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May 30, 2009

RDI・2つの知性

 発達障害の援助で効果的なRDIの考え方で、私がなるほどな、と思ったのは、人間の知能・知性のモードは2つあるとしたことです。

 スタティック・インテリジェンスダイナミック・インテリジェンスです。

 スタティック・インテリジェンスとは、固定的な知識や行動パターンの蓄積や、それらをコピーのように再現・反復する能力のことで、より具体的には、知識や概念操作、ルール、特定の課題に対する特定のスキル、マニュアル的行動などを意味します。

 教科学習や知能テストのような課題には有効で、変化のない状況での問題解決には役立ちます。

 ダイナミック・インテリジェンスとは、、絶えず変化する複数の情報、同時に生起する情報を処理する能力で、複雑な現実の生活や対人関係の中で問題解決し、学習するのに必要な能力のことです。

 ものごとを多面的、多方向から見る能力であり、獲得したスキルや知識を実際の状況に柔軟に応用することには不可欠な力といえます。
 また経験の共有や共同作業につながる能力でもあります。

 どちらも人間には大切ですが、とりわけ、今の複雑・高度化した社会ではダイナミックに複雑な刺激、情報を処理することが求められているので、ダイナミック・インテリジェンスの不調、欠陥は大きなハンデとなります。

 特に自閉症、アスペルガー障害の人は、このダイナミック・インテリジェンスの発達が何らかの生来的な脆弱さのために阻害され、やむを得ず、生きるための適応戦略としてスタティック・インテリジェンスの使用に頼ってしまう、偏ってしまう状態と容易に想像がつきます。

 彼ら特有の極端な収集癖やこだわり、関心のあるものの名前を覚え続けたり、決まり切ったパターン的な順序や生活にこだわる、驚異的な記憶力は、その現れでしょう。

 しかし、SST(社会生活技能訓練)などで、トレーニング場面でのパターン的な挨拶や断り方などやり方を覚えても、いざとなった日常生活では、全然うまく使えない、応用が利かない、つまり般化しないという話はよく聞きます。
 スタティック・インテリジェンスしか使えていないからです。

 スタティック・インテリジェンスをいくら伸ばしても、ダイナミック・インテリジェンスを伸ばすことはできないとRDIは考えているようです。
 よく発達障害教育・臨床でいわれる「本人の得意なところ、良いところを伸ばしましょう」は、短期的な目標達成には良いけれども、本質的な解決にはなり得ないのです。

 むしろ、自閉児の強さ(知識・パターン・スキルの蓄積)を強調し、それを伸ばそうとすることは、彼らの発達・能力の偏りを強化、増やしてしまうと考えられます。

 難しいところですが、たくさんの発達障害児に会ってきた身にとっては、とても納得のいく話でした。
 そして、アドラー心理学でいう共同体感覚は、このダイナミック・インテリジェンスの働きが関わっているのではないかと思いました。
 高度な協力の姿勢、状況判断が求められるからです。

 発達障害児とは、共同体感覚の発達において、ハンデを背負っている人たちといえるかもしれません。

 では、ダイナミック・インテリジェンスを伸ばすにはどうしたらよいか、これがRDIの眼目ですが、私にもまだ十分に学べていません。ヒントは得ましたが、これから、さらに学びを進めていきたいと思っています。

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May 25, 2009

昔の自分が出ていた

 「早稲田古本村通信」206号というメールマガジンで、南陀楼綾繁(なんだろうあやしげ)さんという、面白いペンネームで出版・古本業界で活躍しているライターさんが、大学時代の私とのちょっとしたエピソードを書いてくれていました。

 旧友で歌人の大橋弘君(歌人の友)が教えてくれて、驚いて読むと確かに私のようでした。
 懐かしくて、思わず南陀楼氏に確認とご挨拶のメールをしたところ、23年ぶりの再会をネットで果たすことができました。

