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September 21, 2005

アドラー心理学の種10・共同体感覚

 いよいよ、アドラー心理学の最重要概念、共同体感覚について考えます。目的論や勇気づけが表看板なら、共同体感覚は裏看板ってことになるのかなあ。意味はそれほど難解でもないけどなかなか正面から取り上げると難しい概念でもあります。これについて語る時、アドラー心理学は科学ではなく、ひとつの思想になります。共同体感覚は、臨床や教育の目標だけではなく、人類の幸福な生存のためには必須であり、究極の目標であるとさえいっているからです。こんなあやしいこという心理学なんてないかも(^_^)。

 アドラーは、精神的健康-人生における個人の成功-が、その人の共同体感覚の機能であると強く感じていた。共同体感覚とは、「人類との同一化」「共同の感情」あるいは「人生への帰属」を意味する         マナスター他著「現代アドラー心理学・上」

「人間共同体は私を援助してくれる。私は人間共同体に貢献できる。私には人間共同体の一員だ」という感覚を“共同体感覚”と呼びます。     「アドラー心理学基本用語集」

 (共同体感覚は)共同体に対する所属感・信頼感・共感・貢献感であり、精神的な健康のバロメーターです。      岩井俊憲著「勇気づけの心理学」

 アドラーは共同体感覚について三つのことを言っています。先ず第一には、「私は共同体の一員だ」という感覚。「所属感」といってもいいでしょうね。第二には、「共同体」は私にために役に立ってくれるんだ」という感覚。「安全感」とか「信頼感」と言えば近いかな。第三に、「私は共同体のために役立つことができる」という感覚。「貢献感」とでも言えばいいかな。     野田俊作著「アドラー心理学トーキングセミナー」 

 いくつか引っ張ってみましたが、アドレリアンによる共同体感覚の説明はいっぱいあります。読んだだけでイメージできますでしょうか?共同体感覚の「科学的定義」というものはありません。それはどんなものでどんな体験なのかは実際に味わうしかなく、言葉では描写したり、説明するしかできないと言います。そこで共同体感覚には、いろんな説明、切り口があるのですが、そのすべてが、アドラー心理学では、人間の根本的欲求は「所属すること」であると考えているところから出発していると言っていいと思います。けして快感充足とか無意識のあれこれが「根源」ではないのです(むろん、大きな影響因ではあります)。私たちは人生、人間関係、社会において「自分の場を得ること」を常に目指しています。思い通りにいけばよいのですが、なかなか人生そううまくはいきません。得られないとなれば「不適切」「破壊的」「ビョーキ」なやり方を駆使してでも得ようとさえします。中には逆説的にも「死ぬことで」居場所を得ようとすることもあり得ます。そのくらい居場所を得ることに「必死」なのです。

 アドラー心理学では、どうせこの世に生きて所属するのなら、自分だけじゃなく、他人や世界にとっても「良いやり方」でやろうよ、そう言いたいのですね。世界に対して少しでも建設的に関わっていきたい、そういう関心というか感覚が、身体の内部から自然に湧いてくることを望みたい。そう本気で思っているのです。ところが共同体感覚は、誰にでも同じように同じだけあるわけではない。教育や治療によって「意識的に育てなくてはならない生得的な可能性」でもあるのです。

 問題行動のある子ども、神経症者、犯罪者、性的倒錯者、売春婦、自殺する人の行動のような、人生の建設的でない面におけるあらゆる行動は、多かれ少なかれ、まさしく、共同体感覚の欠如とそれに伴う自信の喪失にその起源を求めることができます。   アドラー著「人はなぜ神経症になるのか」

 僕の臨床的経験では、その考えはほんとに妥当します(アドラー派として見るから当たり前だけど)。共同体感覚という視点に立つことで、クライエントさんの他者や世界との付き合い方、広がり方を直感することができます。そこで、共同体感覚の育成こそが、アドラー心理学的な治療や教育の目標になるわけです。

