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October 19, 2006

「危ない精神分析」

「危ない精神分析-マインドハッカーたちの詐術」矢幡洋著,亜紀書房

 本書は本格的トラウマ本の先駆けとなった「心的外傷と回復」(みすず書房)の著者ジュディス・L・ハーマンと彼女らを中心にして進められた記憶回復療法、それを背後に支える精神分析的思考への批判の書です。

 一般書の体裁ですが、心理学にかなりの関心と知識がある人以外にはややわかりにくいかもしれませんが、私にはとても面白かった。

 幼児期の児童虐待によって、その記憶を解離によって抑圧し、忘却したものを「記憶回復療法」によって思い出すことで回復するという、何となく説得力のありそうなストーリーが実は心理学的にとんでもないガセネタであるにも関わらず、欧米では一大運動にまでなり、虐待を「思い出した」という子どもが親を告発するという家族同士の悲惨な訴訟合戦にまでなった顛末が詳しく書かれています。
 少なくとも万単位のアメリカ人がこの「虐待告発運動」に巻き込まれたとか。

 6,7年前だったか、児童虐待が注目されてくる中で、本書が基本図書のような扱いを受けていたので、職場でも購入してくれ、読んでみました。
 しかし、世間や専門家が大絶賛する中で(なんせあの中井久夫さんが訳されているのだから)、読めば読むほど、「変だな、変だな」という思いがつのってくるのでした。

 そこである日出会ったのが、ワシントン大学教授のエリザベス・ロフタス著「抑圧された記憶の神話-偽りの性的虐待の記憶をめぐって」(誠新書房)でした。
 認知心理学者の著者が行う、実際には体験していないことをあたかもあったことかのように思い出させる偽記憶の実験はとても興味深く、私の懐疑は確信に変わりました。
 「抑圧された記憶なんて存在しない」、ハーマンの論はインチキだ、あるいは多少の真実があったとしても全く役には立たない、と。
 そして本当に虐待を受けた人たちに対する支援が、ハーマンたちのせいでかえってうまくいかなくなってしまう恐れがあるのではないか(実際アメリカではそうなったらしい)。

 後で知ったのですが、このロフタス女史が、ハーマンの論敵、天敵として戦い、ついには学問的にも、運動的にも完膚無きまでに叩きのめしたのです。

 本書では、そのプロセスが詳しく描かれています。

 著者はその勢いで、ハーマンの理論そのものではないけれど、その背景にあると思われる精神分析的思考に批判の筆を進めていきます。
 なぜなら、カルト的なハーマンの論や運動に共鳴したのには心理学に無知な大衆だけではない、資格を持った多くの心理士、カウンセラーがいたからです。
 なぜ、彼らは記憶回復療法に共感したのか?基本の思考が間違っているのではないか?
 その主張には大いに同感しました。

 著者について、私はほとんど知らなかったのですが、かなり本を出しているようですね。ただの最近よくいる心理本のライターかと早合点してたみたい。
 解決志向ブリーフセラピーに取り組んで臨床活動をしているようだから、遅まきながら注目してみよう。

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Comments

>ハーマンの論はインチキだ、あるいは多少の真実があったとしても全く役には立たない

当事者としては、異論のあるところです。学術的な論争も結構ですが、援助者の視界から当事者の実態が抜け落ちることがないことを願ってやみません。

記憶の捏造あるいはデッチアゲという言葉が放たれる場所の政治的な危うさには、精神分析の現場のみならず、もっと繊細な理解が求められるのではないでしょうか。

匿名でのコメント失礼いたしました。

Posted by: 匿名 | October 20, 2006 at 10:33 AM

 匿名さん

 コメントありがとうございます。できるだけ旗幟鮮明にすることをモットーにしておりますので、どのようなご意見でも参考になり、助かります。

 著者もロフタスも、そして私も日々虐待の当事者、子どもさんと接する中で、ハーマンの論と過激な運動に問題を感じざるを得ないのだと思います。
 著者は冒頭で「私に本書を書かせたものは、PTSD(外傷後ストレス障害)の概念がとめどもなく拡大解釈されてゆく現状に対する強い危機感であった」と述べています。
 ロフタスも、これを放置しておくと、学問的な間違いだけでなく、当事者、援助者、関係者全ての人に悪影響があると考えたのだと思います。