 無類の本好きの南陀楼さんは、80年代半ば早稲田大学に入ったとき、幻想文学やオカルティズム・神秘学系統の思想にのめり込んでいたそうです。
 今は評論家で活躍中の浅羽通明氏が関わっていた「早稲田大学幻想文学会」と主宰していた「乱調社」に入り、その後、さらにもっと妖しい「早稲田大学神秘学研究会」に顔を出しました。

 そこで、サークルの幹部だった私に出会ったのです。

だから、雑誌『幻想文学』を発行していた幻想文学会を訪ねたのは、自然の流れだったろう。そのあとに訪ねたのが、神秘学研究会なる、さらに怪しいサークルだった。南門通りの〈プランタン〉の2階で、Fさんという先輩と待ち合わせ、説明を聞いた。シュタイナーやらカスタネダやらの名前をたっぷり吹き込まれ、オモシロそうだと思ったようだ。その数日後には、早稲田通りからちょっと入ったところの一軒家で行なわれた例会にも顔を出してい
る。たしかFさんと誰かが共同で住んでいるという家で、やっぱりいろんな名前を吹き込まれた。

 Fというのが私です。
 当時サークルの部室を兼ねて、私と友人で西早稲田に一軒家を借りて住んでいました。そこに夜な夜な神秘思想やSF、古神道、ニューエイジ、現代思想などに関心のある面々が集まっていたのです。
 いろんな人たちがいましたよ。

 当時から私は、幻想文学や魔術のような「文学系」というより専ら「身体実践系」で、瞑想やら気功やらサイコセラピーやらに関心を持っていたので、変な話を熱心に南陀楼氏に吹き込んでしまったのだろうなと、今思うと赤面であります。
 でも別に、宗教の勧誘みたいではなかったと思うよ(多分)。

 南陀楼さんは、現在古本市など、本好きのためのイベントの開催など興味深い活動をいろいろとしているようです。
 ナンダロウアヤシゲな日々

 朝8時起き。昨夜配信された「早稲田古本村通信」の連載で、大学時代に「神秘学研究会」に顔を出した話を書いたら、ご本人のFさんからメールが。23年ぶりだ。いまやっている仕事を教えてもらい、なんだか納得した。昔のことを書いていると、こういう再会もあるんだなあ。(4月24日の日記)

 その後南陀楼さんとの縁は続かなかったのですが、自分と少しでも縁のあった人が自分に関することを著してくれたのを見て、突然タイムスリップしたような不思議な感覚になりました。

 こういう再会もあるんですね。

 

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May 24, 2009

RDIの特徴・姿勢

 自閉症、発達障害への理解、支援方法は年々進歩して、特別支援教育を中心に広まっています。もう専門家では「母親の育て方が原因だ」などという人はいないだろうし、単純な受容や、好きなように子どもに遊ばせるだけのプレイセラピーでは絶対良くならないことも周知のこととなりつつあると思われます。

 これからは応用行動分析学(ABA)の詳細で丁寧なアプローチを取れることが、専門の教員、カウンセラーには求められるでしょう。
 逆にいえば、それを使いこなせなければ、「役立たず」と本人や家族に指弾されることになりかねません。

 アメリカではABAが一大産業というと大げさかもしれませんが、他のアプローチではなく、ABAには州がお金を出すなどの権限を獲得し、大きな勢力となっていると聞きます。

 しかし、そのABAにしても「自閉症を治す」ことはできない。

 せいぜい「少しでも暮らしやすくする」「障害と共に生きる」「アスペルガーとして生きる」といった考え方でいかざるを得ないでしょう。
「自閉症の文化に私たちが近づく」といった言い方をした高名な先生もいました。

 発達障害という特異な認知の世界に生きる人を理解するには、それも大切な姿勢でした。

 しかし、RDIは違うようです。
 生きにくい発達障害者が生きやすくなるのではなく、つまり「良い発達障害」をモデルにするのではなく、ごく普通の子ども、いわゆる定型発達をモデルにしているといいます。

