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July 07, 2005

太極拳体験・型で練る

 考えてみたら、このブログの看板の一つ、武術ですが自分は全然達人じゃないし、流派を代表する立場でもないし、最近ブレイクした古武術研究家の甲野善紀さんみたいに独創的に語れるタイプでもないし、大したことを書けないなあと思っております。だから、、これを読んで強くなるとか、何か特別な情報があるということは多分絶対にないと思います。自分の武術やスポーツの体験談に、多少臨床心理学的なテイストが入ったエッセイみたいな感じになると思いますので、マニアックなそのスジの方、お許し下さいね。

 僕が学んでいる太極拳それから形意拳、八卦掌(まとめて柔拳と呼んでいます)は、型が厳密です。手足の位置、動かすルート、姿勢に厳しい注文があります。型には流れがあり、攻防を表す技の順番が決まっています。おそらく、空手などの型よりずっと長く、複雑な構成になっています。それを何度も、丁寧に繰り返すことが稽古の基本です。

 そんなことをして、退屈だろうと思われる方もいるかもしれませんが、さにあらず!型稽古の繰り返しから、体の内部へと無限の気づきの世界が広がるのです。

 先ず習い始めて気づいたのは、いかにそれまでの自分が自分の身体に無意識、無自覚であったかでした。ゆっくり型を繰り返していくうちに関節や筋肉の様子を感じ取れ、動きの癖や緊張の所在などが、次第にわかるようになってきました。体重の移動や手足、体幹の動きにより意識的になると、自分の動きの修正や微調整がスムーズにできるようになり、緊張の部位に気づくことができます。そうするとそこをゆるめる、脱力することが容易になります。その結果、太極拳を学んでから、スキーやテニスなど他のスポーツ、楽器の習得など以前よりずっと効率的にできるようになりました。学問の習得もスムーズになったかも(これは自信ない)。

 そういう身体への気づきというのは、終わりがなくて、そのときのコンディションや修練の進み具合でどんどん変わっていきます。今でも稽古をしていると、新たな、さらに微細な感覚を得ることがあります。

 それに長い時間、体の内部に注意を持続しているので、ほとんど催眠トランス状態といっていいでしょう。トランスに入りやすくなれば、そこで学んだことは無意識の奥に染みこみやすくなるかもしれません。しかし体を動かしながら、外界にも注意を配分しているので、心の中に没入するほどの深いトランスではなく、常に意識は保たれています。終わった後は、いつも意識は清明になります。今はさすがに慣れてますが、習った当初は新鮮な感覚でした。中国武術家は太極拳などの柔拳を、動く禅、動禅と呼ぶことがありますが、まさに意識のトレーニングといえます。

 そうやって型の練習をじっくりすることを、中国武術では「練功」と言います。時間をかけて、とろとろ煮込んでいくかのようなイメージです。先生は、「小さな玉に薄紙を一枚一枚貼り合わせていって、大きな玉にする」とおっしゃっていました。

 ゆっくり体を動かして、緊張感を取るといえば、臨床心理学の世界では臨床動作法があげられます。職場の上司で動作法をよくする人がいたのですが、彼に太極拳を教えたらとても受けて、今でも時々練習しているとのことです。共通性を感じ取ってくれたみたいです。心身の不当な緊張を取り去るのが動作法ですが、武術の世界ではそれをさらに徹底化させているのです。

 どちらかというと知的なものが勝り、頭でっかちになりがちな自分でしたが、中国柔拳を学んでから、より心身のバランスが取れた人間になれたかもしれません!(^^)!。もちろん、終わりはありませんが。太極拳は僕にとって、武術や護身術の技をマスターするだけでなく、心身統合の体験を味合わせてくれる、実存レベルのセラピーになったといえそうです。

 最近は斎藤孝さんをはじめ、心身の発達における型の重要性が見直されていますが、僕なりにずいぶん前から型の意義に気づいたことで、先人の知恵というか、伝統武術の奥深さを知ることができました。このことは後に臨床心理学を学んでいく時にも役に立ったように思います。

 

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Comments

「型で練る」というのは,おそらく何事もそうなのでしょうね。私は何でも人から直接教わるのが好きなのですが,どの道でも先生は型の重要性をしつこくおっしゃっていたような気がします。ある先生は口を酸っぱくして,「型破りの達人になるには,一度は型をすっかり自分のものにする必要がある」とおっしゃっていました。「型破りと形無しは違うのだ」とも。武術ではその「型で練る」というのが,特に実感されやすいのでしょうか?
 私見ですが,「型で練る」ということをある領域で一度体得した人は,他の領域で何かを学ぶにあたっても,その重要性を知っているので,習得が早いような気がします。(ということを上でアド仙人さんがお書きになっているのですね?)
 と書きつつ,私は数年前からある楽器を再開したのですが,一度徹底的に身につけたつもりの「型」はボロボロになっていました(泣)。一度身につけた型は,維持するためにも稽古を続けないといけないのですね。・・・アド仙人さんへのコメントのつもりが,反省文になっちまいました・・・(笑)。
 P.S.『勇気づけの心理学』を読み始めました。アドラーの顔写真を初めて見ました。

Posted by: coping | July 08, 2005 09:58 PM

 coping様、おっしゃるとおりでございます(^_^)。
 身体の感覚の世界を表すのはやってみると、けっこう難しいものですね。言葉足らずのところがあると思いますので、ご指摘下さればうれしいです。
 おそらくCBTもその辺には自覚的に見えるのですが、心理療法には明示的、暗示的かはいろいろあるにせよ、「型」がありますね。それを学び取るときに、何か他のことでやり抜いた経験が生きるってことは、確かにあるような気がしています。
 でも、世には良い型だけでなく、悪い型もあるようなので、ややこしいです。見抜く目も持ちたいですね。
 楽器頑張って下さいね。確かに楽器は、運動以上に休むと技量が落ちやすいのはなぜなんだろう?
 アドラーのお顔はあんな感じです。小太りのかわいいおじさん(?)だったんじゃないかな(会ったことないのでよく知りませんけど)。

Posted by: アド仙人 | July 08, 2005 11:56 PM

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