私の大学時代からの友人に詩人・歌人がいます。
大橋弘くん。
都内で団体職員生活を送りながら文芸同人誌、短歌結社に入って積極的に執筆活動をしている人です。
私は詩歌には全くの素人なのですが、今でも歌集や同人誌が出れば送ってくれるので、暇なときにパラパラ見ています。
昔の俵万智みたいな普通のというか写実性や情緒性でわかりやすい歌ではけしてないのですが、一種独特の言葉のセンスが、不協和のような調和のような身体に不思議な引っかかり方をします。
ちょっと彼が作った歌集「からまり」(ながらみ書房)から引いてみます(アマゾン等ではもう購入できないので興味を持たれた方は紹介します)。
サイダーの泡より遠くに行けそうな気がして撫でている猫の額
やめとけよ頭痛の核にしみてくる人形町の朝霞なんか
灯がつくと沈みはじめるしずしずと雪の師走を抱えて駅は
生きている でもそれだけで一日は苦い緑茶を飲む価値がある
ビル風をきみはどこから降りてきてかく赤黒く鳩になるのか
凍らせたとんぼのごとく地下鉄は人身事故で不通中です
万病にいや効かないと思うけどこうして見上げ続ける夕焼け
六月をまだたんぽぽが咲いてるよあきらめたくてあきらめかけて
ばらばらにされた世界のてっぺんで叫ぶカラスに今日もなりそこなう
わたしだけたったひとりの死者でしたうんどうかいをかぜでやすんで
どうですかね。
不思議な言葉の感覚です。大橋くんは、通読して「作者の姿が浮かび上がってくるような歌集」を編みたくなかった」と「あとがき」でいっています。「多言を費やしたあげく、結局何ひとつあきらかになることがない、そんな愚かで無駄な、混沌とした歌集を編もうとした」ともいっています。
一筋縄ではいかない歌ですけど、とてもユーモラスで面白い。
実は大橋くんと私は大学時代、他の仲間を巻き込んで文芸同人誌をやっていたのですね。「早稲田文学」と双璧だった、というのは真っ赤な嘘ですが、まったく小さいサークルで大したことはなかったのですが、文芸や評論に関心のある仲間が三々五々集まって、好き勝手なことを書いて楽しい時間を過ごしていたのでした。
私はオカルティズムや神秘学、日本に入ったばかりのトランスパーソナル心理学についてのエッセイというか紹介文、大橋くんは詩や恋愛小説、幻想小説など幅広いジャンルで書いていました。
原稿書きだけでなく、編集会議(という名の飲み会)や印刷所との交渉など、ちょっとした社会勉強にはなりました。
今みたいにネットやブログなんて個人の情報発信の手段なんてほとんどなくて、物書きになりたい人は投稿するか、マスコミのバイトに入り込むか、同人誌を作るかぐらいの時代でしたね。
私は今こうやってブログで好き勝手なことを書き、彼は結社で歌やエッセイを書き続ける。
大人になっても基本的なところは変わらないな。
そんな大橋くんが、今の文芸同人誌に本ブログのことを書いてくれています。
その内容は次回に(かな?)。
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