 定型発達がモデル:「どうしたら、大きな困難と試練を抱えた(自閉症の)子どもたちを(定型児と同じように)育て、発達させられるか」がメインテーマ。

 障害の特性を理解し、それへの対処法や補償的援助を工夫するだけでなく、

 自閉症の中核症状領域における(段階的・個別的支援による)発達のやり直しによって、定型児と同じような「情緒的、社会的、認知的な能力」、その基盤となるダイナミックな「脳の情報処理・神経ネットワークの構築」めざすこと

 これはすごく大胆な発想であり、挑戦であると思います。

 よくいわれる「自閉症の強さ」にアプローチすること、つまり視覚的な情報処理の強さや記憶力の良さ、知識の蓄積能力を利用しようという姿勢は、本当の意味で彼らをよくすることにはつながらない。
 むしろ「弱さ」に焦点を積極的に当てるべきだ、という従来とは真逆の発想があり、それを知った私には改めて目からウロコ、でした。

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May 20, 2009

RDIを知る

 ここのところ4月以来の疲労がたまっているようで、日常生活でちょっと気力が湧かない。

 でも、学びたいことがあるとどこへでも行きます。

 5月17日(日)には名古屋へ。

 自閉症、アスペルガー障害などの発達障害への新しいアプローチとして、一部の人の注目を集めているRDI(対人関係指導法)の概要を学びに行きました。

 いち早くアメリカでRDIを学び、日本最初のRDI認定コンサルタントになった白木孝二先生のオフィスNagoya Connect & Share に行ったのです。
 白木先生は先年まで児童相談所や障害児の療育センターに勤めていた方で、ブリーフ・セラピーの代表的学派、ソリューション・フォーカスト・アプローチ(SFA)を日本に紹介した一人でもあります。

 RDIについては私も興味関心を抱き、杉山登志郎先生翻訳の本邦初の翻訳書や学会の短時間のワークショップ体験を本ブログでも紹介しましたが(RDI対人関係指導法学会WS・RDIを学ぶ)、なかなか実際の姿は分かりませんでした。
 それはアメリカ・ヒューストンのRDIの総本部が、かなり資格制度と著作権に厳しい姿勢をとっているのと、日本にはまだ資格保持者が3人しかいないためのようです。

 しかし、学んでみると本当に良い内容ばかりで、今後是非日本に広まってほしい療育、相談援助技法だと思いました。
 現在特別支援教育や発達障害援助の主流であるTEEACHや応用行動分析学にできないところを補う力があると思います。

 ただ具体的内容の多くはここでは語ることはできないので、公開されていて差し障りのないと思われる範囲で、基本的なところを紹介したいと思います。

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May 14, 2009

樹林気功の思い

 樹林気功のわかりやすい解説は、今田求仁生氏にきちんと学び、三重県で普及活動をしている藤田雅子氏の「イラストで学ぶ やさしい樹林気功」というステキな本があるので、関心のある方は是非当たって下さい。

 正直なところ私は、パワーアップでも喧嘩に強くなるでも金持ちになるでもエッチがうまくなるでも何でも、気功の持つ「現世利益」の側面は好きです。

 健康な人は、さらに強くなるために、能力を上げるために気功を利用することは人間として当然だし、気功に代表される東洋の心身技法にはそれが可能な潜在力があると思います。
 アドラー心理学的には「マイナスからプラスへ」動くこと、「劣等感の補償」が人の本質的傾向だから、それを十分に伸ばすことが「幸福への道」と思われます。

 しかし、それが自分本位だけになってしまうのはやはり問題です。
 樹林気功には、気功学習者が陥りがちな独善性を突破し、世界を大きく広げていく力があります。
 気を与えるとか奪うとか、邪気を払うとかいう一方的な関係ではなく、弱者や病者、障害者と共に、対等の関係の中で気を高め合い、癒し合うことができ、さらに樹木や生物全体との「いのちのつながり」を体感することが可能なことを樹林気功は示したと思っています。

