老荘思想とひきこもり2
前記の研修会での「実践的老荘思想の立場として」の廖赤陽氏の発言のメモを覚えに記します。
廖氏は、中国から1988年東京大学に入り文学博士を取得、アジア文化研究所などで「華人の研究」などをされただけでなく、気功法の実践・普及を行い、無為気功養生会を主宰されています。
廖氏は、「気功の経験がないと老荘は理解できない」と言い切ります。
長い間老荘思想は、研究者が字面を追って、「テキスト読解」を繰り返した歴史ばかりだけど、その「研究成果」を読んでも何が書いているのかさっぱりわからない。
気功を行い、身体で老荘思想を実感しなければならないということのようです。その例を実際の老子のテキストを気功的に解説してくれたのですが、一見難解な老子がとてもわかりやすく感じられました。
その内容を、最近「気功で読み解く老子」(春秋社)という本で著したそうなので、いつか読んでここでレビューしたいと思います。
気功・中医から見た「引きこもり」-「情志養生」と「臓腑弁証」
気功・中医学は、人間の精神・情緒を「喜・怒・憂・思・悲・恐・驚」という七種類に分けて七情と呼び、七情は五臓より化生したものと見られ、その対応関係は心(喜)・肝(怒)・脾(憂・思)・腎(恐・驚)である。このような精神と身体の相互作用は、主に五行というシステムの相生(促進)、相克(抑制)のメカニズムによって調節されている。このような視点から引きこもりのケースに即して分析することが、本報告の試みである。(当日資料)
心の問題であっても、心理過程のみを取り出すのでなく、あくまで身体の臓器との関連から見ていこうというのが中医学の視点ということです。
例えば、五行の「水木火土金」の相生の理論からすると引きこもりの状態は、水である腎の気が少なく、そのため木である肝の気が不足しイライラし、火である心の気が不足し喜びの感情が少なくなる、といったことが考えられるそうです。
この辺はいわゆる臨床心理学とは大分違いますね。
多少中医学をかじっていた私には予想通りの話だったけど。
しかし廖氏は、「ひきこもりの事態に陥ったら、相当手遅れである」と断言したことが、会場の参加者をビックリさせたようで、
「ショックだった」と質疑で述べる人も出ました。他のシンポジストも「私は気功や老荘思想には素人だから」とうまくコメントできないでいました。
それに対して廖氏は、
基本的に中医学は「未病の治療」をするもの、飲食と漢方で臓器を調整し、「念」で意識を調整し、「観」で意識のあり方を調整するものと紹介されていました。
さらに、「人は変わる」ものなので、診断は常に同じではないとのことでした。
ただ、実際に会うのが難しい引きこもりの人に、気功でアプローチするには、超能力的になるが、念による遠隔治療しかないという考えを示しました。
ここに老荘思想や気功に対して、会場の人たちの中で求めるものの違いがあるように私には思えました。
そこに多くいたと思われる精神分析学や一般のカウンセリング理論を柱にしている臨床家たちは、老荘思想による引きこもり者への「新たなナラティブの可能性」を求めていたのに対して、廖氏は実践的気功師としてあくまで心身技法の面から「どう使うか」という視点でいたように思われました。
その辺がクリアーになると、さらに実りある対談ができたかもしれないと思いました。
とにかく、東洋思想と臨床心理学を何とかして出会わそうとした、主催研究会の決断と努力にエールを送りたいと思います。
ちなみに、休み時間に私は廖氏に挨拶し、児童相談所のこと、長年形意拳などの中国武術をしていることを話したところ、
「そういう体型をしていますね。私は劈掛拳(ひかけん)を学びました」
とおっしゃっていました。
またいつか学ばせていただきたい先生だと思いました。
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タイトル【ひきこもりの目的】
「病的なひきこもり」とか「非社会的(or反社会的)ひきこもり」があるんですね。
社会問題や病理として扱われている「ひきこもり」への視点を外してしまっていました。すみません。
「ひきこもり」という言葉でイメージされるのは、吉田兼好や鴨野長明、剣を捨てて出家してから晩年までの宮本武蔵、哲学者カントなどの著述者です。
ゴーギャンなども文明に背を向けた世捨て人です。文明化されてない島に引きこもった画家です。
