日本とシルクロード
再び「シルクロードの経済人類学」に戻ります。
シルクロードの日本への影響といえばは、正倉院の宝物などがまず浮かびますが、栗本慎一郎氏は本書で、北のシルクロードは古代日本にただの文物以上の甚大な影響を与えたと考えています。
なぜなら、まず、中国や朝鮮から日本海を渡って日本(九州付近)に来るのは、鑑真和上の例にもあるように危険極まりないルートであったのに対して、北のシルクロードから日本(北海道、東北)に渡るのは、台風やシケにあう確率が低く、はるかに簡単・安全だったからです。
だからたくさんの人が公式、非公式に日本に来ていたかもしれないのです。
実際、8世紀中国東北部を支配した渤海への派遣は(遣隋使4回、遣唐使15回に対し)35回もあったそうです。しかも100人規模の国レベルの公式派遣「団体旅行」が14回もあったそうです。
要するに、奈良(平城京)は、唐を通じてかすかにペルシアと繋がっていたのではない。北のシルクロードの東端としてシルクロードの一角に画然と位置を占め、直接セミレチア方面と繋がっていたと考えるべきなのである。
その結果は日本にどうだったのか。まさに日本、日本人の「かたち」の大枠を作ったそうです。
この北のシルクロードに日本が関わったと一口に言っても中身はさまざまあるが、最も大きなことは王権のあり方、領域統治のあり方だ。初期の法のあり方もここに加わる。そして(これから期待される最大のものは)言語である。すなわち七世紀以降の律令制の整備と官僚制度および法概念の整備であって、これらはまさしく天皇制の基盤確立に繋がるものだ。またそこに宗教観までもが加わるとすれば、「関わった」というより「基本的要素を引き継いだ」とさえ言いうるのではないか。
私たちは古代日本には中国の影響が最大であったと思い込んでいますが、どうもその比重は大分減るかもしれません。
長くなるけど、栗本氏の大事な視点なので引用します。
これら多くの基礎となるものをこれまでの歴史学では「中国から」あるいは「中国から朝鮮を経て」来たと言ってきたが、間違いである。技術的なもの(たとえば漢字)は確かに多数、中国朝鮮からやってきている。中国朝鮮の影響を日本が受けなかったことは絶対ない。しかし、主要な要素は「中国朝鮮を通らずに北から」日本へやってきたと考えるべきだ。
たとえば法概念のように、確かに一見中国から日本に持ち込まれたように見えるものでもそうだ。法や慣習の原点をよく調べると元は北方の遊牧民の世界において育まれたものが中国へ持ち込まれて、それが日本に来たと考えるべきものが多い。そもそも中国は、随や唐の大帝国が成立するまで紀元前からずっと北方世界の影響下に合ったからである。そして随や唐も鮮卑族の影響下に建国された帝国であったことが(いささかの政治的な判断に基づいて)不当に無視されていることも問題だ。要するに、これまでもとはすべて中国のものだと言われてきた「風水」や道教的な諸要素も、いずれも元来は北のシルクロードのものであったと考えることができる。確かにそこに漢民族文化の味付けがあったことも間違いない。だが、日本人はそれらの基となる北の文化とはなじみの深い民族であったから、必ずしも中国経由でそれを採り入れる必要はなかったのである。
古事記の天孫降臨の話はそれを象徴しているのかもしれません。
栗本氏は、奈良の飛鳥、特に蘇我氏がその渡来人の「王」であり、「5世紀末にいたる最新の北ユーラシアの政治や宗教の具体的知識を持って外交も内政も執り行おうとした」と推論しています。
さらには天皇(スメラミコト)という言葉には、明らかに言語的に北ユーラシアと関連があるそうです。
こう考えると、歴史は深いなあと思います。
私たちは北方遊牧民の血が入っているのかもしれません。
時が下って、源義経が奥州からモンゴルに渡ってチンギスハンになったという伝説が生まれたのも、私たちが忘れてしまった北の道の記憶がまだ残っていたのかもしれません。
もしかしたら武田信玄の系譜も元をたどればそうかも。
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タイトル:【北方遊牧民の血】
シルクロードの新説というよりは、きっと真説ですね。
「シルロード経済人類学」、僕も時間を作って読んでみたいと思っています。
僕は「モンゴル人の先祖たちと日本人の先祖たちとの関係」に興味を持っています。
現代の日本人はモンゴル系の血が最も濃いこと、また、日本語は語法文法の面でも、文末に述語が置かれるモンゴル系語族だということは、専門の研究者の学説から知りました。
また、、日本人の新生児のお尻には、俗に蒙古斑点(はんてん)と呼ばれる青いマークがあることは、一般に知られています。世界では珍しい、モンゴル人の赤ちゃんと日本人の赤ちゃんに共通のお尻の青マークです。
しかし、文化も外来人たちも朝鮮半島から九州へと船で渡って来たはずなのだから、モンゴルと日本との間には幾重もの障壁があったのじゃないか、と僕は「不思議」に思って来ました。
もし、現在の北海道・青森・秋田・山形・新潟などの日本海側の海岸や漁港を介して、「人や物・文化・情報」の流通が古代からあったとすれば、そして、北のシルクロード説が真実だとすれば、先の「不思議さ」は一発で解消します。
それに、「朝鮮半島~九州」説に固執すると、矛盾が生じてきます。日本の文化は、古代から朝鮮・中国の影響は受けていても、朝鮮文化ともかなり異なるし、中国文化とも明らかに異なるからです。
浅学なので、これ以上詳しくは語れませんが、今後も僕は、「モンゴリアン・ジャパニーズ」説にこだわって行きたいと思っています。
明治政府が「日本帝国民=日本民族」という幻想を創りあげて、New-Nationの統一を図ったのは、列強国と肩を並べるための近代化の要請だったのでしょうが、その後から今日まで「日本人=単一民族」なる幻想が残存し、真の古代史も歪められてしまったのかもしれません。
中曽根元首相は、アイヌ人差別問題を論じ合ってる席で、こう言いました。「毛深い日本人だっていっぱいいますよ。私だって日本人にしては、かなり毛深いほうですから」。
「日本人=日本国民=日本民族」という幻想と信念を捨てられない、いや、そう信じ込んでしまっているのですね。
長々と失礼しました。
面白い話題と書籍の紹介を、ありがとうございます。
Posted by: しんぷる | April 05, 2009 01:59 AM
しんぷるさん
そういえば蒙古斑というのもありましたね。
日本人は体も言語も北方アジアと深いつながりがあることを、今回初めて実感しました。
しんぷるさんもおっしゃるとおり、北のルートが「本道」だとすれば、疑問は氷解します。
おもしろいですね。
また学んでいきたいと思います。
Posted by: アド仙人 | April 05, 2009 11:54 PM