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August 23, 2005

時代は信長を求めているのか?

 ここでは気楽に好きな心理学や武術について書くだけにしようと思っていたのですが、たまにはそこから離れて、時事問題にも触れてみたくなりました。一介の臨床家に過ぎない自分が、あまり政治問題などに口を出すのもどうかと思いますが、長年いろいろな世界やユニークな方々とたくさんの経験をする中で、それなりの人間観を培ってきたつもりだし、具体的な臨床事例を挙げるわけにもいかないので、公的、歴史的人物を取り上げて思考実験をするのも面白いかなと思ったわけです。

 それに実は、僕は歴史が大好きなのです。歴史マニアとまではいかないと思いますが、折に触れ、暇つぶしに歴史関係の本や雑誌を漁ったり、大河ドラマや「そのとき歴史は動いた」などの歴史番組を愛視しているのです。職場の女の子なんかは、そんな僕を「おじんくさい」とバカにするので、「歴史から学ばないでどうする!(大体もうおじんだ)」と叱るのですが、全く意に介してないようです(T_T)。元々人間について関心があるからこそ、心理学や武術に打ち込んでいるのだし、歴史も自分にとってはその一環なんだけどなあ、誰もわかってくれない(涙)。それでは、ご笑読下さい。

 衆議院総選挙で騒がしい昨今、小泉首相は、自らを織田信長になぞらえているようです。以前から熱心な信長ファンらしいし、巷では例の造反議員への刺客候補送り込みを比叡山焼き討ちに例える向きもあるようです。改革者(になりたい人)には、信長のイメージに自らを重ね合わせたくなるのは当然でしょうね。

 そこで、最近ブログで知り合った方のHPにおもしろい記事を見つけたので紹介しようと思います。Thunder-r-Revolution 主宰の長沼敬憲氏はフリーライターや雑誌編集者などをおやりになっている方のようですが、歴史について普通とは違った感覚、見方で解釈をしようと試みていて、歴史好きにはとても刺激的な内容なのです。

 9.11衆議院総選挙を早くも予想する 長沼氏は、今回の衆議院選挙結果を小泉自民の有利と予想した上で、その理由は郵政民営化の賛否自体ではなく、もっと感覚的なレベルにあると考えています。

郵政民営化が本当に必要な改革なのか、国民の多くはよくわかっていない。
その点の不備を民主党や、自民の反対勢力は突いているわけだけど、それって正論以上のものではないわけで、では彼らが代わりに政権を取って「本当の改革」がやれるかというと……、やれるかもしれないが、何の保証もない。

そうなると、8割り方話の進んでいる小泉自民党のほうが、「何かが変わるだろう」という期待感を抱かせる。
繰り返すが、それが正しいのか正しくないのか、そういう話ではない。そんなジャッジはじつは国民にはできない。
大事なのは、理屈ではなく、感覚なのである。
偉そうに言えば、政治家はなによりそれを理解しないと駄目だと思う。

 その感覚として、我々が政治家に感じ取るものを人間としての「器」と氏は呼びます。

人は人を、そんな細部ではなく、もっと大まかな「雰囲気」で判断する。それを曖昧だ、いい加減だと言ってしまったら、世の中は見えなくなる。もちろん、人も理解できない。
なぜならその雰囲気のことを、人は「器」と呼んでいるからだ。

民主党の岡田さんは、話を聞いていると、正しい政策をわかりやすく説けば、国民は理解してくれると思っている節が感じられる。
でも、国民が求めているのは、「正しい政策」ではない。人としての安心感、信頼感を抱かせるだけの「器の大きさ」である。なまじ頭のいい人は、そんな器なんていう目の見えないものは信じない。まやかしだと思ってしまう。

現に岡田さんは小泉さんの人気をまやかしだと思っているだろう。
しかし、小泉さんが曲がりなりに4年間も首相でいられたのは、現状の日本で彼を上回る「器」を持った人間が現れなかったからだ。
それを政策で勝とうとしても駄目だ。
正論をいくら訴えようが、それだけでは負ける。

