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November 26, 2005

アドラー心理学の種12・家族の雰囲気

 前述の事故は無事解決の方向に向かっており、すでに復活しております。心配して下さった方々、ありがとうございました。周りの方にもいろいろ励ましていただき、調子に乗って「もっとやさしくして」「おごって」などと言うものだから、完治したとアセスメントされてしまったようです。

 さて、アドラー心理学において、家族価値と対になって説明されるのが家族の雰囲気です。

 それぞれの家族には独特の家族成員の役割の定義や、家族成員間の約束事、あるいは家族内の問題解決のためのルールがあります。これらをひっくるめて家族の雰囲気といいます。家族の雰囲気ははっきりことばにして決められることもありますが、多くの場合はことばにされないままの暗黙の雰囲気です。                              「実践カウンセリング」

 他人との付き合い方、問題の解決方法、物事の決め方、感情の使い方、性役割の意識などなど、言葉になりにくいレベルのコミュニケーションのルールのことを総称します。ルールについてのルール、ルールの決め方についてのルール、メタルールとでもいえばいいでしょうか。
 大抵は両親や年上のきょうだい、近親の大人の行動がモデルになって、子どもによって学習されます。特に男女の役割については、子どもは両親のやり方を見て学ぶことが多いでしょうね。
 どのような行動が実際に効果があり、どのような行動がうまくいかないかについて、子どもはほんとによく観察していますよね。

*家族の雰囲気の例
全般的雰囲気
  開放的に話し合う vs 閉鎖的で話し合わない
  楽観的 vs 悲観的
課題解決の仕方
  どれだけできたか(プロセス重視) vs できたか、できないか(結果重視)
意志決定の手続き
  民主的に決める vs 独裁者が決める
  理性的に話し合う vs 感情的に傷つけ合う
規範意識
  創造的・現実的 vs 保守的・因習的
援助の仕方
  勇気づけ的 vs 過保護・過干渉

 などなどいろいろ整理することができます。問題は、家族の雰囲気は通常意識化されにくいということです。その家族の自明性の体系でもあり、表だって指摘したり批判することもできないことがあります。だから、知らず知らずのうちに、そこに育つ者は当たり前の振る舞いとして身につけていきます。このレベルの学習を変えるのは、ちょっと大変みたいです。ベイトソンの学習理論的にいうと、通常の学習の起こるレベルよりも、高いレベルのコミュニケーションだからでしょうか。
 だから、家族の価値に対して子どもはノーを言いやすいのですが、雰囲気にはノーというのが難しい。星飛馬は父一徹の命令を拒否して、(当時だから)カミナリ族になることができましたが、それでも「カミナリ族の星」を目指したり、ファシスト的な厳しい総長(っていったっけ?)としてグループを仕切ったことでしょうね(民主的なカミナリ族なんてないだろうけど)。

 また、家族の価値は「民主主義」をうたっていても、雰囲気は父親が全てを仕切る「支配的雰囲気」が濃い家庭もあるかもしれませんね。価値と雰囲気のズレや矛盾は、意外とよくあることです。「家族愛」を説きながら、雰囲気は「虐待」なんて今時はざらにありそう・・・(というか実際よく見ました)。

 ちなみに私は、両親のヒャクショーの価値観にノーを言いながらも、雰囲気は割と楽天的というか適当にやればなんとかなる的なところがあったので、あまり世代間の葛藤は激しくなく(それなりにありましたけど)、その家庭で生きるのは楽でした。戦争世代でもあり、空襲に追われたり飢えるのは嫌だと思っていて、(最近は旗色の悪い)戦後民主主義的考え方を良い意味で取り入れてくれたからだと思っています。

 面接場面では、アドラー心理学のライフスタイル診断をしたり、家族療法でいうジェノグラム(家系図)を作りったりながら家族の価値観、雰囲気を推量していくとけっこう面白いですね。ちょっとした振り返りにはなります。

 でも「家族がこうだから俺はこうなった」なんて決定論的な考え方はやめてくださいね。どんな状況でも、人は自らのことを決定できる余地はあるというスタンスは持っていたいと思います。

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Comments

なるほど。CBT的に言えば,「家族スキーマ」あるいは「家族内ビリーフ」とでも呼べそうな気がします(勉強不足で,すでにそのような語があるのかもしれません)。その人のスキーマやビリーフ(「信念」という日本語をあてはめると,なぜか違ってしまうような)は,原家族のスキーマやビリーフに基づいて形成されますが,それに不都合があれば,その人なりに再形成できるものとCBTでも考えます。要は,原家族の雰囲気が自分に与えた影響を自覚して,あとは自分でそれとどのように付き合っていくか選択していけばよいわけですね。と,簡単に書くほど簡単ではないですが,いわゆるパーソナリティ障害の方が徐々に変化していくありさまを目の当たりにすれば,何とかそのような「選択」は可能である,と希望が持てます。

Posted by: coping | November 28, 2005 at 08:13 AM

 coping様
 全くおっしゃるとおりだと思います。
 厳密に言えば、家族の雰囲気なるものが実在するわけではなくて、「家族についてのその人のビリーフ」なんでしょうけどね。でも家族何人かと一緒に検討し合えば「家族内ビリーフ」が合意されるかもしれません。
 子どもに関わるセラピストは個人だけでなく、家族そのものに関わる事態もあり得るわけで、家族のアセスメントの切り口はいくつか持っていた方が強みになるかもしれません。また、家族のリソースを探る手がかりになれば良いなと思っています。

Posted by: アド仙人 | November 29, 2005 at 12:02 AM

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