« アドラー心理学の種1・認知論 | Main | 僕の武道修行3・青年編 »

June 08, 2005

アドラー心理学の種2・目的論

 アドラー心理学を他の立場の心理療法を分けるのは何かといえば、第1にあげられるのは目的論というものです。 
 問題や症状の生じた理由を過去の母子関係や家族状況にさかのぼって考える一般的な考え方(精神分析のみならず、普通の人は大体そう考えるものです)に対して、「その行動、感情、思考の目的は何か」という問いを先ず第一に立てるのです。

「すべての精神現象は、ある目標への準備と見なされてのみ、把握し理解されうるのである。」「健康なものであれ、病的なものであれ、人間の精神生活を研究する上で最も重要な問いは、『どこから?』ではなく『どこへ向かって?』である」(アドラー)

 でも、これもある意味当たり前で、泣いている子に「買ってほしくてもダメ!」なんて怒ったり、「親の気持ちを引きたがっている」などと、その行動を意図や目的でもって説明することはよくあります。
 
 この意図、動機、目標から一度徹底して考えるのがアドラー心理学の一大特徴なのです。肯定的なものであれ、否定的なものであれ、その人なりの目標の実現に向かって、感情や気分、行動、思考などあらゆる心的機能が組織化されいると考えているのです。ただ、この人間が本来的に持っている目標追求性は、半ば無意識化、オートマ化しています。 
 当然神経症的諸症状や精神的な問題も、対人関係上の目標を実現するための手段と見ます。
 「二次的疾病利得」という概念がありますが、けして二次ではないのです。対人関係上の目標の設定と実現が「一次」と考えます。内面の葛藤があって、行動に現れるのではなく、常に内面と外面は共時的に動いているというか・・・この辺はうまく言えませんが。ただセラピストによって、「内面」を措定して入るか、認知から入るか、行動やコミュニケーションのパターンから入るかの「好み」の違いがあるだけです。

 前回の認知というところからいうと、認知の中身は、人生目標とそれを実現するための手段の認識でできているといえるかもしれません。「私は常に一番でなければならない。そのためには~をしよう、~を避けよう」「他人はいつも自分をいじめる。だから~をしないようにしよう」などといった信念のセットを私たちは、みんな持っています。

 基本的には、どんな人の人生目標も肯定的なものであるはずだと考えておくのは大切なことです。誰だって、初詣に神社に行って「今年は最悪の年でありますように、ひどいことが自分に降りかかりますように」なんてお祈りする人はいないでしょう(^^)。
 必ず、その人なりの幸せのイメージがあるはずです。ただ、手段が間違っていたり、目標に「絶対に」「必ず」「~でなければならない」といった限定がついているだけです。僕にとって、この視点は非行少年とか大人が問題視するような子どもを相手にする時に、とてもいいものでした。また子どもを虐待してしまう家族と会う時にも、彼らを信頼できる根拠になりました。
 短期的には、「親、世間への復讐」といった否定的な目標もあり得ますが、よく調べればやはり元々の肯定的な目標が挫かれ、隠されているということが考えられます。

 臨床的には、カウンセリングでその人の目標や手段を自覚したことで良くなっていくこともありますが、必ずしも全てがそうではなく、手段の修正(症状を使わずに、より適応的な思考、行動を取れるようにする)、ケースワーキング(病院や施設の利用など環境を変えたり)、症状や問題への対処行動の学習などいろいろな取り組みをしていくことになります。
 それでも、アドラー心理学からその人を理解し、治療をデザインするにはこの目的論的視点は不可欠なのです。

 

|

« アドラー心理学の種1・認知論 | Main | 僕の武道修行3・青年編 »

Comments

アド仙人様

こんにちは。興味深く拝読しました。

> 基本的には、どんな人の人生目標も肯定的なものである
> はずだと考えておくのは大切なことです。

に激しく共感します。外からどう見えようが,誰だって自分にとって「よきこと」をしたいと願っているんだ,とセラピストが信じていなければ,セラピーは進まないと思います。自傷行為だって,そのときのクライアントさんにしてみたら,自分を助けるために何とか選び出した手段なのですから。こういう視点を持つと,他人を責める考えがまったく沸いてこないので,楽ですよね。

ところでアドラーは,自身の理論をどのようにして構築したのですか?臨床経験からですか?もし機会があれば,理論の成り立ちについて教えていただければと思います。

Posted by: coping | June 10, 2005 02:27 PM

coping様
 
 ご精読下さってありがとうございます。
 そうなんです、僕も仕事柄、よく裏切られたり、捨てられたり、逃げられたり(何の仕事だ?)しますけど、腹が立つことはないですね。元々こうだったかはわかりませんが、アドラーやブリーフ、認知など現実・未来志向のセラピーを学んでからは、特にそれが身についたように思います。
 アドラーの理論形成についてはいつか書いてみたいと思います。基本的には、アドラー自身の性格、思想が豊富な臨床経験とフロイトとの議論、確執の中で磨かれていったのだと思います。非常に鋭い観察眼とコミュニケーションの達人だったそうです。反面文章はうまくなく、著作家ではありませんでした。
 フロイトは何でも自分の傘下に置きたがったみたいですが、アドラーもユングも基本的なところでフロイトとは異質の思想の持ち主としか僕には思えず、一時仲良くても、喧嘩別れをしてしまったのは必然だったんだろうなと推測しています。
 科学とかエビデンスとかはまだ出てこない、遠い昔のお話ですけどね。

Posted by: アド仙人 | June 11, 2005 12:52 AM

Post a comment



(Not displayed with comment.)


Comments are moderated, and will not appear on this weblog until the author has approved them.



TrackBack


Listed below are links to weblogs that reference アドラー心理学の種2・目的論:

« アドラー心理学の種1・認知論 | Main | 僕の武道修行3・青年編 »