「人はなぜ学歴にこだわるのか」
学歴、嫌な言葉です。
でも、日本に生きていて、学歴と無縁、意識しないで生きることは不可能でしょう、たとえそれがあってもなくても。本書は、そんな日本人を上から下から横から斜めから斬った、とてもおもしろい本です。
図書館に注文した本を借りに行ったら、偶然書棚にあるのが目に留まって手にしました。あ、こ人は内田樹先生のお友達の名コラムニスト、ライターだ、と思い出して、直感的に借りたのでした。
小田嶋隆著「人はなぜ学歴にこだわるのか」(メディアワークス)
学歴至上主義、受験戦争にほとんど多くの日本人は批判的でありながら、自らの立場になるとその体制維持に荷担します。
僕らはみんな被害者であると同時に加害者です。
高度成長期からこっちの三十年、受験戦争が緩和された兆候はまったくないし、受験戦争の低年齢化は進む一方だ。
どういうことなのだろう。
どうしてこの国の潮流は国民のほぼ全員が反対している方向に向かって流れているのだろう?
答は簡単。
当事者と傍観者の間で、意見が食い違っているからだ。
誰が当事者で誰が傍観者だという話ではない。犯人探しをしているのではない。
だって犯人ということなら全員が犯人だし、誰が被害者なのかといえば、全員が被害者なんだから。
(中略)
とすると、人々は観光地の混雑を嘆く観光客みたいなもので、自分が混雑の元凶であるという自覚を欠いているのだろうか。
いや、そんな無邪気な話ではない。
むしろ、欺瞞です。念の入った、集団的な自己欺瞞です。
しかも、学歴に関する人々の言行不一致は、単純な自己欺瞞であるのみならず、様々な防衛規制を含んでいて、時に奇妙な形の理論武装を伴って外に現れる。
「私がケンイチを慶應に入れようとするのは、学歴が欲しいからじゃないわ。親だったら誰でも子供のために最良の教育環境を提供して挙げたいと思うものでしょ。で、その最良の教育環境が、私の考えでは慶應ということになるわけ。これは趣味の問題よ」
「オレは学歴主義者なんかじゃないよ。まあ、早稲田主義者だって言えばそう言えるかもしれないけど。でもオレは単に早稲田の校風に惚れているわけで、エリート主義で早稲田に惚れているわけではないぜ」・・・・・
6年前に出版されたのですが、「一代限りの身分である学歴が世襲されつつあることの不思議」と今の身分固定化に向かう格差社会を予見しており、「早稲田フリーメーソン稲門会」では、今も会社や組織にある奇妙な学閥意識を論じ、慶應一族の二谷家にはじかれた郷ひろみや中卒のSMAPのシンゴ君、高卒の田中角栄、学歴詐称の野村沙知代、早大中退の広末涼子など、学歴を巡る人々の悲喜劇を描き、その意識の表裏を考察しています。
私は小田嶋さんと同じ大学だから、彼の学歴に対するビミョーな感覚がわかるような気がするんだな。
東京に行く電車の中で読了。おもしろかったです。
そういえば、コイズミくんも一部に学歴詐称疑惑があるな。
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