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June 30, 2009

武蔵の全盛期は?

 剣豪・宮本武蔵の生涯に思いを馳せるとき、武蔵はどのように強くなっていったのだろうかという疑問が当然のようにわいてきます。

 野生児のような粗っぽい10代から、沢庵和尚に「人の道」を仕込まれ、数多くの真剣勝負で剣の道を求め続け、女には目もくれず、ついに佐々木小次郎との試合の時は実力は頂点に達した・・・。

 吉川英治以降、ほとんど全ての物語が、まるでユングの元型論に沿うかの如くワンパターンを繰り返しています。
 それは教養小説として、人々が安心して読める予定調和の物語だからです。

「宮本武蔵は、なぜ強かったか?」で高岡英夫氏は、定説に挑戦するかのような武蔵論を出しています。

 実は天才・武蔵の全盛期は13才の頃、新当流の有馬喜兵衛と立ち合って倒した時が最高レベルで、後は「その時の感覚」の再現を求めるかのように、武蔵は幾多の戦いに望み続け、勝ち続ける中で、いくらかはその感覚を得ながらも徐々に失っていき、その代わりに騙したり意表を突くような「戦術」を使わざるを得なくなり、ついには巌流島の佐々木小次郎との決闘では、武蔵にとって最低、最悪レベルに落ちていた。だからあんな戦いをしなければならなくなった。
 そのことに気づいた武蔵は、在りし日の感覚を求めて剣以外の芸道などに打ち込み、「悟り」を求め、ついには「五輪書」を執筆するレベルに至った・・・。

 とまあ、ざっとこんなプロセスです。

 どうしてこういえるのか。
 高岡氏は、「五輪書」の丁寧な読解と自身の武術/身体の鍛錬経験を重ね合わせながら、その考えの根拠を開陳していきます。
 そのプロセスがとてもよくて、「なるほど、こうやって兵法書は読み解いていくのか」と、読書自体が頭の鍛錬になる思いがしました。

 天才・武蔵は生まれながら無常のゆるみきった身体を持ち、そこから繰り出される水のような無駄のない、まるで天理に沿った動きができたことを「をのずから」と「五輪書」で表しています。
 しかしそれなら武蔵はなぜ、半生飽くことなく戦い続け命のやり取りを続けたのか。

 連続殺人犯みたいに病的パーソナリティーだったためか。

 いや、全く違う道徳、生命観で生きていた人に、今の基準を当てはめても仕方がないでしょう。そんな病的な書なら「五輪書」が世界で人生の指針のように読まれているわけがない。

 高岡氏はいいます。

 もし仮に、その後も「自ずから天理を離れない」戦いができたのなら、おそらく真剣勝負を数回繰り返せば、もう「これが天理」だなという最終的な悟りに到達してたことでしょう。ところが現実の武蔵はそれから六十余度も真剣勝負を続けていったわけです。

 それは有馬との戦いののち、武蔵の心中に壮大な悩み、迷いが生まれたからだと私は考えます。

 武蔵の悩み、それは天理、しかも根本さらには究極の天理を見失ってしまったことに他なりません。武蔵の修行遍歴とみられているのは、実は失った天理を求めてさまよう、文字通り血みどろの苦しい道のりだったのではないかと、私は考えています。p226

 本書は具体的な二刀流の術理の解説もされていて、そこのところも興味深いのですが、人間・武蔵の新たなイメージを得ることができ、私には今年上半期の「武術部門」ベスト1の本となりました。

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June 24, 2009

腸能力!

 本ブログは初めてもう4年目くらいなりますが、最初の頃はブログブームで、その時期に知ったブログで私が興味を持ってトラックバックさせていただいて知り合った方の一人に、フリーライターの長沼敬憲氏がいます。

 身体感覚、丹田、ハラをスポーツや文化、人間理解のキーワードとしていち早く取り上げた一人です。
 プロフィールによると、私と同じ山梨出身で、同じ時期に東京に出て大学生活を送っていて、しかも私と近い関心をお持ちだったようで、密かに親近感を抱いていました。

