武道の目的
引き続き「合気道とラグビーを貫くもの」より
現代において、なんのために武道を学ぶのか、内田先生がおもしろいことを言っています。
内田「先日、ある大学の武道専門の学生たち相手に講演する機会があったんですけど、そのひとたちにこう言ったんです。
君たちが武道をやっているのは試合に勝つためじゃない。武道というものは、人間の持っている根源的な生命力を引き出すために考え出されたきわめて優れた方法である。君たちがこれから生きていくなかで、天変地異に遭ったり、内乱や革命に巻き込まれたり、子どもが死んだり、伴侶に裏切られたり・・・・いろいろな破局的な事態に遭遇するはずだ。そういうときにも動ずることなく、自分自身のパフォーマンスを高く維持できるようにするために武道の稽古をしているのである。
君たちがもし日常生活を犠牲にして、全日本チャンピオンになりたいとか世界選手権を制覇したいとかいうことを目的にして稽古しているとしたら、それはまったくの本末転倒である。勝敗とか記録といったものは、パフォーマンスを上げるための「方便」に過ぎない。方便のために本当の目的を失ってはいけないよ、と。
平尾「いや、本当に、まったく異論はありません(笑)」p.195~196
ずっと以前書きましたが(脱力を極めたい)、私は太極拳などの柔拳から、力を抜いた方がどれだけすごい力が出るか、技が利くようになるかがわかり、それが対人関係のシビアな状況でも役に立つことを学びました。
このような「武道の効用」は昔からこの世界で言われていたことではありますが、なにか道徳論や説教じみた感じで語られることが多かった感じがします。
小うるさい剣道や空手のスポーツ少年団の先生が、子どもたちに「剣とは~」「武道とは~」「親孝行をしろー」などとキャンキャン騒ぎながら説教しているのを、体育館の反対側でよく聞いているためかもしれないな。
同じ会場の一方で、ゆったりと体の内側の感覚を探るような稽古をしている私は、
「うるさいおっさんだな、そういうおまえの動きはなんだよ。子どもたちは神妙に聞き入っててかわいそうになあ」などと勝手に思っているのでした。
スポ少は目的が違うだろうから、別にいいんだけどね。
内田先生の面白いのは、自然にユーモアを交えた語り口で、そういう私のような「反抗的な子」にも入りやすいところだと思います。
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