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March 31, 2009

さよなら、児相

 月末に人事異動の辞令が下りました。

 県立の精神科単科の病院に赴任せよ、との内容でした。

 長年住み慣れた児童相談所を去ることになりました。

 もう大分長く勤めているし、一身上の都合も絡んで今年は異動はあるかなと思っていましたが、事前の情報とは違い、そこになるとは正直、意外な決定ではありました。

 思えば、いろんな職場を経験しましたが児童相談所が私の場合一番長く、通算では児童福祉司として3年、児童心理司(旧心理判定員)としては12年働いたことになります。

 日本の臨床現場としては、おそらく最もハードで、最もクライエントの問題の幅が広い場所で、自分は育てられ、鍛えられたと思います。

 やり残した仕事やケースはあり、クライエントの親子や仲間とお別れするのが何だか寂しい気分もあるのですが、前向きに捉えて新たな学びのステージに入りたいと思います。

 今度の職場では、デイケアの心理士になります。
 統合失調症の患者さんがメインですね。大人ばかりです。
 だから児相とは大分、雰囲気も動きも違いそうです。うまくできるかなあ。

 そこのデイケアで、私は認知療法を担当するようです。
 改めて勉強しなきゃ。

 児童相談所よ、ありがとう、さようなら。

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March 30, 2009

近藤等則に会う

 音楽はポップ、ロック、クラシックと人並みに好きといった程度ですが、20年以上別格にファンでいるのが、フリージャズの世界的トランペッター、近藤等則さん

 知っている人はいるかな。

近藤等則(こんどう としのり、1948年12月15日 - )は愛媛県今治市出身のトランペッター音楽プロデューサーである。愛媛県立今治西高等学校京都大学文学部英米文学科卒業。本名は俊則

国際的に活躍する日本を代表するフリージャズトランペット奏者である。トランペットは極めて特徴的かつ激しい吹奏を行うことで知られている。 海外に渡って数々の大物・一流アーティストとセッションを重ね、新しいサウンド手法を次々と取り入れたオリジナリティ溢れる演奏は海外でも評価されている。 演奏ライブに留まらず画家とライブペインティングを行うなどプロジェクトなども精力的に進める。 洋画家の智内兄助とは中学高校の同級生であり友人。二人で絵本なども出版している。

芸名は20代後半に占い師から「名前を変えた方がいい」と言われたことによるもの。

現在東京とアムステルダムを行き来して活動している。Wikipediaより

 最近はご無沙汰してたけど、大学時代から何度もライブ、コンサートに足を運びました。

 近藤さんを知ったきっかけは、80年代半ばに日本にトランスパーソナル心理学を紹介していた吉福伸逸さん(私はこの方に私淑していました。参考:勝手に師事した恩師たち)と対談して意気投合していたのを知ったこと、そしてやはり好きだった中沢新一さんとも近藤さんは仲良しでよく雑誌やテレビに出ていたことでした。

 しかも近藤さんは、自身の演奏を支える体力・気力を作るために新体道という武道を本格的に学んでいたことも、当時武道を始めた私の興味・共感を喚起しましたね。

 以来、ずっと(お金がないから精神的)追っかけです。

 その近藤等則さんが山梨の小さなライブハウスに来るというのですから、万難を排して行くのは当然!

 3/28(土)大月のイタリアレストランの二階で、これも有名(らしい)な写真家・平澤寛氏とのコラボレーション・ライブ。

 1時間前に会場に来て前列の席で満を持して待っていると、狭めの会場は70人ほどですぐに満員。

 そして近藤等則さんが登場。

 おお、こんなすぐ目の前で生で見るのは初めてじゃ。
 近藤さんは、軽く会釈しておもむろにエレクトリックトランペットを吹き始めます。背景には平澤氏の作品がスライドショーとなって流れていきます。街や高速道路、山、富士山、花、空、湖などたくさんの写真が、近藤さんのサウンドと絡みます。

 近藤等則のラッパの音は、聴いたことのない人にはわからないかもしれませんが、独特の金属的なストレートさと歪み、反響があって、攻撃的、破壊的な印象が強くありますが、実は、とても気持ちよい。
 頭蓋の中に音刺激が直接的に届くというか、激しくマッサージされるようで、快感です。
 はっきりいって、いわゆるヒーリング・ミュージックより癒される。そして「活」が入る。一層元気が高まる。

