太極拳体験2・脱力を極めたい
どんな運動、スポーツ、武道でも「力を抜いて」「リラックスして」とはよくいわれることで、パフォーマンスを上げるためには、リラックスすることが不可欠なのは知られています。
しかし、太極拳などの柔拳、日本では合気道などの柔術系は、とにかく力を抜くこと、余計な力を一切入れないことを求めてきます。僕の知る限り、達人的な人ほどその要求は徹底しています。「お箸を持てる力があれば充分」とか「力の絶対否定」(振武館黒田鉄山師)とか、とにかく極端なことを言うのですよ。
推手という組み手稽古をしている時、「もっと力を抜いて」と先生や先輩から指導されます。「はい」と答えながら、肩や腕など筋肉をできるだけ抜こうと努めます。うまく抜けていると相手の攻撃をスルリとかわせることもあるのですが、上級者とやれば大抵そのままドカンと腕が胸に入ってきます。
推手ではいつも、「だめ、力入ってる、もっと抜いて」「はい、わかりました(抜いてるんだけどなあ、これ以上どこを抜けっていうんだ、ブツブツ)」バシッ、ゲホゲホ(胸を打たれて咳き込む音)と、この繰り返し。
少しでも力みや緊張があると、そこを支点にするかのように巧妙に吹っ飛ばされ、芯のないフニャッとした抜き方だとそのまま防御を突破され、掌で体を打たれる。太極拳との戦いは実にやっかいなのです。
大抵は、攻撃される、相手が来ると認知した瞬間、こちらの体は反射的にビクッとなったり一瞬固まります。野生動物は次の瞬間にパッと逃げたり、攻撃に転じることができますが、僕ら凡人は、そこで心身が固まったままで敵に捉えられてします。これを武道的には「居着く」というんじゃないかな。
相手が来た!と認知した刹那、体をゆるめる、攻撃されればされるほどゆるめていく、心の集中は静かに維持し続ける・・・そうすると体の反応性は高くなり、相手もよく見えるようになります。少なくとも僕は、そう思いながら稽古することは、上達に有効でありました。
次第に、自分よりレベルが下の人と手合わせすると、相手の緊張具合、体の癖がすぐにわかるようになりました。逆に上級者が相手だと僕よりさらにゆるみきっているので、動きの起こりがわかりにくく、大きな力が発せられて打たれてしまいます。
太極拳の稽古とは、力の抜き比べなのです。こんなことを日々やっていると、僕の日常生活、特に臨床の場面に大きな影響があることに気がついてきました。というのは、面接では時に緊迫感で張りつめた雰囲気になることがあるからです。
子どもへの虐待行為を「しつけだ、何が悪い」と居直ったり、こちら(児童相談所)が施設へ保護した子どもを「返せ!」と殴りかかってきそうな勢いの父親や家族と対する時、普通はこちらも対決姿勢が喚起されて、場は一気に険悪な雰囲気になります。その時、お互いの身体はガチガチなのでしょうね。喧嘩慣れしている強面の人なら、さらにアグレッシブな「気」を出してくるはずです。そんな「男性的な」援助者もいますね(それはそれで役に立つこともありますが)。逆に、あまりに受容的、母性的な聴き手だと、相手の攻撃性はどんどん高まって、話は止めどもなく続き、結局何も決まらない、なんてことになるかもしれません。
僕の場合、そこで息を柔らかく吐き、太極拳の戦いの感覚を思い出します。相手の動きに合わせながら、力のベクトルを逸らしたり返していく、隙があれば入っていく、そんなイメージで、相手を見ながら、お得意の質問技法を繰り出していく・・・そうすると、少しずつ場の空気は変化していきます(うまくいけば)。頑固親父との対話の可能性が開けるかもしれません。
腕に多少の覚えがあるから「まあ殴られても何とかなるさ」と思えるので、できるのかもしれませんが、緊迫したり対決色の強い時にこそ、自覚的に力を抜くことがいかに大事かを太極拳や武道から学んだような気がします。
ゆるむ、脱力することは、僕にとってとても大切なテーマなので、また折に触れて語っていきたいと思います。
Comments
またまた面白く拝読しました。
一つ教えていただきたいのですが,脱力しきって組み手をしている上級者の体の重心はどのようになっているのでしょうか?
