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April 30, 2007

原因と目的

「現代に生きるアドラー心理学」
「アドラーを読む」
 から、アドレリアンは物事や心理現象をどう見るか、改めて考えてみましょう。

 両書ともギリシア哲学、アリストテレスの考え方から人間の認識の仕方を整理しているところが目を引きます。

 アリストテレスが書いた「形而上学」では、これ(心の葛藤)を目的因と呼んでいます。アリストテレスは、左記の四つの原因を挙げ、私たちが物事の性質を理解するのに、それらを知っているべきだと考えました。
  質量因・・・何であるか
  作用因・・・どのようにしてそうなったのか
  形相因・・・どんな形態/本質なのか
  目的因・・・何のためか、またはその目的
 うつ状態の女性の例を挙げて、もっとわかりやすくしてみましょう。
  質量因・・・悲しげな様子。無気力で日々変動があり、精神運動制止を持つ。
  作用因・・・生まれつき傷つきやすい性質を持っている可能性がある。片親の幼少時代になくした経験があり、夫に最近出て行かれたばかり。
  形相因・・・気分(感情)障害があり、それが彼女自身や周りを苦しめている。不平を言い、「最悪な」気分になり、自分自身に批判的。
  目的因・・・周りの者たち彼女のために尽くし、歩み寄り、彼女が別れた夫に復讐しようとすることを許すことになる(「あの男が私の人生をめちゃめちゃにしたんだ!」)

 さまざまな心理療法「学派」で、それぞれ異なった原因を強調していますが、最初の三つの原因(質量因、作用因、形相因)はよく知られ、ほとんどの臨床家が実際に適用しています。アドラーは、四番目の目的因を強調しましたが、アドラー心理学は全体論であるため、目的因に重点を置きながらも、この四つ全てを重要視します。(「現代に生きるアドラー心理学」)

 子どもの問題行動の「原因」には、生来的な発達障害があり(質量因)、親に虐待された心の傷があり(作用因)、多動性や攻撃性、注意欠陥障害を持っている(形相因)と、多くの心理臨床家は考え、描写しています。

 我々臨床家、心理学者の考え方は、古代ギリシアの哲人に既に整理されていたのですね。それらが新しい心理学的理解と思い込んでいる人が多いこと。
 知識の中身はともかく、我々の認識の枠組み自体は、古来からそう変わらないということでしょう。

 アドラー心理学では、それらを含みながらももう一つ、目的因を第一に考えます。その子どもは、それらの「原因」を対人関係の場で何のために使っているのだろうか、と。

 甘やかされた子どもがいるとする。その子どもが甘やかされているとしたら、母親は確かに起動因(作用因のこと)ではある。甘やかした子どもがいなければ、母親に甘やかされた子どもはいない。しかし、そのような母親に育てられた子どもは必ず甘やかされた子どもになるかといえばそうではない。子どもがそうなることを善しとする判断をしなければならない。あるいは、アドラーのいい方に従えば、子どもがその「創造力」(「個人心理学講義」12貢)によって、甘やかされることの目的を創り出すのでなければならない。(「アドラーを読む」)

 アリストテレスを引用したこの心理学的原因理解は、アドラー心理学を学び出した頃に知って、随分頭がスッキリと整理された思いがしました。

 その当時は野田俊作さんのオリジナルかと早合点していたけど、アメリカのテキストにもあったので、アドラーやその後継者たちは最初からそのように考えていたということなのでしょう。

 精神分析学は当然作用因(幼少期の母子関係)と形相因(トラウマ)を強調するのでしょう。医学的診断や障害児臨床をやる場合はどうしても質量因に偏りがちです。

 いろいろな臨床心理学を学ぶときに、これは質量因、作用因、形相因、目的因のどれに重点を置いているかを考えてみると相対的に位置づけることができていいかもしれません。

 

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