 いやあ、よかったー。
 かっこいい。

 しかし、近藤さん、御年60歳だって。どうしてあんな強い音が出せるんだ。
「毎日還暦パーティーじゃあ」
 と言っていたが、
 やはり武道の鍛錬の賜物か。
 まさに達人だ。

 さらに演奏が終わったら、そのまま近藤さん、去らないでお客さんたちに向かって軽くおしゃべり。

「4日前にヨーロッパから帰ってきてまだ時差ボケ。いや『爺さんボケ』だな。アハハハ。惚けてくるといいぞ。惚けると本当のものが見えてくる」
「(外国を見ていると)ドルは崩壊するね。アメリカのヘゲモニー(覇権)は崩れる。評論家は今年が(経済は)底で来年から上がるなんて言っているが、それはない。日本は60年アメリカの属国だった。日本はようやく独立のチャンスが来る。ドルが崩壊すれば、地域通過の時代、円と元が結ばなければならなくなる、だが、日本の政治家に中国と対等にできる力があるかどうか」
「21世紀は、20世紀の悪いところを反省して、新しいものを作る時代。20世紀は自然を壊し、魂を壊し、テクノロジーを悪用した。21世紀は環境を甦らせ、魂を復活させ、テクノロジーを良い方向に使わないといけない」

 なんて書くと実に堅い話を、独特の明るいあんちゃん風に言うのでした。
 世界を飛び歩いている人が肌で感じていることなので、説得力がある。
 まさにいつも私が考えていることと、ピッタリ重なることなので、またうれしかったね。

 そして、ライブが終わったので、帰ろうと通路の込み具合を見ながらまだ席にいたら、なんと近藤さんがコーヒーを飲みながら目の前にやってきて、空いた席にどかっと座って休み出すではないか。

 私は思わず立ち上がり、近藤さんの側に寄って、先輩の前で自己紹介する新入部員のようにカチコチになって、

「あ、あのすみません。ぼ、僕は近藤さんがIMAバンドをやってた頃からのファンです。甲府から来ました・・・(あとは自己紹介しようとしたけど支離滅裂)」
 近藤さん、ニコニコと笑って、
「おお、そうか、ありがとう。お名前は?今日の感想を送ってよ」
 と答えてくれました。
 そして、ツーショットで写メまで。

 ああ、うれしかった。

 実は今度書きますが、最近大きな変化が身に起こったので、ちょっと内心ガタガタしていたのですが、昔から密かに自分を支えてくれた近藤等則さんに、ちょうど良いタイミング出会えて、気合いが入りました。

 近藤等則さん、ありがとう。

 近藤さんのプロジェクト、「地球を吹く-BLOW THE EARTH」で活動の様子がうかがえます。

 NHKBSでのその様子。http://www.youtube.com/watch?v=z47zAdu0krQ&feature=related

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March 25, 2009

「シルクロードの経済人類学」

 目からウロコ、でした。
 さすが、栗本慎一郎、と改めて思いました。

 シルクロードのイメージが変わります。

 砂漠、隊商、楼欄、さまよえる湖、そして喜太郎のシンセサイザー音楽、もう大分昔のことですが、NHKのシルクロード番組のイメージが、我々に植え付けたイメージは強烈でした。
 西遊記の三蔵法師が旅した苦難の道、昔の人は必死の思いで東西の道を歩んでいたんだなあと、テレビを観て単純に思い込んでいました。

 しかし、シルクロードはもう一つあった、そしてそれが本当のシルクロードだったというのです。
 経済人類学者で元衆議院議員・栗本慎一郎氏「シルクロードの経済人類学」(東京農大出版会)には、シルクロードの隠れた本当の姿が明らかになっています。

Photo  それは世界史の教科書かなんかで出てくる、中国の長安(西安)から中国を横断するように西に進み、天山南路や北路を経てインドの北、中央アジアに抜ける道ではありません。

 もっとそれより北、中国東北部からモンゴルを突っ切り真っ直ぐ西へ、カスピ海へ伸びていく「北のシルクロード」あるいは「草原の道」です。

 そこは南のシルクロードの砂漠の道とは違い、はるかに平らで、なだらかで、美しい草原が広がっています。

 この草原の道は美しく、泉と川に満ち、岩の転がりもないではないが、たいしたことはなく、およそはなだらかで身障者(私:著者は脳梗塞から脱したが体が不自由なな身)でも歩けるような道だ。草原をあちらでもこちらでも歩けるのだ。他方、天山山脈の南の道は、厳しい岩の転がりと渓谷でまさに難路である。

