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July 07, 2006

三位一体の天皇制

 ミサイル騒ぎで騒がしい昨今、女系天皇を巡る論議は、紀子様ご懐妊でうやむやになっておりますが、中沢新一さんが新聞に面白い記事を寄稿していました。「天皇制を存続させるもの」(7月1日付け、山梨日々新聞)

  我々日本人がなぜか感じる天皇の権威とは、どのようして生じるのか、という問いから始まります。

 人間の生きた身体のなかに、世俗的な価値を超越した「なにものか」が宿っている、という二重性にもとづいている。そこで天皇という存在を支えるべき特別な身体=器の存続こそが、いちばんの問題であると考える人たちは女性ないし女系の可能性を認めようとしている。

 女系天皇容認派は、「男系が途切れちゃうんだから仕方ないじゃん」といった現実主義のように見えて実は、

 生きた人間の身体の中に超越的な権威が宿っているという考えは、一種の幻想としての構造を持っている。

 という意味で、幻想維持派なのです。一方男系維持派とは、

 天皇を存続させてきた原理を、単一系譜のうちに見いだそうとする思考は、社会的な性質を帯びている。こちらは幻想でないぶん、説得力がある。しかしそのかわり生きた人間の身体のうちに超越的な権威が宿るという、天皇の本質をつかみきることができない。

 女系容認派も男系維持派も天皇制の本質をつかみきることができない。その両者を背後から支えてきた別種の力を考えなくてはならないというのが、中沢さんの本旨。

 自分自身ではシステムに参画しないけれども、そのシステム全体を背後から支え動かしている原理、人類学ではこういう存在を「ゼロ記号」とよんでいるが、わたしは民俗学者の折口信夫にならって、それを霊(スピリット)と呼ぼうと思う。

 明確なすがたも持たず、同一性すら持たないこの霊が働くことによって、天皇制は歴史の激動をくぐり抜けて生きる、変幻自在な生命力をもった。天皇という存在は、幻想の構造と、系譜に支えられた社会原理と、「ゼロ」記号としての霊の働きとが、分かちがたく結び合った三位一体のシステムとして、今日まで生き続けてきたものである。

 昔から日本にはこの「ゼロ記号」「霊」の装置が、いたるところに仕掛けられていた。しかし、近代化や昨今のグローバル化の中で、この「霊」の思考が欠落してしまったため我々は「天皇制の核心部分にあるものを、はっきり認識することができなくなってしまった」と中沢さんはいいます。

 いきなり霊が出てビックリされるかもしれませんが、今日本中で起きている「何かの崩壊感覚」に、この社会システムや人々の幻想の構造を背後から支えるものとの関係があるかもしれない、そう考えるのは意味があるかもしれません。

 心理療法の世界で、最近スピリチュアリティーがテーマになることがあります。これも欧米発なのですが、もしかして日本のみならず世界中の社会や人々の意識を根底から支えるものに何か大きな変動が起きていることの兆候かもしれません。
 日本でもこのような霊性の欠如と共に、スピリチュアルなセラピーが注目されていくことは考えられ、現にそのような状況になりつつあります。

 ところで私は、天皇皇后両陛下をホンの目の前、手が届く近さでお会いしたことがあるんですよ。もちろん、勲章をもらったとかじゃないですよ。
 昔いた私の職場に、なんとお出でになったのです(行幸啓とかいったかな)。居並ぶ私や同僚の前であの柔らかくやや高い声で、「お仕事、お励みください」という「お言葉」をかけていただきました。
 右翼が聞いたら、恐れ多くて飛び上がるかひれ伏すような状況ですが、私は「へー、この人があの天皇か。この小さな身体のDNAに、天照大神以来の流れが入っているのかなあ」などと場違いな歴史ロマンに浸ったのでした。

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