 その長沼氏が、私が愛読する武術雑誌「秘伝」BABジャパンに先月号から、注目すべき連載をしています。

「身体と心の肝 腸で心と体が変わる!? 腸能力を磨け!」

 腸能力というネーミングがいいですね。

 ここ数年の武術・格闘技・身体論ブームの中で多くの実践者や研究者たちは、主に筋肉やパワーの出し方といった身体トレーニング、精妙な技の術理の発見、気や意識の高め方など、さまざまな角度からそれぞれが得意とするアプローチを研究し、発表してきました。
 その様は、まさに諸子百家、百家争鳴といった状況でした。

 しかし、それらの流れの中で、最も基礎になるべき大切なものが忘れられていました。

 食事とそれを消化する胃腸の問題です。

 食べ物が私たちの体を作るのだから、考えてみれば至極当然のことですが、実は生活の中でも最もコントロールの難しいのが食の問題であります。

 どちらにせよ、ここで一つの事実が浮かび上がってくるはずだ。それは「食べたものが血となり肉となる」ということ。アメリカには食べているものがあなた自身である(You are what you eat.)ということわざがあるが、これは要するに、「私たちは食べている内容以上の存在にはなれない」ということだ。・・・(中略)・・・・

 肉体生理の問題を軽視し、「食べているものがあなた自身である」という現実を置き去りにしてしまっては、いくら氣=意識の力の重要性を説いたところで不合理な精神論になりかねないだろう。(6月号)

「秘伝」6月号では、私たちの持っている蛋白質信仰の問題、腸をきれいにするためのファスティング(断食)のやさしいやり方が説明され、今発売中の7月号では、戦後の主流となった白米と肉食の問題や玄米の良さについて取り上げていて、とても参考になります。

 特に現代より、元禄時代以前、戦国時代の方が本質的にずっと「豊かな食生活」だった、だから宮本武蔵のような(今から見れば)超人的な運動能力、武田信玄や上杉謙信のような傑物が次から次へと現れたのだという仮説には唸らされました。

 長沼氏は、食にこだわる人にありがちは偏狭さはなく、むしろバランス感覚を大事にされる人のようです。これまでも食だけでなく、私が高く評価する高岡英夫氏など多くの論者、研究者をしっかりとフォローしており、ブログで取り上げています。

 昨今の身体論・武術論の世界では、けっこうリーダー的論者同士の仲が悪くて(陰に陽に)罵倒し合っているところが見られますが、そういう悪い意味での「おたく性」とは距離を置いているようにも見受けられます。

 氏のブログも最近よく見ていますが、本当に参考になりますよ。
 フリースタイル・ラボ

 ほとんどの人は実際に戦わなくても強くなくてもいいけど、食べることだけは逃げられないので、是非参考にして、できる範囲から実践してみましょう。

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June 21, 2009

水の身体

 宮本武蔵は『五輪書』の「水の巻」について、次のように「解説」しています。

 第二、水の巻、水を本として、心を水になる也、水は方円のうつわものに随ひ、一てきとなり、さうかいとなる、水に碧潭の色あり、きよき所をもちひて、一流のことを此巻に書顕はす也。

 この「水を本として、心を水になる也」とはどういう意味かを高岡英夫氏は『宮本武蔵はなぜ、強かったのか?』で、読み解いていきます。

 要するに「水を根本原理として、水というものが自分のあり方の根本的なベースになるようにしなさい」と説いているのです。
 これはまさに武蔵の身体論の土台ですので、これを読み違えてしまうと、『五輪書』全体を読み誤ってしまうわけですが、非常に残念なことに、これまでの『五輪書』の解釈はすべてここで決定的なミスを犯してしまっているわけです。p31

 決定的なミスとは、ほとんどのこれまでの読者がこれを、私たちが普通使うところの心、自我とかそのような心理的働きのことと思い込んで、「精神論的解釈」をしてきてしまったことだと高岡氏はいいます。たとえば「心を水のように清らかにしなさい」とかいった感じで説明するとか。 

 しかし武蔵は現代人ではないし、心理学者でもない、今でいう「アスリート」で、「殺し合いを含めた試合を行うアスリート」であるのだから、心の意味範囲が違うと考えるべきだという氏の意見に私は同意します。

 そんな身体運動のプロフェッショナルである武蔵が、「心」と書いた以上、それはあくまで身心相関、心身一如の「心」のことであり、身体から分離した単なる精神論であることはありえません。
 したがって、ここで彼が「心を水になる也」といっているのは、まず身体が水のような状態になっていることが大前提になっているのです。この大前提の役割を果たしている部分が「水を本として」です。p32