 可能なら人は、動くに楽で水も食料も容易に手に入る道を通って旅をしたいに違いありません。
 そして、実際はまさにそうだったのです。
 本書の表紙写真を見ていただくと、その雰囲気がわかりそうです。とてものどかな光景。

 この草原の道が本当のシルクロードで、私たちが学んだシルクロードはそこが紛争などで通れないときやむを得ず行く迂回路みたいなものだったらしい。

 古代中国・ローマの時代から、その草原の道をたくさんの人、物が動いていました。
 世界史に登場する数多くの遊牧民、匈奴や鮮卑、そしてフン族、さらには元などが東西に疾駆し、中国やローマ、ヨーロッパを攻め、占領し、略奪し、国さえ作っていた。
 その一部がカスピ海近くにカザール帝国を作り、その民族が散って、今世界の政治・経済・学問の中心的に動かすアシュケナージ・ユダヤ人となったと栗本氏はふんでいるようです。

 まさに影の世界の歴史の主役たち、ただし多くが文字や記録に執着のない人々で自身の歴史記述がほとんどなく、反対側の勢力である漢民族やローマ人側からの記録しか残っていないから、その実態は長く分からなかったらしい。

 実際にコーカサスやアルメニアに調査・発掘までした栗本氏によると、その草原の道は実は、我ら古代日本にも実に大きな影響を与えたらしいのです。

 続きはまた。
 ただ、古代史はなかなか複雑なので、自分にはまだうまく読みこなせませんから、お読みいただくといいと思います。

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March 22, 2009

みのりの季節

 この時期は学校は受験が終わって卒業式、あちこちで別れのドラマが展開されていると思います。

 私の児童相談所の仕事もある意味、この仕事独特のシーンが展開されます。1年の仕事の総決算、今がみのりを得る時期といえます。

 不登校や学校不適応のケースは、それが長引いているほど、確かに受験や進学の厳しい現実に直面させられます。
 しかし、さまざまなプロセスを経てその子なりの進学先を決め、その多くが定時制や通信制だったりするけど、ついに合格したと報告が今年もいくつももらえました。ほんとにうれしいですね。

 非行や校内暴力の子どもたちも、何回かの家族面接や学校とのカンファレンスを経て、この頃になるとけっこう落ち着いてきて、「もう大丈夫そうだね」とお互い納得して終わることができるようになります。
 初めて会った時は、こちらを警戒して険しい目つきだったのが、見違えるような柔らかい表情になっていますね。

 発達障害児の幼児さんの療育もうちはしているのですが、3歳児健診などから紹介されてきて、何年も通ってきてくれていた母子が、いよいよ来年度は小学校入学。
 その多くが地域の普通学級かそこの特別支援学級に入ります。
 相談当初は障害児を持って不安一杯だった親御さんも、この頃はしっかりと腹もすわり、前向きになっています。子どもたちは児相に来るのが大好きになってくれたので、少し寂しいのですが、最後の面接やグループでは元気よくお別れしました。

 子どもの臨床をやっていて醍醐味は、変化に富んでいること、「難しいな」と思っていた(思わされていた)状態が意外なほど変わっていることを目の当たりにすることでしょう。子どもの「成長力」を改めて実感する時期です。
 

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March 17, 2009

「合気修得への道」

 不世出の達人、おそらく戦後日本では最強・最高の武人といわれる大東流合気柔術の佐川幸義氏、その実際の姿はマスコミ等の表に出ることはなく、なかなかうかがいい知ることができませんでした。
 その佐川氏の愛弟子で高度な合気技の後継者とされる木村達雄氏の「合気修得への道-佐川幸義先生に就いた二十年」(合気ニュース)に、その様子が豊富な写真共に知ることができます。

 写真が凄い。
 大のおとなが、玩具扱い、ぼろ雑巾のように投げ捨てられている。
 関係者の証言では、それらは一般の合気道とは違い、全くの「お手盛り」抜きで、どのような空手や格闘技の猛者が飛びかかっても全く同じように、90歳の老人に手もなくひねられ、吹っ飛ばされてしまったといいます。

