トランスで復活?
帰ってきました、三日間の研修から。口内炎もほぼ完治し、おいしくお食事をいただけるようになり、ほんとによかった。どうも私は体質的に口内炎になりやすいようなので、気をつけなきゃ。
研修はかのエリクソン催眠のワークショップ、講師はミルトン・H・エリクソン財団のチーフトレーナー、ブレント・ギアリー先生、長身、長髪でロックミュージシャンみたいなルックスでとてもミステリアスな雰囲気の方でした。
内容はとてもよかったです。実習中心で、三日間たくさんの方と組んでトランスに入れたり、入れられたりでとても気持ちがよかった。おまけに私は先生のデモンストレーションの時に「誰かボランティアやってくれる人いませんか」と言われた時に、ここぞ!とパッと手を挙げて被験者にさせていただくこともできました。
ここ数年、催眠にはまっていたのですが、改めて受講してとてもよい復習になりました。おかげで少しはスムーズに誘導できるようになったかもしれません。
振り返ってみれば、自分は長い間意識状態を変えるテクニックをあれこれと探し、体験してきたような気がします。
自律訓練法やシルバ・マインド・コントロールというイメージ瞑想法みたいなのに高校時代に触れていたし、座禅もしたし、ヨガやTM瞑想にも顔を出したこともあります。意識をトリップさせるトランスパーソナル心理学のブリージング・セラピーにも一時期よく行ったことがことがあります。
呼吸法や気功法、武術だってそうだし、なんかこういったものが主で、心理学は従という趣さえあります。もの好きといえば確かにそうですね。変性意識ジャンキーとでもいおうか(^^)。でも、おもしろいんだよな。
別に空を飛びたいとか(笑)、悩みを解消したいというのはなかったんですけどね。ただ自分を変えたい、高めたいという動機はあったかな。その結果どうなったかは、わかりませんが・・・。チョイ変オヤジにはなれたかな。
催眠を学ぶなら、尊敬する大名人、ミルトン・エリクソンのメソッドを学びたいと願い続け、ここ数年でそれもかないました。あとは技を磨くばかりだな。
エリクソンとアドラーは、幼い頃病弱だったこと、そこから類い希な観察力を身につけたこと、コミュニケーションの達人で、未来志向で常識性を重んじたことなど、時代や育った国は違うけれども似ているところが多いと思っていました。
結局自分のライフスタイルというか、人生のテーマとでもいうか、好みとするところをグルグルと回りながら遍歴を続けてきたし、これからもそうなるのだろうなと思います。
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Comments
初めましてアド仙人さん。ひょっとして、広島学会でお会いしたことがあるかもしれませんね。
それはともかく、<アドラー心理学の基本前提の一つが、「全体論」である>ということを「知ること」「学ぶこと」と、<全体論を生きるコト>は、「別物」であると、最近自身を振返って思っています。
怪しげな表現になりますが、「ああなんと自分は馬鹿者だったんだろう、そしてそんな私を<世界>は生かし続けてくださった。」という体験があり、その体験・感動を日々刻み続けていないと、<全体論を生きる>とは言えないように感じています。
あるいは、仏教的な表現をするなら、<「私」という実体などなく、あえて肯定文で表現するなら、「私」という現象が現象している>と、いうものの見方で日々日常の選択・決意をしていないと、生きているとは言えないように思ってます。
生まれた時から、<要素論>や、<自我の確立>が当たり前の文化で育ってきたのですから、なかなか要素論的な常識は抜け切れませんね。
Posted by: k1s | February 04, 2006 11:57 AM
k1s様、ようこそ。含蓄のあるコメントありがとうございます。
広島には行っていませんから、おそらく他の地で数回お目にかかっているかと思います。
「学ぶこと」「知ること」と「生きること」が「別物」というのは、まさにおっしゃるとおりと思います。また、それを血肉化するには時間もかかるし、いろいろなプロセスがあるでしょう。私の考えでは、それらが「別物」といってもデジタルに明確に区切られた「別物」ではなく、アナログ的に変異していく「別物」のようなものというイメージで捉えています。
私の太極拳の師匠の師匠は無茶苦茶強い武術家でしたが、敬虔な仏教徒でもあって、「片足で立つとき、地球が自分を支えてくれていると感謝すること」、そうすれば安定するという意味のことをおっしゃったそうです。一人で立っていると思ってはダメなのでしょう。
なんか、その辺のことを思い出しました。
今後もよろしくお願いします。
Posted by: アド仙人 | February 05, 2006 01:25 AM
>「片足で立つとき、地球が自分を支えてくれていると感謝すること」、そうすれば安定する云々。
う~ん・・・。
なんとも、その境地の方しか体感できそうもないお言葉・・・。
しぶいです。
Posted by: ぐうたら三昧 | February 16, 2006 10:37 AM
ぐうたら三昧さん
もちろん私はこんな境地ではありませんよ。感謝どころか恨み、怒り、嫉妬の固まりでして(笑)。
まあ、どっかの宗教か説教話のように無理矢理感謝するとかさせるんじゃ意味ないですからね。
取りあえず、力を抜ききって立つことでしょう。
Posted by: アド仙人 | February 16, 2006 11:55 PM
アド仙人さんへ
しかと了解致しましたm(__)m。
>感謝どころか恨み、怒り、嫉妬の固まりでして
ああ、これは私もでございます(^_^;)。
ちなみに、私は、ときどき、自分のあまりの小物っぷりに困り果てるしだいです(*_*)。
Posted by: ぐうたら三昧 | February 17, 2006 06:00 PM