 では、身体が水のようになっている、とはどういうことなのでしょうか。
 端的にいって、身体が極限的にゆるんでいて、水のようなクオリティを持っているという状態だといいます。

 けして、筋肉を固め、力を込めたガチガチの状態ではない。

 私のやっている太極拳のような武術では、「身体とは固体ではなく、水の詰まった皮袋である」といった身体観が伝えられています。
 だからあのように脱力して柔らかく動く稽古をするのですが、それに非常に近い考えを武蔵が持っていたことに改めて驚かされましたし、私としては「武蔵と同じだ」と勇気づけられました。

 もちろん実力は雲泥の差ですが。

 この辺の本書での解読作業はなかなか読み応えがありますよ。

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June 16, 2009

アドラー心理学学習会開催!

 前回の続きで武蔵のことを書く前に、告知があります。

 山梨の仲間と隔月でやっているアドラー心理学学習会があります。

 今回は「親子関係セミナー スマイル」について、スマイルリーダーや受講者の方々のお話をうかがいます。

 関心のある方は是非ご参加下さい。

日時 6月19日(金)
    19時20分~20時50分

場所 ぴゅあ総合

問い合わせ スマイルネット山梨事務局まで

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June 15, 2009

「宮本武蔵は、なぜ強かったのか?」

 また面白い本が出ました。
「宮本武蔵はなぜ強かったのか?-『五輪書』に隠された究極の奥義」高岡英夫著,講談社

 剣聖・宮本武蔵が著したとされる「五輪書」。武道関係者のみならず、ビジネスマンなど世界中に愛読者がいるという日本を代表する「名著」です。

 しかし、私たちは本当に「五輪書」を、武蔵を理解してきたのだろうか?

 本書はゆる体操で知られる運動科学者・高岡英夫氏が、「五輪書」を通して真の武蔵像を明らかにしようという意欲作です。

 武蔵は実際どのような人物で、どのように身体を使って技を繰り出したのか、これまで私たちがテレビや映画、マンガなどを通して作り上げていた武蔵像がいかにステレオタイプで表面的だったかが本書を通してわかります。

 髪はぼさぼさ、ギョロ目で野性的な風貌、ぼろ布のような着物を纏い、二刀を振りかざしてカッとこちらを見据える気迫に満ちた表情。
 大河ドラマや人気コミック「バガボンド」だけでなくこれまで表現された全ての武蔵が同じ感じでした。
 その全てのルーツはいうまでもなく吉川英治の作品です。

「五輪書」は世界中で読まれているというし、武道研究者には必須の教養って感じなので、私も岩波文庫版を持っていますが、目を通しただけで全く読み込んでいません。
 正直よくわからない。日本の剣術やったことないし。

 高岡氏は、これまで多くの武蔵研究者や読者はもっぱら、具体的な戦術について説いた「火の巻」にばかり注目しがちで、他の最も重要な巻には目を向けてこなかったといいます。

 それは火の巻の前にある「水の巻」です。
「水の巻」にこそ、武蔵の心身の本質が著されている、しかし吉川英治始め多くの読者はここをうまく読み解くことができなかった。そのため、「強かったのだからこんなだったに違いない」「普通は一刀を使うのに、二刀を振り回していたのだから、腕っ節の強い怪力無双だったに違いない」と勝手な想像を巡らせてしまったのです。

 なぜなら、誰一人武蔵ほどの身体の動かし方のレベルに達していなかったからです。彼の意識状態になって、武蔵の目で、武蔵の耳で、武蔵の体で考えることができなかったからです。

 本書は名著「五輪書」を高岡氏と読書会をしながら読んでいるような気分を味わえ、新たな武蔵像と自らの身体への関わり方を振り返る機会となりうると思います。

 だからあまりネタバレ的なことはしたくないのですが、若干内容を次回以降取り上げます。

 

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June 10, 2009

振り込め詐欺犯はいるのか?