 著者の木村氏はそんな佐川氏にくらいつくようにして教えを受け、ついに合気を完成させました。その半生が本書には綴られています。

 木村氏は、東京大学理学部数学科及び同大学院博士課程修了。現筑波大学大学院数理物質科学研究科教授。
 数学の大家です。
 完璧文系人間の私には、合気がなくてもそれだけで畏敬の念を抱いてしまう。

 一般に数学者って「変人」ってイメージがありますし、確かにそういうところはなきにしもあらずで、我々心理系の業界人からア○ペと呼ばれるタイプがメチャ多いのですが、木村氏もなかなかすごい。

 本書の前半は佐川氏に出会う前の武道歴と共に数学者になるまでのプロセスがあって、ひたすら数学に没頭する時と武道の稽古に邁進する時の徹底ぶりはすさまじいの一言。

 京大の高名な数学者のところに転がり込んで、寝ても冷めても数学の日々。そんな中、

 そうしたらとても不思議な現象が起こり、自分のエネルギーレベルが上がったのです。火事場の馬鹿力状態になるというか、普通の状態じゃない。かあっと体のなかのエネルギーが上がってくる感じで、ぜんぜんわけがわからなかったノートが、なぜかじーっと見ているうちに、こういう意味じゃないかとか、いろんなインスピレーションが出てき始めたのです。

 佐川氏が「毎日四股を千回踏む」と聞けば、本当に毎日四股を千回も一万回も踏み続け、40度の熱が出ても、心臓が悪くなってニトログリセリンを持ちながらでも毎日稽古に出続ける。

 やっぱり突き抜ける人は違う。根性なしの私はそこまでできないな。美味しいものを食べたいし、女の子とも遊びたいし。

 本書には、佐川合気の本質を、普通の合気系武術のような関節技、逆手技やベクトル外しではなく、「人体の非物質的システム」のスイッチを切ってしまうことではないかと考えるに至ったそうです。

 その辺のところは、本ブログで以前、「合気の秘密」で紹介させていただきました。

 本書はなぜか経営コンサルタントの神様といわれる船井幸雄氏も、最近取り上げて推薦しているようです。

 合気に関心がある人のみならず、人間の可能性に関心がある方なら参考になるからだと思います。

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March 13, 2009

現代の公儀隠密

 西松建設事件を巡って世論とネット言論は好対照の様相です。
 私は政治系ではないけど、一応ブロガーの端くれらしいので、言ってる内容からはネット左翼とか陰謀論者と呼ばれることになるのかな、自分としては右翼のような気がするけど。

 陰謀は英語でconspiracyですが、副島隆彦氏は、これを「陰謀」と訳すのではなく、「共同謀議」「共謀共同正犯」とすべきだと主張されていますが、同感です。

 多少でも組織や行政、政治に関わった者なら(つまり「大人」なら)、建前やきれい事引っ剥がせば世の中、良いも悪いも関係なく、共同謀議から始まるに決まっているではないか。

 では今回の西松事件は誰が謀議をこらしているのか?

 その1人と思われる、「政府に捜査は及ばない」と発言し問題になった漆間巌官房副長官の正体をいくつかのブログで知り、思わず戦慄。

 この男はただの警察官僚ではない、諜報・謀略活動のトップなのですね。

 「世に倦む日々」より

 この漆間巌について、人物の詳細情報がネットに出て物議が醸されている。国民が注視する中で飄々とシラを切る不敵な面構えを見て、これは並の官僚ではないなと誰もが推測するけれど、やはり経歴が不気味であり、それを見ると、いわゆる霞ヶ関の官僚の一般的な範疇の人物ではなく、諜報と謀略の工作畑を一貫して歩いてきた恐るべき諜報官僚の実像が鮮明に浮かび上がる。亀井静香のような単なる警察官僚ではない。もっと自衛隊に近く、警察官と言うよりもグロテスクな軍務官の実体である。経歴はこうなっている。1969年警察庁に入庁、1980年在ソ連日本大使館の一等書記官、1987年防衛庁陸幕調査部調査第2課調査別室長、1989年奈良県警本部長、2001年警察庁警備局長、2004年警察庁長官。産経新聞に警察庁長官を退官した後の2007年に寄せた記事があり、これは言わば日経の「私の履歴書」の右翼方面版のような回顧録のコラムだが、そこに警察庁に入庁した漆間巌がモスクワの日本大使館に赴任した当時の経緯が書かれている。漆間巌は警察庁が初めて送り込んだソ連駐在官であり、この男は大学でロシア語を学んでいた。漆間巌が何の目的で警察庁からソ連の日本大使館に派遣されたのか、後の経歴を見るだけでそれを想像するのに難くない。

