の老師の一人の動画がアップされていました。イスラエルのTV番組に出演されたみたいです。
 私は、日本に初めて太極拳を伝えた不世出の達人・王樹金老師の直系の弟子(の弟子)なのですが、この方は長い歴史の中で女性で最初の弟子になった方です。演武を拝見したことは何度もありますが、とても優雅で力強く、魅了されます。特に剣や槍の演武が素晴らしかったですね。
「戦地」イスラエルで、護身、健康のためにたくさんの方が学んでいる本格的な武術です。


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March 18, 2019

長岡市でアドラー心理学

 昨日3月18日(日)は駒澤大学深沢キャンパスに行き、ナラティヴ・コロキウムに参加してきました。

 ナラティヴ・コロキウムとは、いわゆるナラティヴ・セラピーに関心のある方たちのカンファレンスで、心理職だけでなく、医師や看護師、文化人類学者、社会学者、そして障害や疾病の当事者や家族など、幅広い立場の人が集まり、学び合う場です。昨今はナラティヴ・アプローチの進化系ともいえるオープンダイアローグが注目されていますね。

 昨年はそのオープンダイアローグがメインテーマでした。今年は「治療的会話を求めて」というテーマでした。

 私は午前、Wrapという当事者・支援者運動の自主シンポジウムに参加しました。山梨にもWrapをやっているグループがあって、知人が参加しているので興味がありました。「元気回復行動プラン」といって、立場を超えた平等なグループの中で、精神障害の当事者が回復していくための知恵をみんなで見出そうという運動のようでした。

 精神障害当事者たちがシンポジストで、とても説得力のあるお話をうかがいました。アドラー心理学とも通じる、まるで共同体感覚を志向した活動に見えましたね。アドレリアンの活動や自助グループにも参考になると思います。

 午後は全体のシンポジウム、家族療法家の平木典子先生はじめ著名な先生たちの話とフロアとのやり取りで進んでいきましたが、「そもそも治療的会話って何だろう」という答えではなく、問いの周辺でグルグルしている感じが面白かったです。

 司会はアドラー仲間で、日本個人心理学会を共に作った八巻秀先生(駒澤大学)でした。

 さて、週末に私は新潟県長岡市に行きます。新潟でアドラー心理学の活動をしている五十嵐淳至さんはじめアドレリアンの方々に呼んでいただいたのです。

「アドラー心理学から学ぶ思春期青年期の支援のあり方」

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 立派なチラシも作っていただき、ありがたいです。既に50人近くの申し込みがあるようです。発達心理学とアドラー心理学を結びつけた話になると思います。

 私はカリスマ講師ではないので、感動的な話にはならないと思いますが、役に立つ知識やものの見方を知っていただけるように頑張りたいと思います。

 事前申し込み日は過ぎましたが、まだ大丈夫だと思いますのでお問い合わせください。その地域の方、是非ご参加ください。

 3月23日(土)13:30~16:30

 長岡市立中央図書館2F講堂

 参加費 3,000円

 主催:長岡楽しく学ぶ会  後援:長岡市教育委員会

 電話兼FAX 0258-63-4266

 

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