バラバラの家臣団
今夜のNHK総合「その時歴史が動いた」は「武田信玄・最強軍団完成までの真実」というテーマで、武田24将で知られる自慢の家臣団は実は当初バラバラで、信玄は実に細かく気を使って苦労しながら結束を高めていった、という話でした。
よく信玄と家臣団が合議をしているシーンが歴史ドラマでありますが、実際に信玄はバラバラな家臣に随分気を配っていたようです。
「武田信玄はどこから来たか」で武田氏は古代朝鮮騎馬民族の新羅系渡来人の系譜ではないかという説を紹介しましたが、同書では、そのような合議制も武田氏や甲斐の人の騎馬民族的特徴であるということです。
当時の他の戦国大名にはそこまで合議制に徹した人はいないようです。
先に騎馬民族の特質として、部族長による合議制を挙げたが(「騎馬民族の思想」)、信玄の支配体制を知っているわたしたちにはうなずけるものがあるではないか。
「ここで、合議制の実態を、ちょっと整理してみよう。合議は、同じ部族のうちの、それぞれの部族代表によって行われる。避暑避寒のための移動、牧草地を追っての移動、戦争のための移動など、すべて合議によって行われる。首長の後継者の決定も合議で行われる(鳥丸、鮮卑、モンゴルの例)。合議は、いわば神事と同じようなものである(匈奴の例)。農耕民との接触が長年にわたったり、王族のうちに有能な者がいなかったりすると、合議制がすたれ、世襲制によって首長が決定される(鮮卑、モンゴルの例)」(同書)
信虎から信玄に家督が移り、もっとも変化したのは信玄が合議制を採用したことである。信玄は重要事項は、親類衆、重臣らの会議で決めた。
この話を聞いて、今の山梨の民もまさにそういう特質を残しているな、と思いました。
各地域、村々に長(オサ)がいて何かと寄り合って話し合いをしないと話が先に進まない、うっかり重要事項を飛ばすと「俺に話が通っていない」と文句を言い出して大変なことになる、独裁者を嫌い、知事や首長は長期間在任できない、そんな雰囲気やカルチャーが今も残っています。
そういう意味では保守的で、何かを決めるにはけっこう面倒な土地柄でもありますね。
信玄はけして信長のような独裁者ではなかった。これを彼の限界と見るのは単純な近代主義者、今風に言うとグローバリストですな。
先の衆院選挙で信長気取りの独裁者、小泉の刺客候補を全部跳ね返したのも山梨でした(比例で復活したけど)。
民族のエートスは、何百年経っても脈々とつながっているのかもしれません。
« 「家族の練習問題」 | Main | 臨床発達心理士に受かる »
「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事
- 「経営は知られてなんぼ」(2026.01.13)
- 田舎で開業するには(2026.01.07)
- 熊目撃情報の真偽(2025.11.19)
- 自主シンポジウム続きます(2025.09.28)
- メタトロン体験(2025.08.27)




















Comments