 我々はみな社会に所属し、そのなかでの自分の場を見出したいと思う。懸命な親は、このことを知っており、子どもたちが愛されているし、望まれているということを子供たちに知らせる。よい学校では生徒たちはお互いに支え合う。あらゆる集団において問題となるのは、一人ひとりが恨みや争いなしに、できるだけ充実した発達を遂げることである。-そうすることによって各自がそれぞれ、羨んだり妬んだりしないで、最大限に自分の可能性を伸ばすことを欲するようになることである。このことは、すべての人が、十分に所属していると感じた時に起こるのである。        「現代アドラー心理学・上」

 現代が子ども達に共同体感覚を育てるには、はなはだ難しい環境であることは明らかでしょう。

 共同体感覚は素敵な考え方だと個人的には思っていますが、語り方によっては、どうしても抽象的できれい事っぽくなってしまいがちだし、アドレリアン内部でも様々な意見があり、ここでも論じていくとどんどん長くなってしまうので、今回はほんの紹介にとどめます。これから時々自分の考えを思いつくままに話していきたいと思っています。わかりにくかったり、ご意見があったらお寄せ下さい。

 

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Comments

お久しぶりです。
「多忙」という言い訳のもと(現場で臨床やってる人は皆多忙なのに・・・),ブログ更新をさぼりまくっている私としては,歴史や政治にまで言及しているアド仙人さんに感服することしきりです。
さて「共同体感覚」,アドラー自身の理論はきちんと理解するほど勉強していませんが,直感的には非常によくわかります。CBTの大原則の一つである「協同的実証主義」の「協同」とかなり通じるものがあるように思います。明後日から北海道浦河のべてるの家を再訪しますが,彼らの活動を成立させているおおもとに,やはり「共同性」があるのだと思います。べてるの家の活動とCBTとを関連づけるのが,私の目的ですが,それはCBT的技法ではなく,やはり「共同性」ではいかと考えています。
などと書きながら,せっかく入手した「現代アドラー心理学」はいまだ積ん読状況で,お恥ずかしい限りです。今,たまたま読んでいるCBTの本に,何度もアドラーが言及されており,やはり近いうちにきちんと読みたいな~と願望しております。
当方のブログも10月に入ったら再開しますので,今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

Posted by: coping | September 25, 2005 at 12:43 AM

こんにちは。
学問的にはわからないのですが、素人の感覚レベルでなんとなく判る気がします。非常に浅い理解ですが。
自分はまさしく「所属の欲求」が満たされないから苦しんでいると思います。
きっと今後も決して満たされることはないだろうと推測するので、そんな欲求を捨ててしまうことができれば、楽になれるかなと思います。
無人島で暮らせればいいのですが・・・。

Posted by: akino | September 25, 2005 at 12:51 AM

coping様

 お久しぶりです。べてるの家の報告を楽しみにしておりますよ。自分は、ただいま秋田から帰ってきました。秋は旅の季節ですね。
 共同体感覚と共同的実証主義の類似性は、以前から僕も感じていました。僕らはみんなエゴイストだけど、共同性を感じたり実現しようとすることで心の健康が得られるのも真実なんでしょうね。心理療法の大きな流れを感じます。
 アドラー心理学は別名「個人心理学」といわれるけど、「個人主義心理学」じゃないところがミソですね。

Posted by: アド仙人 | September 25, 2005 at 11:37 AM

 akino様

 コメントありがとうございます。
 無人島はいいですね。昨日秋田の山奥で秘湯巡りをしてまして(ある学会のプログラムなのですが)、こんなところで一生を送るのも悪くないなと感じていました。でも俗気が抜けないから所詮無理ですけど(*^_^*)。
「所属の欲求」の満たし方は、千差万別でいっぱいあります。極端な話、人や社会と接しなくても「地球・宇宙への所属感」を得ることで満たされる人もいると思います。自分にあったやり方を見つけたいものですね。

Posted by: アド仙人 | September 25, 2005 at 11:44 AM

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Tracked on September 22, 2005 at 08:43 PM

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