 虐待、あるいはトラウマに対する「繊細な理解」をするためにはまさに学術的に、明確にできるところはする、わからないところはきちんとそのようにいう、という風にならないと、かえって「政治的な危うさ」が増してしまうと思います。

 そしてハーマンとその追随者たちは、まさに政治的にトラウマを利用したのであって、その被害や迷惑は巻き込まれた人たちだけでなく、真にトラウマを持ち、本当に救済が必要な当事者にまで及んだそうです。

「PTSDの拡大使用をやめ、正しく使うこと」を著者は訴えており、私もそう思います。PTSDの概念の有効性は著者も認めており、むしろ真性のPTSDとハーマンの言う「作られたトラウマ」との混同を戒めているのでしょう。
「抑圧され忘却された記憶(と称するもの)」と「トラウマの記憶」は違うということを言いたいのだと思います。どうもそれがごっちゃになって語られている空気があるように感じられます。

 ただ、実践的には、あたかも外から見たら記憶回復療法的なことをやっているように見えることはあるかもしれません。現場では様々な試みをしますし、ニーズに応じてやってみることもあるでしょう。それが「繊細な」部分だと思います。
 もし、それが効果的だとしても、ハーマンの論で説明するのではなく、違った筋で説明をすることが可能になるように思えます。

 また、偽記憶の問題は、逆にいうと、記憶の創造性、想像力の柔軟性を表しているともいえ、私には、問題ではなくセラピーのリソース、鍵になるものではないかと思っています。

Posted by: アド仙人 | October 21, 2006 at 12:03 AM

 私も一言。
 今回取り上げられている著作のいずれも読んだわけではないのですが、と断っておきまして。
 良心的な治療者なら、分析屋さんであれなんであれ、クライアントの話がファンタジーかもしれないという疑念を意識的にせよ無意識的にせよ失わないようにして仕事をしてると思います。
 そういうことよりも、「この症状は誰々のせい」のごとくに犯人を指さすようなやり方が上手く行くことは少ないのだろうなと言うのが、現場での実感です。
 だから、虐待が事実であっても、ファンタジーであっても、それらに対して被虐待者であるクライアントはどのような態度でもとることができる、と信じて治療に臨む方が、治療者にとって楽ですし、そうであればこそ治療者の知識・技能・経験といったリソースを最大限生かせますし、結果としてそれがクライアントに益するところとなると私は信じています。
 
 ところで、PTSDの治療に絶大な効果があるといわれるEMDRを開発したシャピロは、年金をもらっているPTSDのベトナム帰還兵の治療の困難さについて書いていたように思いました。援助を必要としている人に、必要と思われる援助を与える年金のシステムが、もしかしたら症状を強化しているかもしれないと言う、泣くに泣けないような話もあるようです。ニーズの把握、治療目標の一致って本当に大切なんですね。

 匿名さん
 うまくいくようにお祈り申し上げます。

Posted by: 蚯蚓海豹 | October 21, 2006 at 11:23 AM

 蚯蚓海豹さん

 コメントありがとうございます。

>虐待が事実であっても、ファンタジーであっても、それらに対して被虐待者であるクライアントはどのような態度でもとることができる、と信じて治療に臨む

 まさにそうですね。まあ良心的な治療者、うまくいっている治療関係は当然そうなっていると思いますが。
 ハーマンらは、よく考えれば珍妙な悪魔崇拝の儀式とかUFOの誘拐話みたいなものまで現実とクライエントに信じ込ませて、家族への告発を指示したというから、事実としたら罪深いことです。
 セラピーにおける虚実の理解と主体性の尊重は、非常に困難かつ重要なのだと改めて思いました。