 アドラー心理学では、その体感を共同体感覚というのだと思います。

 今田氏の医療に対する考えを聞いてみましょう。

 私は若い頃から医学の研究をしてまいりましたけれど、今の医学は、いのちがどこかへ飛んで行ってしまって、確かに生きている機械としての生体はあるんだけれど、いのちはないという状態に思えるんですね。もっと広く見てみると、こんな自然破壊を起こしているのは、いのちのつながりが見えないからだと思うんですね。

 そういうことを、もう一度、生身から問い直せるような方法として、私は気功を伝えてみようと思いまして、それで「樹林気功」という名前を勝手につけまして、やり始めたわけなんです。気功もひとりよがりのところがございまして、ややもすれば密室に入って、いろいろな恰好をして、呼吸法をやって、悟りきってしまうところがあるんですね。それは非常に不健康なことではないかと思うんです。

 本来の気功の思いというのは、いのちひとつらなりということに、生身が感じるということだろうと思いまして、それこそ森の中に、ポンと立っていれば、森がいろいろなことを教えてくれますから、それで樹林気功ということで、森をお相手にというか、お師匠さんにしてやる場をつくろうと、今やっているんです。「愚者の知恵」p95

 20代の強くなりたい盛りで武術の稽古ばかりしていた私に、強烈な一撃を与え、目を開かせてくれた今田求仁生氏には本当に感謝しています。

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May 12, 2009

樹林気功の方法

 では、実際の樹林気功の姿はどのようなものだったか。私が経験したことをまとめてみたいと思います。

 具体的なやり方(気功では功法といいます)は、普通の気功教室でやっているものとそんなに変わりなく、どこでもやっているものと同じだと思います。
 むしろ、「○○気功」といった特別な型のある流派的なものではなく、ごくシンプルな動きと呼吸法です。

 両腕を前後あるいは左右に振るスワイショウ
 太極拳のようにゆっくりと動く動功、特に両手を上下に動かしたり、左右に広げたり狭めたりする昇降開合という簡単な動作。
 気功法の代表的ポーズといえる、じっと軽い中腰で立って、両腕を腹の前で丸く球を抱えるように円を作る三円式站とう功

 特に念入りにやったのは、按摩功と呼ぶ掌や指先、腕、足裏、脚などのツボを中心に丁寧に身体をマッサージするものでした。

 それから、2人一組になって行う「癒し合い」というワーク。掌や腕を揉み合ったり、背中から胸の壇中というツボに気を通したりして、じんわりとした暖かさや柔らかい体感を得ることができます。

 実にわかりやすくて、気持ちのよくなる功法ばかりで、私は今でも武術的気功の合間や運転中、朝の起き抜けや仕事で疲れたときにやっています。
 最近は、4月に赴任した精神病院のデイケアで、早速患者さんたちに教えて体験してもらったら大いに喜ばれました。
 リハビリメニューとしても優れものです。皆さんに是非お伝えしたい。

 そして、いよいよ樹林気功。

 これにも特に決まった型があるわけではありません。
 ただ、お気に入りの樹木の下や森の中に入って、気功をやるだけです。

 大切なのは「自分が具合良くなるために、パワーアップするために樹木から気を取ろう」という姑息な発想ではなく、「樹木・自然の気と交流しよう、お互いにいたわり合い、癒し合おう」という姿勢で臨むことです。
 樹木と自分との「命のつながり」を感じ、共に育ち合う姿勢です。

 そのためには、樹木の所へズカズカと入っていくのではなく、樹木とそれがつくる「気場」に礼節を持って入っていき、樹木に挨拶し、語りかけるような態度で行います。
 実際に
「やあ、楠さん、また来たよ。今日もよろしく」
 と実際に語りかけたっていい。

