筑紫哲也氏訃報に接して
報道にもあるとおり、筑紫哲也氏が亡くなりました。
筑紫氏が出ていた頃のNEWS23はよく見ていました(今はほとんど見ませんね、何ででしょうね、やはりキャスターの魅力の差でしょう)。
大人になって視野が広がって、またネットの時代になって様々な角度からの情報が手に入るようになって、あまりテレビ報道に信用をおかなくなった最近ですが、筑紫氏にはやはり信頼をおいていました。
最後の信頼といってもいいかもしれない。
おそらく思想的というか、知的スタイルというのもおこがましいですが、なんか自分と姿勢が似ているというか、勝手に筑紫氏には親近感を持っていました。
基本的に左というか、護憲派で反体制的で少数派、弱者の側に着く姿勢でいながらも、教条的な左翼になることなく、幅広い芸術・文化の嗜好、情報の咀嚼力をお持ちで、人脈も広かった。
私のイメージでは、左というより、中庸の人という感じでした。
80年代筑紫氏が「朝日ジャーナル」の編集長だったとき、ちょうど私は大学生で、同誌はニューアカデミズム・ブームの先鞭をつけたり、野田秀樹や鴻上庄司や如月小春などの新しい演劇人などが次々と登場させたり、なかなか格好良かった。
その前の(さらに前の?)世代ほど朝ジャは大学生の必須アイテムではなかったものの、私は筑紫氏の朝ジャはよく買って勉強させてもらいました。
それから山梨に就職で帰った頃、ちょうど甲府で「デザイン博」という催しがあり、その頃(90年代初頭)活躍していた文化人が一堂に会して様々なシンポジウムや講演会をやるというものだったのですが、そこにも筑紫氏が来ていました。
私は会場の入り口ですれ違い、
「あ、筑紫さんだ!」と驚き、思わず振り返って声をかけようとしました。忙しそうだったからやめたけど。
筑紫氏は意外に小柄な人という印象でしたが、表情がテレビで見るようにニコニコしていて、いかにもやさしそうでした。
その時のシンポジウムでは、何とシンポジストは「郷土の英雄」中沢新一と「後のペテンの道路公団改革の指揮者」猪瀬直樹と忘れたけどもう1人と筑紫氏という、何だかよくわからない組み合わせで、およそ思想傾向がかみ合わない者同士の中で、筑紫氏は絶妙のバランス感覚でシンポジウムを作り上げていったのを覚えています。
やさしさと包容力と、それでも、けしてぶれない自分なりの芯のある人と思いました。
思えば、私は中学高校時代は本多勝一さん、大学時代は筑紫哲也さんという2人の朝日新聞記者に大きな影響を受けたのだなと今にして気づきました。
実は私、大好きな心理学にせよ、学者や研究者になりたいと、本当に心から願ったことは一度もなく(学者には向かないと気づいたのでしょう)、ジャーナリストに憧れていたことと、どこでもいいから「現場」にフィールドワーク的に出る仕事をしたいと思っていたのです。
ジャーナリストにはなれなかったけど、結果的には今の「現場」にいるわけで、本ブログも学問的というより、ジャーナリスティックな感じがしないでもなく、筑紫氏の影響下に今もあるのかもしれません。
1人、また羅針盤を失って、ほんとうに残念です。
謹んでご冥福をお祈りします。
Comments
本当に残念です。
私もNEWS23 多事争論をずっと 夜疲れていても楽しみに
見ていました。
筑紫さんが療養のため 出なくなってからは
さっぱり見なくなってしまって・・・
「やさしさと包容力 けしてぶれない自分なりの芯」
そう! それが魅力だったのです。
今日も追悼番組を見ていて 少数派であることを恐れない
というのが こころに残りました。
そんな意味でも アド仙人さんの記事 参考になります。
Posted by: れいか | November 11, 2008 10:49 PM
れいかさん
コメントありがとうございます。
れいかさんも筑紫さんのファンだったのですね。
追悼番組、僕も見てましたよ。
井上陽水の歌もよかったね。
今年は緒方拳さんやいい人がいなくなってしまう寂しい年でしたね。
Posted by: アド仙人 | November 11, 2008 11:38 PM