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March 20, 2006

「アースダイバー」

 東京を歩くのは前から好きでした。
アップダウンの多い地形に、新旧の歴史や文化、人々の暮らしが様々な色合いに現れていて、いくら歩いても飽きることがありません。
 江戸の残り香というか、下町情緒を楽しんだり、話題のお店に行ったり、最先端の文化に触れるのもよいのですが、それだけでない心地よさがあります。
 私の住む田舎の人には、渋谷や新宿の人混みがうんざりするという方もいるのですが、私は逆にそれにもウキウキします。

 なんでだろうな、と思っていたら、それは縄文以来の土地のエネルギー、記憶に私がシンクロしていたのではないかというロマンチックな夢想でもって納得することができたのが、

中沢新一 「アースダイバー」 講談社

 東京の地形は縄文時代のリアス式海岸のような複雑な地形が今も残っている、神社仏閣がおかれているところの多くは、大昔海を臨む岬のところにあり、そこは縄文時代から既に聖地だったところではないか、太古から積み重ねられた土地の記憶、「力」が今の東京の街にもうかがうことができる、というのです。
中沢さんは、縄文期の地形と遺跡、古墳、神社をマッピングした「縄文地図」と現在の東京を重ね合わせながら、土地と精神の古層にダイビングしていきます。

 どんなに都市開発が進んでも、ちゃんとした神社やお寺のある場所にはめったなことでは手を加えることができない。そのために、都市空間の中に散在している神社や寺院は、開発や進歩などという時間の浸食を受けにくい、「無の場所」のままとどまっている。猛烈なスピードで変化していく経済の動きに決定づけられている都市空間の中に、時間の作用を受けない小さなスポットが、飛び地のように散在しながら、東京という都市の時間進行に影響を及ぼし続けている。
 そして、そういう時間の進行の異様に遅い「無の場所」のあるところは、決まって縄文地図における、海に突き出た岬ないし半島の突端部なのである。縄文時代の人たちは岬のような地形に、強い霊性を感じていた。そのためにそこには墓地を作ったり、石棒などを立てて神様を祀る聖地を設けた。
 そういう記憶が失われた後の時代になっても、まったく同じ場所に、神社や寺がつくられたから、埋め立てが進んで、海が深く入り込んでいた入り江がそこにあったことが見えなくなってしまっても、ほぼ縄文地図に記載されている聖地の場所に沿って、「無の場所」が並んでいくことになる。つまり、現代の東京は地形の変化の中に霊的な力の働きを敏感に感知していた縄文人の思考から、いまだに直接的な影響を受け続けているのである。

 今の記号化してしまった風水の原型がこの本でうかがえます。
 私の住む地は、まさに縄文人の遺跡、集落のすぐ側(もしかしたら家の地下には埋まっているかも)で、その上で気功とか催眠とかしているのだから、中沢さんのいうことは感覚的にわかるような気がするのです。集合的無意識のレベルで、シンクロしている?

 あまり科学的な話ではありませんが、身体感覚的な「遊び」ができそうです。ユンギアンの臨床心理士さん、こういう感性、わかってくれるかな?

 また東京を歩くのが楽しみになってきました。

ほぼ日刊イトイ新聞-はじめての中沢新一
 このことについて、中沢さんと糸井重里さん、タモリさんとの鼎談がおもしろいです。

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