 私も緑豊かな山梨にいるので、家の近くと少し離れたところに「友達の樹木さん」がいます。

 そこで得る体験は、実に様々、人それぞれですが、樹林気功の集まりの後は、みんな一様に優しい顔になり、気持ちよくなって帰っていきます。
 同時に自然破壊による「自然の痛み」にも敏感にならざるを得なくなり、深い意味でのエコロジカルな感覚が得られるようになります。

 今田氏のいう「いのちひとつらなり」を体感するのです。
 

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May 09, 2009

樹林気功・樹木に癒される

 前記のとおり今田求仁生氏はパリで医療人類学を学びながら、当時ソ連と戦争をしていたアフガニスタンに医療ボランティアの一員として赴きました。
 そこで大変なことに巻き込まれます。

 毒ガス兵器によると思われる被害に遭ってしまい、体はボロボロ、気管支が癌になってしまったのです。
 そこからはご本人唯一の著書「愚者の知恵」(伯樹社)でご本人に語ってもらいます。ちなみにこの本の内容は、今田氏が樹木や自然とのつき合いの達人たち(東大の林学教授で北海道演習林に住み着いていたことで知られた高橋延清氏や「法隆寺の棟梁」宮大工・西岡常一氏など)と対談したものです。引用部分の対談相手は日本最初の「樹医」山野忠彦氏です。読みやすいように適宜改行します。

 何年か前になりますが、国際医療協力のお手伝いに行っておりました際、戦火にまきこまれてしまいました。その時、毒ガスに犯され、九死に一生を得ました。しかし、数年後、このことが原因かと思われますが、肺癌になりました。当時はフランスで研究生活をしておりましたが、友人の医師から、「あと、二、三ヶ月の命だから、君の人生を有意義に生きてくれ」と言われました。そこで、日本に帰って産土(うぶすな)になろう、と考え、帰国いたしました。あと数ヶ月の命なら、子どもの頃、伝えていただいた気功をやってみようと思いました。

 東北の森に行きまして、先生もご存じと思いますが、八幡平から奥の方にブナの原生林があります。そこに潜り込みまして、どうせ死ぬんだからと思い、着ていたものを全部脱ぎ捨てて素っ裸になり、夏から秋にかけて四十日間入っておりました。

 そうしましたら、最初は体が動かなくなってきておりましたが、ある日を境にだんだん動けるようになりました。それまでは寝たら寝たきり、という感じだったのですが、次第に動けるようになり、坐れるようになり、そして立てるようになっていきました。

 ある日のこと、樹木になりきってしまう「站とう功」という気功がありますが、それをやっておりましたら、体内にシャワーンという感じがするんです。これは何だろうか、幻覚でも起きたのだろうかと思いました。つづけてやっておりますと、またシャワーンとくるんです。その時はじめて、これが木霊かと思いました。木霊がスーッと体内に入ってくる。そうすると、それまで痛みがあったのがスッと消えるんです。まるで皮でも剥がすように。その時、はじめてわたしが師から伝えていただいたものは何だったのかと思い至りました。理念では多少のことは知っておりましたけれども、そうではなくて生身で直に感じたといいますか、「あー、そうか、人間と大自然とは互いに癒し合えるんだ」と思いました。

 さらにつづけてやっておりますと、こちらが気持ちよくなると、樹木の方も気持ちがよさそうなんです。

 その後医者にいろいろ調べてもらいましたところ、「癌病巣はない」と言われました。肺癌でも末期の状態だったものが、自然退縮したらしいのです。それ以来、森に行って気功をやってますと、とても気持ちいいんです。

 このような経験を通して、本当に樹木と人間は癒し合えるんだ、森林浴のように、一方的に人間だけが気持ちよくなるという発想ではなくて、人間が気持ちよくなったら、樹木も気持ちよくなるんだ、ということに生身ではたと気づきました。p61~62

