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June 20, 2005

アドラー心理学の種4・劣等感

 一般教養的な心理学の入門書には、アドラー心理学の説明に「劣等感を唱えた」といったようなことが書いてあることが多いと思います。僕が学生の頃には、ただ、アドラーといえばその言葉があるだけでした。でも、劣等感自体はアドラー心理学初期の概念だそうで、実際は今、僕らアドレリアンはほとんど使うことはないのですが、やはり、有名だし便利な言葉ですから取り上げようと思います。

 それにしても、20世紀に心理学が台頭して様々な概念や理論が登場しましたが、この劣等感ほど普及し、人口に膾炙し、使われているものはないのではないでしょうか。自我とか無意識とかアイデンティティーとか自己実現などは、心理学っぽさが濃厚ですが、劣等感はいまや日常語です。それほど、現代の私たちの感覚にフィットするのかもしれませんね。

「自分は誰々に比べて劣っている」「まだ~ができない」「~が足りない」と嘆き、悲しむ心情は、万人に共通してあるようです(ない人っていいるのかな)。僕なんかいっぱいありすぎてイヤになる。大体武道や格闘技をやりたがる連中は、劣等感が人一倍強くて単純な奴に決まっておる!

 だから、劣等感という言葉のそういう使い方は、別に間違っているわけではありませんが、アドラー心理学的にはやや厳密さを欠くようです。誰々に比べて劣っているから劣等感を感じるのではなく、例えば「1番でなければ意味がない」とか「注目されていないとならない」とかいった目標設定があって、でもそれがかなえられない、実現しない現実や思いがある時に感じる感情を劣等感と呼ぶのです(感情の内容は問いません)。

「人間であるということは、劣等感を持っているということである」「人生の初めにあたり、心理的には、誰にも深い劣等感がある」(アドラー)

 主観的に決めた目標と現実認識の差、理想と現実の差の認識が劣等感の源泉です。その差が大きければ、大きいほど「劣等感が大きい」といえます。

 では、劣等感を感じたら私たちはどうするか?何とかしないといられなくなりますね。その時にすることを劣等感の補償といいます。補償のやり方としては、勉強で1番になれないから、その勉強をさらに一生懸命がんばるか、それとも他の分野(スポーツとかルックスとか人気とか)に活路を見出すなど、直接的、間接的な方法があります。いわゆる「劣等感をがんばって克服した」というやつです。よくいわれるように、自分が「障害」と認識しているものを乗り越えたり、社会やコミュニティーを改善させたりと、劣等感をバネにして自分を成長させることは洋の東西を問わず見られます。

 反対にマイナスの補償の仕方も考えられます。偽りの補償といいますか、劣等感を言い訳にしてその人が直面している課題を回避する、逃げてしまうことがあります。おそらく多くの犯罪、非行、神経症的症状、薬物依存などは、まさに破壊的、否定的な方法で劣等感に対処した結果なのでしょう。それは、長年臨床をやってきた僕にとっては、まさに実感するところでもあります。そうやって、人生の課題、責任を劣等感を使って回避することを劣等コンプレックスというのです。

 でも劣等コンプレックス自体が悪というわけでもありません。誰でも自分の弱さを使って、イヤなことから逃げたりさぼったりすることは、正当なことだと思います。出たくない会合や仕事に、「今日はちょっと頭が痛くて・・・」なんて大したことがないのに深刻そうな顔をして、お休みすることは僕だってあります(いつもじゃないよ)。まじめな人や学校の先生は、こういういい加減な態度は気に入らないのでしょうけどね。

 ただ、中には劣等コンプレックスを人生の基本戦略に据えている人がいるので、困っちゃいます。だから、何とか人生の建設的な側面で、劣等感に対処していけるようにするのが、アドラー心理学の治療の基本的方向性になるわけです。

 「問題なのは、劣等感を持っていることではなく、その程度と性格である」(アドラー)

 生きている限り僕たちは劣等感から逃れることはできないので、うまく付き合えるようになれば、人生を乗り切るコツをつかんだようなものですね。

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Comments

アド仙人さま
このブログを拝読するまで,アドラーに関する私の知識と言えば,「フロイトの元弟子」と「劣等感」と「早期回想」の3つだけでした(情けない)。しかしこれを読んで,劣等感の理解が間違っていたことが発覚した(さらに情けない)。

> 「1番でなければ意味がない」とか「注目されていないと
> ならない」とかいった目標設定があって、
> でもそれがかなえられない、実現しない現実や
> 思いがある時に感じる感情を劣等感と呼ぶのです

そうなんですか。CBTの認知再構成法でいかにも対象としやすい「自動思考」のような感じですね(いわゆる「白黒思考」や「ねばならない」思考)。自分の目指すことが適えられないという認知によって生じる感情をアドラーは「劣等感」と言っていたのかあ。そうかあ。(一人納得)

またそれへのコーピングとして,補償と回避の2方向が挙げられているのも,非常に納得できます。CBTの技法で言えば,過剰に補償することで問題が生じている場合は認知再構成法,劣等コンプレックスによる回避が問題である場合は問題解決法が,第一選択となるように思われます。

この期に及んでアドラーの勉強ができるとは思いませんでした。今後も楽しみにしております。

P.S.「カガヤクカラダ」読みました。「センター」と「ゆる」の両方とも実感としてよくわかります。両方重要ですね。

Posted by: coping | June 21, 2005 at 12:44 PM

 そうなんです、coping様。あくまで目標志向性というところから考えるのです。
 劣等感とは、前に進んでいる時に顔に感じる風のようなものだという話を聞いたことがあります。心地良く感じるときもあるし、つらいときもあるかもしれません。遠い地平線ばかり追いかけていると、ばててしまいますし、適切な目的地とペースが必要なのでしょうね。
 CBTによるコーピングの整理は、ほんとに仰るとおりだと思います。こう考えていくとより実践的ですね。ありがとうございました。
 高岡英夫さんの本も読んで下さったのですね。おもしろく感じていただけたら、幸いです。ゆる体操には、最近はまってるので、いつか体験をアップします。copingさんも運動好きのようだし、スポーツとCBTなんてどうですか?

Posted by: アド仙人 | June 21, 2005 at 11:52 PM

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