と言いますのも,確かに私もリラクセーションが重要であることに異存はなく,臨床でもリラクセーション法を活用することは多々あります。が,脱力を教える前に,そもそも重心が不安定で,それが決まらないと脱力もできないというケースに多々遭遇し,その結果,現在は脱力の前に,鳩尾や足の裏に意識を置いてもらって身体の重心を安定することに慣れてもらってから,たとえば呼吸法や筋弛緩法などを適用して,脱力の練習に入るようにしています。平たく言えば,脱力できる姿勢の練習です。
というわけで,アド仙人さんはじめ,ゆるめることを体得している方が,ゆるめているときにどのような姿勢を取っているか,重心をどのように置いているか,とても興味があります。
簡単に説明できることではないかもしれませんが,教えていただけると嬉しいです。
Posted by: coping | July 17, 2005 05:57 PM
coping様
コメントありがとうございます。
そうですね、重心自体は運動の局面に応じて、変化するものだと思いますが、うまい人はその重心のコントロールに長けているのは間違いないですね。脱力すればするほど、重心の感覚が増してきます。自分の身体の質量を「重み」として感じられるようになるっていいますね。でもその脱力を体験し、まして人に教えるのってけっこう難しいですよね。
copingさんのおっしゃるように、足の裏など身体の下部に意識を持っていくのは、よく聞くし、基本的には正しいんじゃないでしょうか。鳩尾は武道でいう丹田の感覚に近いでしょうし、足裏は地面と重心の関係に意識を向けやすくなるでしょうね。
問題は安定させようとして、かえって足腰を緊張させたり力んでしまうことだと思います。力みのもたらす緊張感、充実感と脱力のもたらす重心や重みの感覚を混同しないことが大事かな。
なんて難しそうに言いましたが、僕もまだまだですから。
また実践例を教えて下さい。検討し合いましょう。
Posted by: アド仙人 | July 18, 2005 12:09 AM
またお邪魔します。
とてもスリリングなテーマでしたね。今回は太極拳の話しかー、と思ってタイトルだけ拝見して中身を読まずに数日経過していたのですが、最後まで読んでみると面接のテクニックのオチになっているのですね。
最近になってディンクメイヤー「感情はコントロールできる」を読みまして実践に役立てているところですが、なるほど自身の感情の目的がわかって、余分な力が抜けたときに相手のことがある程度見えてくるようになり、そうなったときに初めて相手の感情の目的はなんだろうかと考える余裕が出てくるので、この話はとても目からウロコ、でした。相手と自分の(感情と)その目的が理解できれば、援助するにしても、攻撃するにしても自在であるなと、武術と心理療法の接点のような話であったところもワクワクしました。
ワクワクする話、これからも楽しみにしています。
ありがとうございました。
Posted by: 蚯蚓海豹 | July 18, 2005 09:14 AM
蚯蚓海豹様
おもしろく思って読んでいただいて、ありがたいです。
臨床心理学と武術なんて一見離れたことが、僕の中では渾然一体になっていまして、だからこんな変わったブログをやっているのですが、時々こんな風に交錯すると思います。わかりにくいところがあれば、ご指摘下さい。
打ち込める道楽とは、楽しいものです。武術に限らず、どんなことでも心理療法や対人関係に生きるし、おもしろいアイディアを与えてくれると思います。
僕らインテリ(?)は本や情報には一杯接するので、特に身体や五感を使うこと(料理とか農業、楽器などなど人によっていろいろ)が、良いのかもしれませんね。
Posted by: アド仙人 | July 18, 2005 11:49 PM