戦前型警察国家_4スパイだったのだ。諜報工作のためにソ連に潜入した工作員だったのだ。ここ数日の新聞報道には、漆間巌の警察官僚としての経歴が賑々しく紹介されているが、防衛庁陸幕調査部第2課に所属していた過去について触れている記事はない。昔で言えば、陸軍参謀本部謀略課である。要するに漆間巌は、(憲法9条下の戦後日本では消滅したはずの)「特務機関」の生粋のエリートであり、その組織の最高幹部に登りつめた人間だった言うことができる。

 こういう人がいるんですね。
 総務省や厚生労働省のキャリア官僚は見たことがあるけど、自衛隊の現場の「兵隊さん」たちにも知り合いが何人もいるけど、こういう手合いとはなかなか知り合えない。
 クライエントにも稽古仲間にもならないだろうな。

 まさに公儀隠密の頭領、服部半蔵か柳生但馬守といったところですね。

 ハットリくんじゃないから、けして国民のために仕事をすることはないということです。誰のためかはいわずもがな。

 副島隆彦の学問道場「軽い気持ちではなく重たい気持ちで書く掲示板」より

今回は、6日になって急に、漆間巌(うるまいわお)という、警察庁長官あがりで、まんまと、官房副長官になり上がっていた男が、正面に浮かび上がってきて、こいつを日本国民の前に、今日(9日)に、引き釣りだ出すことができた。黒海の参考人質問に呼びつけて、ボロボロに答弁させた。

 この警察官僚のトップの男が、アメリカのCIAの指図で、あれこれ、画策して、小沢一郎の失脚を、狙って、司法を使った国家犯罪を企てたのだ。この男を、愛国派の官僚たちからの内部からの告発があって、表面に引き釣り出すことが出来て、本当に良かった。 

 この売国奴の顔を私たちは、しっかりと見るべきだ。 この男と、行動を共にしている、政治警察・弾圧機構・公設暴力団たちを、勢力全体として、もっともっと表面に出すべきだ。 この勢力と連携する、大新聞、テレビ局の幹部どもの動きを、コンスピラシー(共同謀議、共謀共同正犯=きょうぼうきょうどうせいはん=)として、暴きたて、証明すべきである。

 今度の、小沢一郎への、突発的な卑劣な攻撃は、検察、政治警察とメディア(新聞・テレビ)までが、グルになって、一斉に、3月3日から、合図をして、行った集団犯罪である。決して自民党の政権内部からの動きではない。一種の小型クーデター(クープ、国家転覆)である。

 今回の事件、どうなるかは予断を許しませんが、検察への幻想が冷め、日本の権力組織のトップのある側面が我々普通の人にも、あぶり出されて見えてきたのが、最大の収穫かもしれません。

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March 10, 2009

属性化からの離脱

 「アドラーに学ぶ」から

 勇気を持つために、私たちはどのようなときに自分に価値があると思えるのか。

 著者の岸見氏は、まず、自分自身が他者からの評価(あなたは~だ)、期待(~になりなさい)に縛られること(これを属性化といいます)から自由になることが大事であるといいます。

 自分のことを他者からどのように評価されるかにとらわれ、よくいわれれば、喜び、悪くいわれれば、悲しんだり憤慨する人は多い。それはおかしいのではないか。他者が自分のことを悪くいえば、自分の価値は、まさにその評価によって下がるのだろうか。そんなことはないだろう。よい、悪いは、他者の評価であって、あらゆる人が同じ評価をするはずはない。・・・・(中略)・・・・

 反対のことを考えればわかる。他者が自分を高く評価すれば、私の価値は、そのように評価されたことによって高くなったのだろうか。そんなことはないだろう。他者からの評価によって自分の価値はいささかも下がりもしなければ、上がりもしない。p47