 すさまじい治癒の物語です。
 白神山地の奥深く、一人死をも覚悟した山籠もりをしているうちに、ブナの原生林に癌が癒されるという、「究極の自然治癒」といえます。

 もちろんここで、「癌になれば樹のところや森の中で気功をすれば治る」と短絡的に考えて、方法化したりして「商品化」してはなりません。
 今田氏にしても、それまでの長い気功体験や東洋医学の研究で、「功夫(クンフー)=心身の基礎」ができていたからこそ、自然の持つ奥深い力に触れることができ、重い病を退けることができたのだと思います。

 しかし今田氏はこの体験から、樹木との気の交流を通して、人は自然や身体についてほんとうに大切なことを学べると考え、樹林気功を着想します。

 それは当時既に深刻化して今にも至る問題、医療や教育の崩壊、身体性の喪失、環境破壊、暴力の蔓延に対してとても大切なメッセージと技法を発信することになりました。

 

 

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May 06, 2009

樹林気功の師

 私が学んでいる気功法は、王向斎-王樹金という世界最高峰の実力と伝統を継いでいると誇っていいものだと思います。もちろん自分ができるという意味ではないですが。
 その伝統との出会いを作ってくれた我が師には本当に感謝しています。

 現在大成気功と呼ばれるその気功法は、健身や養生の要素を持ちながらも、伝人が武術の達人であったこともあって、基本的に武術の基礎鍛錬のための気功法といえます。

 私は日々それに取り組んでいますが、若い頃はその傍ら自分なりに気を研究すべく、様々なところに出向いていました。その中で、私に深い影響を与えてくれた気功の達人に何人か出会いました。
 そのお1人を、今は消息不明なので(ネットで検索してもはっきりしない)、思い出を残す意味でしばらくここに書き記そうと思います。

 その師は、今田求仁生(いまだくにお)、という人です。

 今では気功をやっている人でも知らない人がほとんどだと思いますが、ある時期、日本の気功のあり方に静かだけど大きな影響を与えたといえる人です。

 80年代末から90年代の初頭、既に日本にはちょっとした気功ブームが起こっていました。
 先進的なカルチャーセンターや武道場では、気功法を取り入れ始め、太極拳は楊名時氏の24式を中心にかなり普及していましたが、太極拳と同時に気功法をもうたい文句にし始めるところが増えていました。

 しかし、そのブームの中で宣伝や参加者たちの姿勢として目立っていたのは人を倒すとか、超能力を得るとか、病気から治るといった「パワー志向」「自分本位」の気功ばかりでした。
 そんな状況下で、今田氏は突如気功界に現れ、自分が強くなるためのパワー志向の気功ではなく、樹木などの自然との気の交流、人との気の交流を通して、「いのちの営み」に気づき、癒し合い、いのちの質を高めていこうという主旨の樹林気功を提唱したのです。

 今田氏は、本来弱い存在である人間が他者とつながり合い、他の生物や自然とつながるためのエコロジカル・エクササイズとしての気功が本来の気功の姿だとしたのです。

 万物斎同、とでもいえ、いのちひとつらなりを訴えておられました。

 今田氏が提唱した樹林気功という言葉は、新鮮な響きを与え、当時出始めた森林浴という考え方ともマッチしたのか、気功業界で取り入れられ、急速に広がっていきました。
 今田氏は、当時日本の気功を先導していた津村喬氏と共に活動したこともあったようで、津村氏が積極的に樹林気功を実践して見せたことも大きかったと思います。

 私は山梨で今田氏と親交のある人たちと出会い(その中に前々記の羽中田氏がいました)、彼らが気功の会を開いて今田氏を呼び、山梨に来ていただいた時に何度もお会いし教えを受けました。

