型の無限の解釈可能性
さらに「身体を通して時代を読む」から。
武道の「型」について。私がやる武術も基本は型稽古、組むこともありますが、基本的に型を通して動きと実戦を学ぶものです。
内田樹さんの型理解は、まさに太極拳にも通じるものだと思います。
前に甲野先生は「松聲館には基本がありません」ということを言われていましたけれど、僕は「基本の型」はあっていいと思うんです。これも結局「基本の型」という同じ言葉の先生と僕の定義の違いに由来することだと思うんですけれど、僕は「基本」というのは、「術技の向上に応じて、そのつど難度を変えるような身体運用」のことだと理解しているからです。
最初のうちはできないけれど、稽古を重ねるとだんだんうまくできるようになる技とか、初心者にも簡単にできる代わりに、上級者には退屈、というようなものが「基本」であるのではない。そうではなくて、「基本の型」というのは、無限の解釈可能性に開かれているので初心者がその型から引き出す技法的課題と上級者が引き出す技法的課題とが違っている。だから、その「基本の型」を「あ、できた」と思ってクリアーする「仕方」そのものが、段階ごとに違う。
私は一見地味な気功や武術の型の練習が大好きで、まさにいろいろな解釈というか感覚がその度ごとに違って味わえるのを愉しんでいます。
型の用法も、老師から教わると「よくこんな技考えついたものだな」とひとつの動きから具体的にたくさんのバリエーションが広がっていくのに感心します。中国人の武術の天才たちの凄みを感じています。
型とは汲めども汲めども尽きない豊かなテキストなのです。
Comments
何度もうなづきながら読みました。
まったくもって、「型」というものはやればやる程奥深く、いつまで経っても飽きないものですね。
私も普段の稽古の殆どが、八卦掌の走圏と五行拳をじっくり丁寧に行う事で占められています。
そんな基本を坦々と繰り返していると、「よくこんな練習方法を思いついたもんだ」と感心するとともに、これを教えて貰えた事はこの先も永遠に感謝できるものだ改めて感謝するところです。
人間の肉体の場合はDNAという凄い情報量を有した「かたち」をもって子孫へと伝えられるのと似て、武術の技は「基本の型」をもって伝承されるものであるような気もしています。
甲野さんの本、面白そうですね。私も購入してみようかと思います。
Posted by: 渡辺 | March 26, 2007 11:33 PM
渡辺さん
>武術の技は「基本の型」をもって伝承されるものであるような気もしています。
全く同感です。
また、同じ型でも人によって個性が出るところも興味深いところです。
型があるから、道場から離れたところにいても独り稽古ができるのだし、大事にしていきたいですね。
Posted by: アド仙人 | March 27, 2007 12:49 AM