 全くその通りです。
 ただ、この「評価されたい病」はそれが染みついた人にとっては「分かっちゃいるけどやめられない」ものなんですね。
 人の評価から自由になること、人に合わせないように自立するには、勇気が要ります。

 自立とは行動面だけのことをいうのではなく、このように、人が自分について持っているイメージから自由になることも意味している。とはいえ、そうすることによって、他者は自分のことをよくは思わないかもしれない。人から嫌われるということもあるだろう。そして、そのことを望まない人はあるだろう。しかし、誰からも嫌われないという人がいるとすれば、そのような人は、嫌われないために、他者が自分について持つイメージに合わせているからである。今いった意味で自立し、自由であるためには、自分のことを嫌う人がいるということは、自分が自由に生きていることの証であり、支払わなければならない代償であるといえる。p49

 どうりで私を嫌う人が多いわけだ(笑)。

 嫌われ者は、自信を持ちましょう。

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March 06, 2009

「アドラーに学ぶ」

 ちょっと久しぶりにアドラー心理学関連。

 ギリシア哲学と心理療法の実践者、岸見一郎氏の「アドラーに学ぶ」(アルテ)は、アドラー心理学の視点から生老病死を考察したとても奥深い本です。
 私も一読して、次々にアンダーラインと付箋を付けていきました。

 紹介と自分の覚えのために、そこからしばらく引きます。

 よくアドラー心理学は「勇気づけの心理学」といわれますが、では、その勇気とはどのようなときに私たちは身につけることができるのでしょうか。

勇気を持つために

 たしかに人生の課題は困難なものであるけれども、それでは、どうすれば解決しうるという自信をもてるようになるだろうか。
 アドラーは次のように言っている。

「私は自分が価値があると思うときにだけ、勇気を持てる」(Adler Speaks,p.34)

 直面する課題もその解決は困難であるが、それに直面するためには、自分に価値があると思えることが必要である。勇気を持たねばと思ってみたところで、あるいは、勇気を出しなさいといわれたところで、勇気が起こるわけではない。p46

 まったくそうで、「自信をもっと持ちなさい」なんて簡単にアドバイスする人がよくいますが、自信や勇気をくじかれた人には、「それを持ちなさい」なんて言われたって、ほとんどなんの意味も効果もありません。

 何か別の視点、発想が必要です。
 著者は、

 アドラーは、自分に価値があると思える時に勇気を持てるという。一体、どうすれば、あるいは、どんな時に、自分に価値があると思えるのだろう。

 と問題提起をして、アドラー心理学に沿ったご自身の考えを述べていきます。
 一つ一つとても含蓄があるので、勇気について学びたい方は、是非本書を当たっていただきたいと思います。

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March 05, 2009

人が捕まるとき

 前記事をアップした直後に小沢一郎氏の第一秘書逮捕に、ここまでやるかと驚きました。

 政界はまさに、ハードパンチャー同士の、フルコンタクトのど突き合いの様相を呈してきたようです。

 小野寺光二さんは数ヶ月前から、小沢氏を葬り去ろうとする小泉・森派の動きに警告していたし、前記の山崎行太郎氏も指摘するように、「小泉純一郎、ないしは、小泉一派が『政治的危機』に陥ると、意外な事件が捏造され、逮捕者が出る…。そして肝心の『政治的危機』は隠蔽される」という動きそのままで鼻白むほど、実にわかりやすいです。

 こんなことをして検察は威信が保てると思っているのでしょうかね。

 昔、まだ子どもの頃は、巨悪・田中角栄を逮捕した正義の味方・検察と素朴に思い込んでいましたが、そんなことは全くの幻想だと大人になってから大分経ってわかるようになりました。

 町を守る交番のお巡りさんや、私にとっては非行や虐待問題で一緒に仕事をする警察官と同じイメージで、権力者の世界を見てはいけないことがよくわかりました。
 そういう個々には小さいけど大事な正義を守る仕事をする彼らは、きっと誇りを持って仕事をしてくれていると思います。

 でも地方でも、選挙が終わってみると、なぜか負けた候補者の運動員ばかりが選挙違反で逮捕されるのは不思議だなあと前から思っていました。

 一昔前の山梨の選挙はすごいんだから。
 金が鯉みたいに沢登りに昇っていくとか、朝起きたらトラクターが家の前に置いてあったとか、子どもの頃から「伝説」はたくさん聞いています。
 「お互い様」に決まっている。

 みんな権力には弱いよね。
 僕だってそう。
 今回の事件の本当の権力者は誰かな。わかりきっているよね。

 アドラー心理学や発達障害の本を紹介しようと思ったけど、人間や組織を学ぶには政治はまたとない教材だと思うので思わず感想をアップしてしまいました。

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March 02, 2009

追い詰められた竹中?