文学研究者・国語教師としてですが、個人的には、「ひきこもり」に対してプラスのイメージ持っています。
遊びほろけている学生たちに対しては、「ひきこもれ!」と奨励しています。
前回のコメントは、現代社会が抱えている問題点から外れており、大変失礼しました。
病理としての「ひきここもり」については、日本の単一路線型の「教育コース」にも大きな原因があるのではないかと思っています。
大学も含めると、6・3・3・4制の一本道のマラソンコースです。
このコース上で走り遅れたり、このコースから外れることは、敗者もしくは脱落者であることを意味します。
また、日本は学歴社会だと言われていますが、正確には「学校歴社会」です。
どこの大学を出たかという「学校歴」が、一生涯、個人の社会生活に貼りついて回ります。私生活にまで付いて回ります。
日本は、欧米のように「出身校ではなく、あくまでも個人の能力とパーソナリティーを視て評価する」という社会にはなっていません。
この「学校歴主義」が、単一路線のマラソンコースの絶対重要性をさらに強化しています。
結論を申しますと、多彩で多様な教育コースが必要なんだと思います。
6・3・3・4制のコースを先頭集団に入って走り抜けなくとも、子供の人生の夢と可能性が、様々な個性に合った様々な教育コースで開かれ、実現され得る社会。
そういう社会に改善改革していくと同時に、「学校歴優位主義」も壊していかなくてはなりません。
ともかく、「一本のコースを上手く走らなくてはいけないんだ」という暗黙の常識が、親たちや教育者たちの中にある限り、落ちこぼれ意識にさいなまれるタイプの「ひきこもり」は減らないと思います。
もうひとつ、同年齢層クラス授業をやめていくことです。飛び級制と落第制を実施して、卒業年限を設けないことです。
家庭の経済事情や、生徒の学力や健康状態を尊重して、休学と復学と他の教育コースへの乗り換えを自由にすることです。
それから、農林漁業の活性化と国内自給率の向上です。
よい大学を出て、高給が取れるホワイトカラー・サラリーマンになるよりも、自然にまみれて汗を流す農林漁業のほうに夢と魅力を感じる若者が増えて行くと思います。
「ひきこもり」の人たちは、けっして落ちこぼれた脱落者ではない、と考えたいです。
画一化されすぎた教育コースと就労コースと人生コース対する、正直で感受性の鋭敏な人たちからの警告と警鐘なのだと思いたいです。
語りだすと、熱くなってしまいました。
くりかえし、失礼をお赦しください。
Posted by: しんぷる | April 12, 2009 06:59 AM
しんぷるさん
学校を巡る社会の問題には全く同意します。
おっしゃるような社会にしたいと念願しますね。
そうすれば、私たちの仕事も大分楽になるでしょう。
社会システムの問題と、臨床の個々の場面でのアプローチの仕方の問題が違うのは当然だと思います。
「幸せなひきこもり」になってもらうには、その人の課題とリソースに焦点を合わせた丁寧な関わりが必要になってくるのでしょう。
Posted by: アド仙人 | April 13, 2009 12:04 AM
ご無沙汰しております。練習にはなかなか伺えませんが、ブログは毎回楽しく拝見させて頂いております。
実は、11日、12日ヒューマンギルドで開催された盛 鶴延先生の気孔ワークショップに参加して参りました。初めての気孔体験でしたが大変感動しました。私が学習してきた産業カウンセリングの各講義の中で、「そんなことで人が本当に変れるのか?」と何か物足りなさを感じていた部分がありましたが、今回の体験でその意味が少々判った気がしました。人が自分の人生を納得して生き行く為には、認知だけの問題では無く、他にも体感を通して感じ取らなければわからない重要なものがあるような気がしました。旨く言葉では言えない部分であるところがもどかしいですが。
又練習に伺わせて下さい。これからもブログを楽しみにしています。
※ワークショップで妹様にお会い致しました。良く似ておられました。
Posted by: 深澤 | April 13, 2009 09:05 PM
深澤様
ヒューマン・ギルドに行かれて、しかも盛先生の気功を受けられたのですか!
しかも愚妹とも会うとは、どんどん縁が強くなっていくような気がしますね。
気功体験についてまた教えて下さい。
またお時間のあるときは、私共の稽古にもご参加下さい。
Posted by: アド仙人 | April 13, 2009 10:26 PM