 前出の「日米『振り込め詐欺』大恐慌」は、これからの日本と世界の流れを読むには実に興味深い本なのでお薦めなのですが、では「日本の」振り込め詐欺は実際どうなっているのでしょうか。
 今日本中に振り込め詐欺が蔓延していて、被害者が続出しているといいます。
 会ったことないけど、そんなにニュースでいうならいるのでしょう。
 犯人もまったく捕まらないけど、きっと世界一優秀な警察は犯人の目星をつけているのでしょう。

 なんて思っていたら、副島隆彦氏はそれにもノンをいいます。

 振り込め詐欺と言うと、善良な高齢者を騙して、高額の金を銀行に振り込ませるという詐欺の横行のことだ。それは嘘だ。警察が勝手に作った権力詐欺だ。1年間に全国で50件もないようなチンピラたちの寸借詐欺をまるで大事件のように煽って金融統制に向かおうとする警察キャンペーン詐欺だ。一体、誰が「オレだよ、オレ。おばあちゃん。お金を振り込んでくれよ」というような幼稚な手口の「オレオレ詐欺」なんかに引っかかるというのか。日米の金融庁、財務省(官僚たち)こそは振り込め詐欺犯人だ。すべてアメリカに貢いで、日本国民の大切なお金を、振り込んでしまっているのだ。もう700兆円も振り込んでいる。アメリカ政府こそは、「ねずみ講」だ。振り込め詐欺の親玉である。こうして日本から奪い取った資金(700兆円)を、アメリカはもう1ドル(1円)も返さないだろう。

 確かにほんの一部の被害を元に日本中の銀行で、急に誰もがお金を出し入れするのに極端に金額を制限されるようになったのは、おかしなことでした。
 いつもは冷たい銀行や官僚がこのときばかりは、「やけに優しい」のは気持ち悪いと感じてしまいますね。
 誰もおかしいと思わなかったのだろうか?

 もしかしたら副島氏のいう通りかもしれない。

 ただ、被害者がいないかというと、私の周囲のクライエント、患者さんたちを見ていると正直「危ないな」と思わざるを得ないところもあります。

 情報の理解力、統合力のない人たちは断片的なことから、勝手に「事実だ」と思い込んで信じてしまうかもしれません。
 コミュニケーションの文脈が読めない人は、電話口で言われたことを字義通り本当だと思ってしまうかもしれません。
 聴覚的認知に問題のある人は、電話の声をよく吟味もせずに家族の声だと受け取ってしまうかもしれません。

 どういう障害かは言いませんが、そういう人たちは、確かに被害に遭いやすいとはいえそうです。
 普通の「健全な」人には信じられないほどの情報弱者というのはいるのです。

 そういう人は守らなければいけませんが、別に今のやり方が効果的なわけではないでしょう。

 変な「事件」ではあります。

 こんな考えが本やネットの方々から出てくると、いずれチンピラか誰かが数人、適当に犯人として捕まるかもしれませんね。見物です。

 

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June 08, 2009

「日米『振り込め詐欺』大恐慌」

「日米振り込め詐欺大恐慌-私たちの年金・保険は3分の1に削られる」副島隆彦著,徳間書店

 タイトルが秀逸。
 振り込め詐欺が「社会問題化」している中、真の振り込め詐欺犯はアメリカだと笑うに笑えない話。

 本書には、恐慌突入真っ逆さまのアメリカが我々日本人のお金を奪い取るためになしてきた様々の「手口」が暴露されています。

 オバマ大統領は2年で辞任し、世界は緊急の金融統制体制(預金封鎖)に突入する。

 日経平均は4,500円を割り込んで最安値を更新。金(ゴールド)も買えなくなるから、今のうちに金にしがみつけ!(帯より)

 この本は、アメリカの、日本に対する「振~り込め~、振~り込め~」の巨大詐欺の大きな構造を暴き立てる。このことに絞って書かれている。「日米(政府)の振り込め詐欺構造」について書いた本である。今からもっとアメリカによる日本国民の金融資産奪い取りは激しくなる。

 私たちはそのうち年金を3分の1に減らされ、若い世代は全くもらえなくなるだろう。日本国民の大切な資金がアメリカで強制的に運用され、そして吹き飛んでいるからである。今もアメリカが日本の官僚たちを脅して、毎年20兆円を貢がせるからである。前著で書いたとおり「日米抱きつかれ心中」である。追いすがるアメリカの手を振りほどいてなんとか逃げられないものかと、私は切歯扼腕している。いい策はないか。(まえがきより)

