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July 28, 2007

先祖は家臣?

 前々回の大河「風林火山」で武田の重臣、板垣信方が壮絶な討ち死にをしましたね。演ずる千葉真一さんはさすがアクション俳優、迫力の大立ち回りの殺陣でした。息子も食い入るように見ておりました。

 今回の殺陣も、長年大河を勤めてきた日本を代表する殺陣師、林邦史郎さんがやっています。林さんは古武術各流派に精通し、楊家の太極拳も収めている有名な武術家でもあります。千葉真一さんとどんな風に話し合って、あの名シーンを作り上げたか、とても知りたく思いました。

 信玄の時代、板垣信方が治めた領地は、甲府の東部板垣の郷と呼ばれていました。今は里垣、善光寺、東光寺辺りです。実はその辺りは私の故郷、実家の地区で幼き日より育った場所なのです。

 ですから、板垣信方は武田24将の中でも好きな武将の一人ですね。

 そんな中の休日、県でやっている大河ブーム便乗商売の風林火山博を見学。
 山本勘助始め武田の武将たちの展示や「風林火山」のメイキング・ビデオなどを見ました。

 そこに当時の武田家に使えた侍たちの名簿が壁一杯に書かれているスペースがありました。有名な24将じゃなくて、その下の階級の武士たち、命令一下、ほんとに合戦で刀や槍を持って戦ったであろう侍衆の名前です。

 武田家滅亡後、信長の「武田狩り」は凄惨を極め、骨のある家臣たちは織田につくことをいさぎよしとせず、潜伏している者が数多かったようです。
 本能寺の変の知らせは、わずか数日で甲斐の国に伝わり、一気に民衆や地侍たちがほう起し、織田信長に代わって甲斐の領主になった河尻秀隆を襲って、逆さ吊りにして殺してしまいました。今でも武田神社の近くに、河尻秀隆を埋めた地に碑が建っています。

 その後甲斐の国に入ったのが徳川家康。家康は、信長と違って旧武田家臣を暖かく受け入れました。三方が原の戦いで敗れて、信玄を心の師と慕っていたからとも言われますね。

 風林火山博にあったその名簿は、その時家康に召し抱えられた武田の遺臣たちの名前だったのです。その数500とも800とも。多くは井伊直政の家臣となりました。武田の赤備えが井伊の赤備えになったでした。

 その名簿を見ると、望月とか遠藤とか笠井、三枝、羽中田と今も山梨でよく見かける名字がたくさんありました。

 そして、私の名字を持つ人も3人見つけました。Fという頭文字、山梨南部には割とある姓です。
 もしかして私の先祖かな、やはり戦国時代の昔からこの地に生きていたのだなと、歴史と自分がつながったような感慨を味わいました。

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