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June 14, 2008

気は情報2

「人間はどういったわけか、様々な光の波長に情報を書き込むことができる。具体的には、電磁波に情報を書き込むといった方が正しいかもしれない」と苫米地氏は、気の効果も基本的には、これまで人間が開発してきた電気技術に近いメカニズムが働いていると考えています。

 気功の世界ではよく、「気とは生命エネルギーである」というわかったようなわからないような説明が多いのですが、それだけではなぜ気功をすると様々な生理現象が起きるのか説明しきれないように思います。

 苫米地氏は、

 また、気は電磁波ではなく、宇宙のエネルギーや生命エネルギーなどともいわれている。比喩的な表現としては、その通りだろう。しかし、実際は、「情報」である。というより宇宙エネルギーや生命エネルギーもその正体は「情報」であるというべきかもしれない。インド哲学の「唯識」の根幹となっている「宇宙は情報から成り立っている」という考え方である。現代的にいうと、表現論的物質主義(Representatinal Materialism)の立場に近いだろう。人間の死は、脳を含む人体としての情報処理機関の機能が停止したときだが、これは生命エネルギーが枯渇したときと同義。つまりこの比喩では確かに「情報=エネルギー」の図式が成り立つ。

 自己催眠で「熱くなる」とか「腕が重くなる」と言葉で暗示をすると、そのように体が反応することは広く知られています。
 気功でも同じ現象が起こるのですが、それはただの暗示ではなくて、もっと深いメカニズムがあるということです。

 気の場合は器官に対して直接「治れ!」という情報伝達が働いている。言葉での伝達ではなく、気による伝達だ。気功師から送られてくる気によって、患者の脳には気功師と患者、双方にとって無意識レベルでの出来事として「暖かく感じなさい」とか「治れ!」という情報が伝達され、身体が反応するのである。内部表現の書き換えと、ホメオスタシス作用による生体の変化だ。ただ、その情報伝達が電磁波などにエンコードされた情報により、無意識レベルで伝わっているのだ。

 気の情報のメディアは必ずしも電磁波ではなく、未知の媒体の可能性があることを本書では示唆されていますが、いずれにしろ、気には気の次元があり、エネルギー的側面より情報として捉えるべきで、多くの人がエネルギーのような何かの流れとして気をイメージしているけれど、それは気の媒体に過ぎない、というのは卓見だと思います。

 そして気は誰にでも自覚し、トレーニングを積むことで利用することができる、というのが本書で苫米地氏はいいたいことのように思います。
 そこは多くの気功や武術の専門家と同じです。

 気は誰にでも発することができる。ただ、皆さんが気付いていないだけだ。そして気は誰にでも操作することができる。なぜなら、気は言葉と同じコミュニケーション手段だからだ。故に気功語と称しても差し支えない。人間は生得的な言語能力に訓練を加えることで言葉を駆使できるようになるが、気も存在を認知し、半年から1年ほど訓練をすれば簡単に操れるようになる。

 本書では気功の基本のテクニックの他、催眠や呼吸法や洗脳のテクニックがたくさん紹介されています。

 その全てを身につける必要はないでしょうが、これまで様々な意識のテクニックを知り、学んできた自分には、必携の書となりそうです。

洗脳護身術

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