 今田氏は、当時40代はじめ、いつも作務衣に草鞋姿で、たくましい体躯に日焼けした髭面の男性でした。一見おっかないお顔なのですが、眼差しは柔らかく、笑うと深みのあるやさしい表情になりました。
 自然や植物のことに造詣が深く、一緒に山の中にいると「食べられる植物がいくつもあるね」と一目ですぐに分かるようでした。この人と遭難しても大丈夫だ、なんて思ってしまいます。しかし、よくいるアウトドア派というには全く甘く、佇まいや動きはまさに野生の動物という感じでした。
 私は初めて会うなり、「この人はただ者ではない」と確信しました。

 実際日本中の森や山岳を踏破しているといってよいくらいで、ある時お会いしたら、「京都から山梨まで山中を歩いて来た」と聞いたこともありました。
 昔の忍者や山伏や山の民が動いた「裏の道」が日本列島にはあるのだというのです。信じられない話ですが、今田氏を見ると、「この人なら山を越えて日本中歩けるだろう」と納得してしまうのです。

 その今田求仁生とはどのような人か、まず略歴から紹介します。これがまたすごい。

1948年 福岡県生まれ。11才の時から老師に中国拳法、気功、東洋医学の手ほどきを受ける。
1973年 渡仏。クロード・ルフォール国立社会科学高等研究院教授につきメルロ・ポンティ研究。77年ジャック・デリダ国立高等師範学校哲学教授につき「身体概念と言語」について研究。
1978~83年、インド、ネパール、中国にてアーユールヴェーダ、チベット医学を調査研究。パリ大学医学部医療人類学研究所にて、比較医学を研究。
1987年より 樹林気功を提唱。
1988年 ペルーの第2回国際伝統医療会議に出席。
1989年 樹林気功に基づいた「みどりといやしの会」発足。代表世話人。

 なんとポストモダン思想のあのデリダに師事していたとは。 
 それだけでも破格の知的・行動的スケールを感じてしまいましたが、その今田氏がどうして樹林気功を提唱するに至ったのか、その道程がまたすごいので、次回に記します。

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May 05, 2009

逝ってしまった

 忌野清志郎さんの癌からの「完全復活」の時には本当に喜んで記事も書きましたが、再発を聞いたときからこの日が来るのは感じていました。

 ワイドショーの訃報の伝え方にいらつきながらも、自分だって本当によく知っているわけではないので、熱い思いを語るのは熱烈なファンに任せて、今回はあまり追悼記事めいたことはやめておきます。

 ただ、「雨上がりの夜空に」などのヒット曲は車の中で今でもよく聴いているし、カラオケでも酔った勢いでよく歌っていました。
 大麻ソングのタイマーズや反原発やFM東京批判の歌も、なぜかこの人の反体制の歌は明るく、格好良かった。
 なんと細野晴臣と坂本冬美とのユニット、HISも好きで、CDも持っていました。清志郎と坂本冬美のデュエットはなかなか合っていたと思います。

 ああ、でも残念だ。

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May 01, 2009

甲野氏と羽中田氏の邂逅

 本ブログでも応援している(車椅子のサッカー監督、ホントに誕生!)山梨出身で元山梨県庁職員の車椅子のサッカー監督、現在はJFLのカマタマーレ讃岐の監督をしている羽中田昌さんが、甲野善紀さんと会い、その動きを直に見て感激したようです。

 甲野先生(ハーフタイム/羽中田昌)

 いかりや呉服店の守さん主催の「松聲館 甲野善紀先生 古武術セミナーin香川」へ行ってきました。
たいへん興味深く、あっという間の3時間でした。
甲野先生のことは書籍やDVDでは見ていましたが、実際に目の前でさまざまな技を見せてもらうと、
驚きと共に身体活用の可能性を実感することができました。
楽しい、楽しい時間でした。

 羽中田さんのブログにはツーショットの写真もあります。

 自分に直接、間接に縁のあった人たちが、自分とは関係のない縁で出会っていくのを見るのも、何だか世界の狭さというか、不思議な感慨やうれしさがあります。

 お二人の一層の活躍を念じずにはいられませんでした。

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