戦うものが強い
中国武術の実戦性はやっている者からすれば、疑うべくもないことなのですが、世間・武道・格闘技界一般からは、なかなか理解されないようです。
興行的な試合に出て勝ったり、ブルース・リーのような動きを見せれば、大衆は納得するのでしょうが、ノロノロゆるゆるした太極拳や素朴な形意拳の動きを見てもなかなかわかってもらえないのも確かにわかりますけどね。
前回紹介した「中国雑話・中国的思想」の酒見賢一さんは、中国武術家がその実力によって歴史上重要な役割を果たしたことを認めています。
特に、清末の義和団の乱に、形意拳の李存義など多くの著名な武術家が大衆の側に立って反乱軍に組みし、大いに活躍したことを指摘しています。
義和団は近代軍隊からなる列強八カ国連合軍に叩き潰されて収束したのだが、義和団の武術家たちは剣、槍などを主武器とした白兵戦で対抗し、これを大いに恐れさせたのである。平和な日本でいろいろ言われているけれども、中国武術の実戦性は疑うべくもないことである。ただ、最強の(最も有効な)格闘技は何か?といった設問は、実践者や好事家から出てしばしば議論されるところであるが、それに対して近頃の筆者は、
「誰か個人が強いという話でなければ、身近に戦争がある国の軍隊や、極めて治安の悪い都市の警察で行われている格闘術じゃないでしょうか」
という答えである。武術は白兵戦闘術であり、現代武道、スポーツ格闘競技と混同しても仕方がないということである。
武道・武術の実体的な強さは、ルールやウェイトに枠づけられた「平和な」場ではなく、不幸にして暴力や戦いが吹き荒れる地域で有効であるか否かによって測られるというのは、確かにそうだと思います。
そして私が最も長く(20歳の頃から)練り続けている正宗太極拳は、台湾や日本以上に、世界で最も緊張感の高い地、イスラエルで多くの人が学び、稽古しているといいます。確かに護身の技術として比類なき優秀性があるから、ということかもしれません。
武術の意味や思想性について考えたり、現代的な平和的な応用に生かされるのも大切なことですが、いつ命が絶たれるかわからない状況下でこそ、その武術の本義が明らかになるというのは、確かに武術の本質の一つではあります。
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