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June 15, 2005

アドラー心理学の種3・使用の心理学

 使用の心理学(Psychology of Use)もアドラー心理学のキーワードの一つですが、ぱっと見わかりにくいんじゃないかな。ちょっとこなれていない用語だと思います。「心的諸機能、部分はすべて、人生の目標に向かう運動の線に沿って、目的のために使用される」と考えることをいいます。思考も感情も、神経症や精神病的な症状も、すべては目的に向かって使用されているのです。

 その反対の考え方を所有の心理学(Psychology of Possession)といいます。人間が心的諸機能を持っているということですが、むしろ心的諸機能が人間を持っている、とらえているというニュアンスの考え方です。実は一部を除いて、これが心理学の主流的な発想でした。無意識の「葛藤」が人を動かす、「感情」が人を困らせる、「刺激」が「反応」を形成する、「トラウマ」が症状を起こすといった論法がそれに当たります。常識的な考え方でもありますね。心理的な諸機能を「実体」として見てしまうことにもなっています。

「この思い通りにならない何かが、人を動かす」と考えている限り、人の心は矛盾に満ちていて、思い通りにならないことばかりで、だから心理療法はやたらと時間と金のかかるものになっていかざるを得ないことになります。でも、本当はある目的に向かって、一見矛盾する感情や思考などを私たちは使い分けているのかもしれない、アドラー心理学はその可能性を信じているのです。

 意識と無意識も別に対立しているのではなく、目的地に向かう車のアクセルとブレーキのように協調的な役割分担をしています。この発想を僕が精神分析的な無意識論を学んだ後に知った時は、ちょっと新鮮なショックでした。ミルトン・エリクソンに通じる肯定的な無意識観です。

 具体的には、「優秀でいたい」という目標に向かって、数学的思考を伸ばす人もいれば、運動能力を使う人もいるし、ハッカーになったり、誘拐をして挑発的な脅迫状を警察に送りつける人もいるでしょう。「人に甘えたい」という目標には、ルックスのかわいらしさを追求する人もいますが、「嫉妬」という怒りの感情を使うこともあるし、突然歩けなくなったりと奇妙な(ヒステリー)症状が現れてくることもあります。また、目標が同じだからといって、いつも同じ手段とは限らないし、同じ手段を取っているからといって、いつも同じ目標とは限りません。

 僕たちはいつも「創造的」に、自分の手持ちのレパートリーを選んだり作り出したりしています。ただ、建設的に使いこなす人と、破壊的に使いこなすのが上手な人との違いは大きいですね。アドラー心理学ではこのような考え方の前提を、個人の主体性とか創造性という言い方で表す人もいますが、プラグマティストの僕としては、哲学的な言葉より使用というのも悪くないなと思っています。

「重要なことは、人が何を持って生まれたかではなく、与えられたものをどう使いこなすかである」(アドラー)

 臨床的には、「外在化」や「リフレイミング」などに通じる便利な発想法だと思います。問題や症状を実体化させず、ひとつの機能、選択肢、記号として扱えるので、心理療法は短期で効率的に進む可能性がグンと高くなります。

 使用の心理学と所有の心理学のどちらが正しいか、ということではなく、どちらがよりよく生きていくのにより使いやすいか、有効かという視点が大切だと思います。あ、これが使用の心理学的発想か(^_^)。   

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Comments

アド仙人さま
いろいろ勉強させてもらっています。「使用の心理学」かあ。
同じくプラグマティストの私としては,シンプルでわかりやすい素敵なタームだと思います。この概念自体を自分のものとして体得すること自体が,セラピーの目標でもあるような気がします。
確かにミルトン・エリクソンのutilityの概念にも通じますね。
で,もちろんCBTも「使用のセラピー」ということになるんでしょう。これまでCBTの歴史を考えるのに,精神分析からの流れと行動療法からの流れを想定し,精神分析としてはやはりフロイトとの異同がテーマになりがちでしたが,アドラーの存在を加えて考えていこうと思います。どうもありがとうございました。