歴史を俯瞰すれば、小泉さんを凌駕するくらいの「器」を持った人物は、いくらでもいただろう。
しかしいまは、「器なんていう曖昧なものは信頼できない。大事なのはデータだ。科学的な分析だ」と、まだまだそんな価値観がまかり通っている。
器を持った人間が表舞台に現れにくい時代が続いている。

 最新の統計学や社会調査の手法を使えば、近い未来の選挙結果を予測はできるでしょう。でもなぜ、他でもないこの人、この政党が勝ったのかを腑に落ちるように説明しきることは難しいでしょうね。僕も、小泉さんには確かに良い意味でも悪い意味でも、ある種の器を感じていました。悪い意味というのは、見ていると「こいつは危ない男だ」「一流の人間ではないな」という直感があるんですね、他の方はどうでしょうか?あまり主観性や好悪が強くなってしまうと、論じてもキリがないかもしれませんが。ただ、いくら「器」を感じるのは主観的だといっても、僕ら臨床家だって、一見学問的な面接技法や心理テストなどを通して、クライエントさんの器をわかろうとしているともいえるわけです。逆にクライエントさんからは、こちらの器も値踏みされているですね、きっと。人間のコミュニケーションは「器の勝負」であるのは、間違いないでしょう。

 では、小泉・信長に勝るにはどんな器を持てばよいのか。そのHPの別の記事を参照すると、なんと武田信玄というキーワードが出てきました!とかく信長の対抗馬として、守旧派の代表みたいな評価のされがちな信玄を、信長より器のでかい人物として評価することができるというのです。武田信玄という遺産

 ちょっとわかりやすく説明していきます。信玄の場合、甲斐の国(山梨県)の生まれですが、甲斐は貧しい国で主食の米もあまりとれません。彼の家はその貧しい国の守護を代々つとめる家柄だったわけですが、貧しいというだけでなく、家臣や血族とのつながりもバラバラ。このバラバラを武力によってまとめたのは父の信虎です。信玄はこの父を国外追放して実権を握りますが、武力によって貧しさを克服し、家臣団の連携を維持するというやり方そのものは踏襲しました。

 とはいえ、このやり方はほとんどの戦国大名がやっていることでもあります。言い換えれば、そういう課題なり、条件なりが乱世のリーダーとして最低限義務付けられていた。ここで言いたいのは、信玄がこの条件をかなり高いレベルでクリアできたということ。暴君として知られた父の生き方を反面教師として見てきたことも大きかったかもしれませんが、簡単に言えば軍事的な強さだけでは駄目、人の心を無視したら反目される。この当たり前の現実を彼は理解していて、自分なりに実践ができた。だから武田二十四将などと言われる有能な家臣団が育った。反面、信長はこれがうまくできませんでした。

 人徳などというと綺麗ごとのように聞こえるかもしれないが、これはすべての人が身につけられるわけではない。まあひとつの才能だと考えてください。信玄が一流と言われるのは、これが第一に評価されているからです。一方信長は、信玄の父・信虎と、その点はよく似ている。彼が天才だったから家臣がついてこれなかったのだなどと言うと、あの時代にはむしろ難しいことだった人心収攬の術を会得していた信玄が過小評価されてしまう。家臣に愛想をつかされて殺された人を、気の毒と思うならともかく、あまり過大に評価しすぎるのは、テレビの見過ぎというものです。

 生粋の甲州人として、僕も当然武田信玄ファンなので、これはうれしい(^O^)。天才でも精神的に未熟で人間関係スキルのない信長や神懸かり上杉謙信とは違い、真の人間力を鍛え上げた信玄。信長はあっけなく殺されましたが、信玄は思想的、実質的後継者といえる徳川家康に継承され、最近再評価著しい江戸の時代へとつながっていく・・・。その記事では、信長との対比だけでなく、信玄の人間的ポテンシャルを上げるためのライバル謙信との関係、家康の信玄への憧憬も興味深く書かれています。

