感覚的アセスメント
気温の寒暖の差が大きくて何となく体調がすぐれません。
先週末は頭が痛くなったり、帰途につく運転の途中、胸がムカムカしてきて吐き気を催したこともありました。
年度末の忙しさ故でしょうか。確かに少々疲れております。
そんな中、児相恒例の家族療法の研修会。講師は家族療法家のA先生、いつも眠る間を与えない楽しい講義と達人的なカウンセリングの技法を見せてくれ、本県でも着実にファンが増えています。
今回は事例検討会、スーパーヴィジョンということで、私もひとつケースを出しました。
私らしく、ブリーフセラピーの質問技法とスコット・ミラーさん開発のスケーリング、アドラー心理学のライフスタイル診断を組み合わせたケースでした。
よく考えればクライエントさんは人格障害っぽくてけっこう難しいケースなのに、感情的に巻き込まれず、児相として適切に対処していると先生からお褒めの言葉をいただきました。やっぱうれしいね。
それより、自分なりの振り返りをしたときに、私は面接の中で、ある技法を使用するかどうするか決定するときに、自分の体の中に湧いてくる「感じ」に従っていることに改めて気づきました。
「あ、この人に、この場面で、これが使えるな」と直感に似た感覚がするときは、それが一見そぐわないように見えても、素直に従って使ってみると通じる、効く、盛り上がる、共感し合えるなんてことが起きます。
そういう感じがないときはやっても駄目というかパッとしない、うまくいかないときが多いような気がします。
そう言ったら先生からは、「その感じているっていうのがアセスメントしているってことなんじゃないかな」とおっしゃっていただきました。
確かにそうなのです、面接という複雑なコミュニケーション状況で、無意識的に高速で認知しアセスメントして、「次の手」を判断しているはずです。
ですがそれにしても、私はA先生みたいな優秀な心理学者さんたちと違って、論理として言葉で的確にその過程を表現することが苦手なタイプなんだな、表現型は触覚というか体感覚タイプなのかもしれないなと改めて思ったのです。
論理、アルゴリズムより、ある場面では直感を信用するということですね。
ライブ感覚に優れているということは、武道家としては良いことだし、臨床家としてもマイナスにはならないでしょう。人格障害だって感覚でなにげに突破しちゃうんだから。そういう問題のある人だってやりにくいと思ったことないからね(もちろんいつもうまくいくわけではありませんが)。
無手勝流に勝手にやっているのとは違うのだけど。
それでも、もう少し学問的、研究的な言語に移し替えることのできるようになりたいものです。
これ読んでくれている人には何のことかわからないでしょうけど、最近の実感でございます。
« 「奪われる日本」 | Main | タミフル恐い »
Comments
うちの場合は、仮説がそういう感じで浮かんでくることがありますね。
「考えて」というよりは、「ひらめいて」という感じです。
あと、グループワークのアシスタントに入っているときに、「ここでこのワークを入れたらいいかも」と思って、トレーナーに提言してみたところ、うまくいったという経験も持っています(^^)
ただ、どうして「それ」がひらめいたかと聞かれると、感性・・・としか言いようがないワタクシがいます(^^;
もう少し、言語化できるようになりたいものです・・。
Posted by: meiya | March 27, 2007 02:26 PM
meiyaさん
そう、「ひらめいて」来ますよね。
そこをうまく言葉にできればいいですけど、元々誰にとっても難しいことなのでしょうね。meiyaさんも、似たタイプかしら。
結局、無意識を信頼していけばいいのかなとアドレリアン、エリクソニアンを目指す身としては思います。
心理臨床って、理(学問)と情(共感性とか)だけでなく、直感とか身体性の次元もすごく大事なのだと思います。
Posted by: アド仙人 | March 27, 2007 11:20 PM