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June 27, 2006

発達障害と子ども虐待

 一昨日、発達障害の臨床で著名な杉山登志郎先生(医師、あいち小児保健医療総合センター)が来県して、養護施設など福祉関係者に講演があったので、業務で参加しました。

「高機能広汎性発達障害と反応性愛着障害の抑制型との鑑別は最も困難なものの一つ」「一般的なADHDと虐待による多動性行動障害との鑑別も困難」というテーマを中心に、虐待にともなう多動性行動障害の神経生理学的研究、非虐待児の脳画像所見など、興味深い内容でした。
 中でも、発達障害としての非虐待児への対応という視点が今求められていると強く主張されていました。
 例として、チャウチェスク政権下で生じた大量のストリート・チルドレン(チャウチェスク・ベビー)に自閉症様症状を示していた子が多かったものの、里親など適切な環境に生活できるようになった後には劇的な改善をしたケースが少なくなかったことが紹介されていました。おそらく極めて劣悪な環境下におかれたことの影響因による愛着障害であったろうとのことです。

 私も日々虐待を受けた子どもさんの判定(アセスメント)をしていて、虐待の影響と発達の遅れ、偏りの関係をどう考えるかに迷うことは多いので、大変参考になりました。

 また、杉山先生は、最近自閉症の中核症状である社会性の問題を改善すること目標にして注目を集めつつあるRDIの本も翻訳されていました。私もRDIに注目していたので思い切って質問をさせていただきました。先生からは、RDIは被虐待児にも効果があるのではないかとのことでした。   RDI(対人関係指導法)

 それから、我々や先生との共通認識として、我が国の虐待対策の中心が児童養護施設に担われていることの困難と限界がありました。人手が著しく不足した大舎制の問題と里親の数も減りつつある中で、各機関、施設のスタッフ達のできることは限られています。
 まったく我が国は、何かあれば大騒ぎするけど、結局は「強きを助け弱きを挫く」国に成り下がってしまったようです。

 短い時間でしたが、日々の臨床の中心である子ども虐待と発達障害に関する問題の整理に役立ちました。

 

 

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Comments

アド仙人さま

ご無沙汰しております。
発達障害の勉強の一環で,杉山先生のご著書は何冊か
拝読しておりますが,現場で当事者を中心とした実践をされておられることがよくわかるような著作で,大変勉強になっておりました。

業務で杉山先生の講演を聴けるなんて,ちょっとうらやましかったりして。

> 「高機能広汎性発達障害と反応性愛着障害の抑制型との鑑別は
> 最も困難なものの一つ」「一般的なADHDと虐待による
> 多動性行動障害との鑑別も困難」

なるほどねえ・・・

もし可能であれば教えていただきたいのですが,これらの「鑑別が困難」なケースについては,鑑別が困難であるがゆえに,すぐに何らかの致命的な問題が発生するものなのでしょうか? それとも鑑別が困難であることは認識しつつも,とりあえずそのときどきの対応をしていくなかで,たとえかなり時間がたった後でも,鑑別ができれば,フォローできるものなのでしょうか? あるいは鑑別しきれないままだとしても,それなりに何とかなると考えてもよいものなのでしょうか?

もちろん現場的,臨床実践的には,ケースバイケースであることは承知しております。が,やはり鑑別作業というのは非常に重要かつやっかいな手続きであり,CBT的にも興味のあるところですので,何らかの示唆,あるいはアド仙人さんの私見を頂戴できると大変嬉しいです。

やっかいなご質問であればすみません。あくまでも,いつか,お時間のあるときに,気が向いたらリコメントいただければうれしいです,というレベルのご質問でありますこと,言わずもがなだとは思いますが,記しておきます。

Posted by: coping | June 28, 2006 11:41 PM

copingさん

 ありがとうございます。難しいご質問ですが、大事な点ですよね。

>これらの「鑑別が困難」なケースについては,鑑別が困難であるがゆ>えに,すぐに何らかの致命的な問題が発生するものなのでしょうか?

 致命的ということは少ないでしょうけど、医療に乗せるときの判断には迷いますね。まあ、医師がわからないと言っているのだから、その医師の意見を聞きながら保護者と話し合っていくことが多いのではないかな。
 ただ、子どもを家庭から離して児相としての処遇を決めるときの根拠に影響があるかもしれません。養護施設か児童自立支援施設か、情緒障害児短期治療施設か、他の障害児関係の施設か、子どもの将来に関わる決定ですから迷うケースはありますね。ただ、

>それとも鑑別が困難であることは認識しつつも,とりあえずそのときど>きの対応をしていくなかで,たとえかなり時間がたった後でも,鑑別>ができれば,フォローできるものなのでしょうか?

 のように、判断や診断保留のまま施設にお願いして、そこスタッフにもその点を留意してもらうようにきちんと伝えておくことですね。そして時期をおいて、再アセスメント、診断をしていくことです。児相と施設の連携が問われるところです。
 杉山先生も「鑑別に要した時間は平均で1年間であった。特に入院治療によって集中的なケアを行うと、鑑別はより容易になった」とおっしゃってます(当日の資料より)。

 ただ問題は、現実の施設が虐待環境よりは「まとも」であっても、必ずしもベストな環境ではないということです。記事にも書きましたが、大舎制がほとんどの養護施設等では、とても「治って」「いい子」でいるわけにはいかず、かえって多動の方が施設内生存的には良いかもしれません。
 いろいろな問題を抱えた子ども同士が、密接に暮らし合うことでメリットはあっても、デメリットも大きく、かえって診断的にはわけわかんなくなっている可能性もあるように思います。

>あるいは鑑別しきれないままだとしても,それなりに何とかなると考>えてもよいものなのでしょうか?

 そういう場合も多くあるでしょうね。こちらも複眼的、二枚腰的視線で付き合っていくことは可能だし、診断的にわからなくても、勇気づけていくことや正の強化を中心に良いコミュニケーションをしていくことで、事態を改善させていくことは可能だと信じています。

 とりあえず、考えてみました。
 言葉足らずのところはまた、書いていきたいと思います。

Posted by: アド仙人 | June 30, 2006 12:22 AM

アド仙人さま

非常に丁寧でわかりやすいご回答,たいへんありがとうございます。

鑑別の重要性と,現場での困難さが,具体的によくわかりました。
それぞれの現場における制約は制約として受け入れながら,
そのときどきで最もよい(と思われる)判断を下し,
できる援助,対応,指導をしていく,ということなんですね。
(まあ,それは子どもの発達援助の話に限りませんが)

> 判断や診断保留のまま施設にお願いして、
> そこスタッフにもその点を留意してもらうように
> きちんと伝えておくことですね。そして時期をおいて、
> 再アセスメント、診断をしていくことです。
> 児相と施設の連携が問われるところです。

なるほど,なるほど。
診断的に「保留」であることを,そのまま関連機関がやスタッフが
共有するということですね。
むしろ保留であることが共有されれば,
その子のありようをスタッフが日々観察することから,
再アセスメントのための良好な素材が収集されるということに
なるのでしょうか。
そうだとしたら,「保留」の共有ということ自体が
非常に重要だと思います。

> 杉山先生も「鑑別に要した時間は平均で1年間であった。
> 特に入院治療によって集中的なケアを行うと、
> 鑑別はより容易になった」とおっしゃってます(当日の資料より)。

なるほど・・・1年間かあ。
時間をかけて鑑別する,というイメージがもてました。

以上,とりとめもなく書きましたが,
大変勉強になり,ありがとうございました。
今後も記事,楽しみにしております。

Posted by: coping | June 30, 2006 08:57 AM

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