Posted by: coping | June 15, 2005 09:30 AM

copingさん、コメントありがとうございます。
 アドラーはフロイトのところにいた時期があったので、精神分析の一つと思われがちですが、実はCBTにとても近いと言われていいるみたいです。論理療法のエリスも元々アドラー心理学で出発して、今でも北米アドラー心理学会にいるとか投稿したとか聞いたことがあります(伝聞)。
 歴史的な経緯や対象者(アドラーのクライエントは子どもや教育者が多かった)の違い、時代性なんかで多少の違いはありますけど、効果的にやろうとすれば基本的な発想は似てくるのでしょうね。

Posted by: アド仙人 | June 16, 2005 12:16 AM

 度々お邪魔します。
 リコメントを拝読していてふと思ったのですが,子ども相手の臨床って「嘘」がつけませんよね。つまり社会的な文脈における大人同士のつきあいだと,たとえセラピーにおいてでも,治療者に対する遠慮やお世辞って今でもたくさんありますし,いわんや昔なら今よりももっとそのようなことが頻繁にあったのではないかと推測します。(全くの見当違いかもしれません)
 しかし子ども相手の,あるいは子どもを相手にしている教育者相手なら,クライアントさんの反応にそういう修飾がされにくいので,試行錯誤のなかで,より効果的な対応に気づきやすかったという可能性はありますでしょうか?
 わかりにくい文章でしたらすみません。急にハッと思って,思わず書いてしまいました。ではでは失礼いたしました。

Posted by: coping | June 17, 2005 12:38 AM

こんにちは。
以前頼藤さんの本に感銘を受けた、とコメントさせていただいた、すみれと申します。
今日図書館から『「自分」取り扱い説明書』と『初めてのアドラー心理学』を借りてきました。
アド仙人様の文章もよく理解できない私ですが、がんばって読んでみようと思います。
私は認知療法を受ける側の立場として(実際は専門家からは受けずじまいでしたが)認知療法の本を何冊か読みました。そこからいろいろな考え方に触れ、アドラーの考え方について触れているものを読んで「これだ!」と感じました。本屋にも沢山並んでいたので、いつか読もうと思っていたところです。お勧めの本を知ることができてうれしいです。この本は本屋にありませんでしたから。
また、論理療法についても少し読みましたが、私には認知療法と通じるところがあるように感じました。
そして、国分康孝さんの『生活に生かすカウンセリング学』(だったでしょうか、一般向けの本です)を読んでまたまた「これだ!私が考えていたのはこれなのよ!」(素人が何を言うか)と感激した次第です。
私の感覚にフィットすることにお詳しい方のブログに出会えて、うれしいです。私なりに勉強していきたいと思っています。これからも楽しみにしております。


Posted by: すみれ | June 17, 2005 09:27 PM

 coping様
 ありがとうございます。そうですね、確かに子どもが相手だと、嘘がつけないというか、自分が身につけたものが素直に出てしまうと思います。小さい子は、「おじちゃん、キライ」とかいきなりダメ出しをくらわせてきますし(;_;)、思春期のお子さんは、敵味方の弁別に敏感ですから、最初の段階でいかに信用されるかが勝負ですね。その点で、問題ばかりを突っつかないアドラーやCBTは、有利だと思います。「お、このおっさん、今までの大人と違うぞ」と思ってもらえるかもしれません。
 アドラーも子どもと仲良くなる名人だったらしいです。

 すみれ様
 わざわざ本を借りて下さってありがとうございます。疑問があったら何でも聞いて下さい。
 全くマニアックな内容のブログですみません。時々誰に向かって書いているのかわからなくなることがあるので、コメントしていただけると助かります。プロだけでなく、心理学に関心のある人に見ていただけるとうれしいです。
 これからもよろしくお願いします。

Posted by: アド仙人 | June 18, 2005 01:03 AM

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