 PTSDはそもそもベトナム帰還兵の福祉的救済のためにDSMに入れられたと聞いたことがありますから、そもそもおっしゃるような矛盾がビルトインされていたのかもしれませんね。
 まあ、戦争という国家犯罪の犠牲者だから、治りたくない人がいても国が最後まで面倒見ろよ、という気持ちも分からなくもありませんが。

Posted by: アド仙人 | October 22, 2006 at 12:32 AM

再度失礼いたします。

>ロフタスも、これを放置しておくと、学問的な間違いだけでなく、当事者、援助者、関係者全ての人に悪影響があると考えたのだと思います。

>そういうことよりも、「この症状は誰々のせい」のごとくに犯人を指さすようなやり方が上手く行くことは少ないのだろうなと言うのが、現場での実感です。

虐待というものは、被害の当時者だけでは成立しないものだろうと思うのですが、加害者の否認とそれを容認する社会的な風潮が、症状を深刻化させているかもしれませんね。当事者の実感です。


Posted by: 匿名 | October 22, 2006 at 10:04 PM

 匿名さん

 ありがとうございます。
 おっしゃるとおりだと思いますよ。
 私も加害者の否認とどう関わるかを日々問われています。特に子どもの問題は、安全第一で考えますが、事実の判断の難しさが大きくなります。

 本書によればハーマンは、その活動のでたらめ性が暴露されてアメリカの心理学界で今や総スカンを食っているとか、一時やたら告発に乗っかっていた裁判所もハーマン論に基づくものは一切認めないとなったそうです。
 でも、それまでは真に支援を受けるべきケースに予算や手が回らないとか(ハーマンの運動に割かれてしまって)、逆に本当に虐待があるのに変な疑いをかけられるとか、えらい迷惑なことがあったらしいです。

 煽動的な理論ではなく、被害者、加害者の本当の姿を見極める真摯な取り組みが必要だと思います。

 日本でハーマン書が受け入れられたのは、偉い先生が紹介し、米国みたいに「父親狩り旋風」が吹き荒れなかったので、問題が認識されなかったためでしょう。他のまともなものと混同されてしまったのかもしれません。

 もっと専門家が責任を持ってアナウンスするべきかもしれませんね。

Posted by: アド仙人 | October 22, 2006 at 10:57 PM

>もっと専門家が責任を持ってアナウンスするべきかもしれませんね。

それが、加害者の否認を助長するものでないことを祈ります。

あと、アメリカの裁判システムにハーマンの理論がなじまないものであったとしても、彼女のC-PTSDへの深い理解は読みつがれていくだろうと思います。

再三の不躾な闖入、失礼いたしました。

Posted by: 匿名 | October 25, 2006 at 07:56 PM

 匿名さん

 おそらくこれにより裁判が正常化していくのだろうと思います。この「記憶戦争」の反省から、米国では司法面接のあり方が検討され、思い込みからではなく、丁寧に聞き取っていくフォーマットが開発されてきたようです。そのことによって加害者の否認に対しても、より厳しい対応ができることが期待されます。

 記憶は必ず加工、変形されている(被害者、加害者共に)からこそ、丁寧な聞き取り技術が必要ということでしょう。これは私たち専門家の研鑽ということになります。

 問題は学問的なことではなく(その決着はついているようです)、政治的に利用する勢力です。米国ではネオコンなどの保守思想、日本では現首相の勢力などが、匿名さんの懸念を向ける対象ではないかと思ったりもします。
 つまり親は「絶対に」そんなことをしない、子どもは親に臣従すべきだ、みたいな思想の連中です。

 おそらくハーマンも動機は真摯だったのだろうと思います。現にそれで救われた人もいたのでしょう。ただ、学者にありがちが自説への固執と創始者としての利権からどんどんエスカレートしていったような印象を受けます。
 アメリカ人は、実に単純、極端な人たちだとこの件に限らず、歴史や現在の戦争を見ても思います。逆に言うと底が浅いけど、徹底しているところがすごいというか。
 だから、これほどハッキリとしたものや論争が出てくるのかもしれません。

 コメントありがとうございました。

Posted by: アド仙人 | October 25, 2006 at 11:10 PM

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