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March 16, 2007

武術家の心得

 内田樹さんと甲野善紀さんの対談本「身体を通して時代を読む-武術的立場」basilicoのまえがきに内田先生が、僕にとっては面白いことが書いてあったので紹介します。

 武術家とは何か、どうしてお二人は活発に世に発言するのかという論題です。
 内田さんによると武術は、他の分野と違い特定の「専門分野」ではないからといいます。

「武術というのは専門領域ではないからです。武術家は定義上どのような問題についても適切に対処できなければなりません。極端に言えば、武術家は自分がその答えを知らない問題についても即答しなければならない。これは個人の努力でどうなることではなく、経験や資質の問題でもなく、武術というものの本義に由来する範疇的な要請なのです。

 武術は実は単純な格闘術、護身術に留まるものではない。攻撃から身を防ぐために、体を鍛えて強くなるという発想では最終的に、他を圧倒する火器を持てばよいということで落ち着くだけです。

 武術とは、護身上不利な状況だけを選択的に想定するところから始まります。(略)

「どうすれば自分の心身のパフォーマンスを最高レベルに維持できるか」という問いにつねに最優先に取り組むことを課題とする以上、武術家は彼を含む社会全体のあり方についても配慮を怠ることができないということになります。
 ある種の政治体制の到来や、ある種のイデオロギーの瀰漫や、ある種の社会システムの導入が、武術家自身の心身のパフォーマンスの向上を妨げる可能性があるとき、武術家はそのような趨勢に対して誰よりもはやく危険を感知しなければなりません。ですから、国際政治にまったく無関心な武術家とか、社会システムの変動や社会的感受性の変化を感知できない武術家とか、目の前にいる人間の心理の襞が読めない武術家というのは定義上存在しないということになります。(略)

 別に武術家はあまねくそのような総合的な人間的能力が豊かに備わっているということを言っているのではありません(私がそうではないことはどなたもご存じの通りです)。そうではなくて、そのような能力の開発を武術家は「原理的に」要請せずにはいないということを甲野先生も私も暗黙の前提として話をしているということです。

 うーむ、厳しい言葉だ。
「心の読めない武術家」なんて一杯いそうだけど・・・。

 しかし、これまでの自分の、時に激しすぎる好奇心は、武術家魂故だったのかと勝手に納得しました。これでよかったのだ。

 心理臨床家が趣味で武術をしているのではなく、武術家が己の能力の開発と認識力を高めるためにたまたま臨床心理学や児童福祉、地方行政などに携わっているのだといいたいものです。

 いや、気持ちはとっくにそうなんだけどね。

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Comments

こんにちは。
柔拳連盟の浜松支部に所属しております。
(この間、八卦掌をはじめたばかりです)

ふらふらとネットサーフィンをしていてたどり着きました。
いろいろ興味深いお話がいろいろあるようです。
(ワタシ自身は柔拳をやっておりますし、実は妻が臨床心理士なのです)

また、時間のあるときにゆっくり拝見したいと思います。

ちょくちょく、寄らせてください。楽しみにしています。

Posted by: 戯作 | March 17, 2007 05:34 PM

 戯作さま

 はじめまして、同門の方ですね!
 八卦掌、私も本部でやってますけど、なかなか上京できず進んでいません。でも走圏は一番好きな稽古です。

 奥様が臨床心理士さんですか!
 これは奇遇。

 なかなかわかりにくいことを書いていますが、またお立ち寄り下さい。

 今後ともよろしくお願いします。

 

 

Posted by: アド仙人 | March 17, 2007 11:54 PM

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