 かんぽの宿疑惑から風雲急を告げ、一気に追い込めるか、それとも逃げ切るか小泉・竹中、必死の攻防が茶番のようなテレビの中に見て取れます。

 思想傾向は違いながらも、とても尊敬できる文芸評論家山崎行太郎氏の「毒蛇山荘日記」が今面白い。

 連日竹中平蔵氏のインチキ性、詐欺師ぶりが指弾されていて、今何が起きているのか正直よくわからなかったことがわかってきます。

 昨日のテレビ朝日「サンデープロジェクト」での竹中氏と亀井静香氏の対論についてのコメント。

僕の第一印象は、やはり「竹中一派」は精神的にも政治的にもかなり追い込まれているなあ、というものだった。竹中平蔵氏はいつものように、油紙に火がついたように多弁、饒舌であったが、しかしその話の中身は、実に単純素朴で、サルにも分かるような、いかにも「B層」を相手にする人らしく、分かりやすい内容で、すでに何処かで読んだか聞いた事のあるものばかりであった。しかし問題は、やはり話の内容というより、そのナラティブ、つまり語り口と表情だろうと思う。「目は口ほどに物を言う」という言葉があるように、竹中平蔵氏の語り口や表情からは、多くの物語を読み解くことが出来るように思う。亀井氏が、「東京地検告訴する・・・」と断言した瞬間に、竹中平蔵氏の表情は一変し、急に語り口にも余裕がなくなって、陰鬱な語り口になったが、やはりそこらあたりに、竹中平蔵氏のホンネはあると言うべきかも知れない。ところで、植草一秀氏が、この番組の討論の様子を詳細にブログに記述しているが、それによると、「かんぽの宿」疑惑に対する竹中平蔵氏の反論の中心は、いつものように「赤字の垂れ流し」「雇用の維持が条件」「民間会社・民間人のやることに口出しするな」等、すでに事実の検証作業によって、その論理が破綻し、竹中氏等の隠蔽工作が明らかになったことがほとんどだったが、それだけでは不十分と見たか、それに最近は、『かんぽの宿疑惑』事件は「末端社員の自爆テロ」「西川社長追放の陰謀」「郵政官僚の復権運動」等が追加されたよう見える。

 竹中平蔵という男はいつもやたらぺらぺらと喋りまくり、ある程度のディベート能力があるらしいので、対談する論敵はあたかも打ち負かされたかのように見えてしまう。いつも困ったもんだと苦々しく思っていました。
 まさに詐欺師的パーソナリティーで、ペテン師の小泉と相性がいいのは間違いがないでしょう。

 山崎氏は竹中氏の本質をあの「三浦和義」や「ああ言えばジョーユー」と同じ種族と喝破しています。全く同感。

いずれにしろ、竹中平蔵氏が、「サンデープロジェクト」という報道番組を使って、司会者コメンテーターとともに、『かんぽの宿疑惑』の隠蔽ともみ消しに躍起になっていることは明らかだろう。はたして、いつまでそれが成功し続けるだろうか。テレビ画面に頻繁に登場し、苦しい弁明に努めれば努めるほど、テレビ画面は嘘を暴き出していく。竹中平蔵氏は、すでに自身が「裸の王様」状態だということが分かっていないようである。僕が連想するのは、「疑惑の銃弾」でテレビ画面を何ヶ月もハイジャックしたと言っていいロス事件の三浦和義、あるいはオウム事件の「ああ言えばジョーユー」等であるが、いずれも「立て板に水」の如くよく喋る人たちであったが、竹中平蔵氏もまた、これからもテレビ画面で「立て板に水」の如き弁舌さわやかな弁明を繰り返しつつ、門外不出の場所に幽閉されるまで、見事な醜態を曝け出し続けるに違いない。

 日本には「奢れる者は久しからず」という諸行無常の観念が古くからあります。

 まさにこれが私たちの目の前に実現することがあるのでしょうか。あったらいいですね。

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