解説・風林火山1 佐久をほしい理由
大河ドラマ「風林火山」では、ここのところ信州佐久地方の取り合いがテーマになっていますね。
佐久は甲斐の国山梨の北北東、八ヶ岳を左に見て今の清里、野辺山を過ぎて長野に入った辺りの、佐久平と呼ばれる広い地域です。
諏訪勢と関東管領上杉と武田が佐久を取ったり取られたりという情勢から、武田晴信が最後は押さえます。
ではなぜあの時代、彼らは執拗に佐久を求めたのか、武田は信州に攻め込んだのか?
よく信州には有力な戦国大名がいなかったから、という説明がなされて、それはその通りなのですが、それ以上の理由があったのかもしれません。
以前「武田信玄はどこから来たか」で紹介したミステリー作家で郷土史研究家の岩崎正吾さんは、「馬を得るため」といいます。
なぜなら、佐久には古来から広大な牧(馬の牧場)があり、名馬の産出場として全国に鳴り響いていたからです。朝廷に献上する官営の牧があったといいます。
既に甲斐も、「甲斐の黒駒」と日本書紀にあるほどの名馬を出す地域でありました。
この時代、馬は農耕にも土木にも運輸にも、もちろん合戦にも使え、時には食料にもなる重要な社会資源でありました。
馬を制する者が国を制したのです(後に鉄砲が合戦で重要になっても、明治まであらゆる領域で馬の重要性は変わるものではなかったといっていいでしょう)。
岩崎さんによれば、信玄が佐久を支配下に置いたことは、トヨタと日産が合併したようなものだとのことです。
ちなみに山梨中部南部辺りに多い望月さんというのは、この時代に佐久にある「望月の牧」から移住してきた人々の末裔らしいです。
佐久を取ったことで、単に領土が広がっただけではない理由で、武田の力は一気に増すことになったのだと思われます。
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