信長を「何をした人か」で評価する従来の見方が間違っているわけではありません。しかしその評価の方法は時代や国などによって変わりうるものです。事実と評価を混同させてしまうと一つの固定観念ができあがります。作家の明石散人氏によると、信長が現在のように評価されるようになったのは、戦後からだそうです。映画などで萬屋錦之助らのスターが信長を演じたことで、それが一つのイメージとして人々の意識に植えつけられた点が大きいと言っています。確かにそういう面はあるでしょう。

 信玄はそうした信長を中心とした視点のなかで、古い権威の最大の象徴のように位置付けられ、信長との対比抜きには語られにくい存在になってしまった。しかし考えてください。従来の信玄は、上杉謙信と対比されることで、その人物像が浮き彫りにされてきたのです。信玄×謙信という図式は「古い」んでしょうか? 一度「信長は凄い」という前提を取り払って、この二人を見つめ直したらどうでしょう? そうすると、もっと生の人物像が見えてくると思います。そしてそのほうがオーソドックスで堅実な物の見方なのです。オーソドックスを見失うと、多くのことが同時に見失われます。

 想像力を巡らせて考える歴史は本当に楽しいな。ただ、今の日本に信玄に相当する人物がいるかなー。岡田さん?亀井さん?小沢一郎?田中康夫やホリエモンはどう見ても違うだろうし、うーん・・・。やっぱり小泉・信長政権は続くのか?明智光秀はどこだ?とにかく政治家たるもの、本質的な人間力を磨いて世に打って出てほしいものです。岡田さん、僕のところに相談に来れば信玄への道を教えてあげるのになあ、なんちゃって。

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Comments

忙しくて返事が遅れてしまいましたが、どうもありがとうございます。

自作のWebはちょうど1年前にスタートしましたが、今回のようにきっちり紹介していただいたのはアド仙人さんが初めてです。ぼくの周辺でいろいろ面白い企画が進行しているので、Webを通じてこれからもお伝えしていきますね。

戦国大名で信玄の器を上回る人物を挙げるとしたら、歴史的なポジションから言っても、秀吉しかいないでしょうね。
秀吉は日本人の代表のような人物ですが、彼を超える人間はまだ現れてないと思います。信玄は「あるものの中から最高のものを生み出す」という保守系の代表です。保守に対して革新という言葉がありますが、信玄の保守に信長の革新を対置させるのは、ちょっとつらいかなあというのがぼくの感想です。

また何か書きますので読んでください。ぼくも拝見させていただきます。

Posted by: takanorix | August 29, 2005 10:39 PM

 takanorixさん、ありがとうございます。おもしろかったので勝手に使わせていただきました。
 最近の信長気取りの小泉さんの姿に危機感を持ったのを(おまけにそれを世間は歓迎しているムードがあり)きっかけにこの記事を書きました。信長を英雄視するだけじゃダメだろうって。
 秀吉はいいですね、でもやっぱり今それほどの人は出そうもないですね。ホリエモンじゃあなー。それに、「あるものの中から最高のものを作り出す」のは僕の私淑するアドラーやミルトン・エリクソンのような優れた臨床家の発想でもあるし、今の時代には必要な気がするのですね。
 それから、takanorixさんのブログでも言及している栗本慎一郎氏の復活作「パンツを脱いだサル」を先日読了して、今の日本や世界の状況について知り、愕然とした思いをしたのもきっかけになりました(ここ10年ほど仕事中心で思想や経済関係は避けていたのです)。ユダヤ資金資本と郵政民営化、ユダヤ人の起源など興味深いことばかりでとても刺激になりました。いつか感想を載せたいと思います。
 そちらもまた、おもしろい記事をお願いしますね。

Posted by: アド仙人 | August 30, 2005 12:01 AM

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