「アメリカは永遠に強い」と信仰してきたおバカな保守や「金融のプロ」の言葉にダマされてFXなどをして大損した主婦たちが青ざめるような内容ばかりで、著者の描く「暗い未来」に頭がクラクラしながらも、覇者たちのあっという間の凋落に「奢れる者は久しからず」という痛快な気分を味えるという、複雑な読後感です。

 今や副島隆彦氏は最近ビジネス関係のベストセラー常連ですね。
 なのにマスコミは徹底的に氏を無視しています。でも、売れるということに、我が国の読書人たちの「理性」「良心」がまだ生きていることを感じます。
 一度田原総一郎などと対決するのを見たいものだ。

 さて、ゴールドを買う金もない貧乏人の私はどうするか。

 取りあえず、国はあてにならない。
 武術や臨床心理学など学んできたことを活かして、健康な身体と多少は冴えた判断力、思考力を維持し続けることに努め、何とか生き残るしかないと考える今日この頃です。

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June 02, 2009

ナラティブ・セラピーを学ぶ

 5月30,31日、ヒューマン・ギルドでの「ナラティブ・セラピー入門」に参加。

 最近の心理臨床界のキーワードはエビデンス(科学的根拠)ナラティブ(物語性)、両者を知らないと時代に乗り遅れてしまう、という雰囲気があります。特に、エビデンス・ベースドはモダン科学主義なのに対して、ナラティブ・セラピーは、ポストモダン思想、とりわけ社会構成主義に基づいているだけに、私には興味がありました。

 しかし、いわゆるブリーフ・セラピー、ソリューション・フォーカスト・アプローチは技法重視で学びやすいのに対して、ナラティブ・セラピーは物語とか協同性とか魅力的な概念、考え方が目立つものの、本を読んで分かった気になっても、さて、実際どうすればいいのかとイメージしにくいところがありました。

 だから今回はナラティブ・セラピーを実践している方から学ぶチャンスとなりました。

 講師は、生田倫子先生(慶應義塾大学)。
 若手ではありますが、既に家族療法、ブリーフセラピーで数多くの論文、著書を出しており家族療法の総合サイト、家族心理COMも主宰されている心理臨床界では有名人であります。

 しかも美人。

 これは行かねば。

 ナラティブ・セラピー、社会構成主義のあれやこれやをここで短く論じることはできませんが、本ブログでも関心を持った本などを紹介してきました。「妖怪セラピー」冬休みの課題

 ナラティブ・セラピーの成り立ち
・ナラティブ・セラピー(Narrative Therapy)の「ナラティブ」とは物語という意味。
・よって物語療法とも呼ばれる。
・家族療法を起源とし、オーストラリアのホワイトとエプストンによって提唱された。

 ナラティブ・セラピーの狙い
・ナラティブ・セラピーでは、「問題」をシステムの構成員によって社会的に構成された現実、つまり「物語」であると捉える。
・それを新しく生産的な「物語」に転嫁すること、これがナラティブ・セラピーの狙いである。(当日資料)

 生田先生はとても切れ者で、博学、哲学の認識論から家族療法・ナラティブ・セラピーの理論へと進み、さらに綺羅星の如く輝く家族療法家たちの歴史へと説明を組み立てていく姿は、まさに一流の研究者の風情で圧巻でした。
 頭がいい人っていいな。
 ベイトソンの認識論など、私が若き日にはまった思想家の話など実に面白くてもっと聞きたかった(知らない参加者にはきっと訳の分からない話だったでしょうけど)。

 しかし臨床家としても一流なのは、事例や技法を紹介、実習するときの動き方でうかがえました。
 特に先生が臨床現場としてきたのは養護施設や荒れた学校のスクールカウンセラーだったそうで、私のフィールドとほとんど重なるので、話が通じやすかったです。

 今回技法として学んだのは、ナラティブ・セラピーの表看板、外在化

 問題をトラウマとか性格とか衝動性とか攻撃性とかといった「心の中のあるもの」として扱うのではなく、それにユニークな名前をつけ、キャラクター化して「外側にあるものとして」取り出し、それとどう付き合うかを考えてみるものです。

 読んだだけではわかりにくいでしょうが、実習してみると実に簡単で効果的で面白い!

 私は自分のある問題をイメージしたら、ずんぐりむっくりした大きな狸が丸くなって寝ている姿が出てきて、それに「ズンくん」と名付けて、ズンくんとどう付き合うかをカウンセラー役の方と話し合いました。
 それがすごく楽しくて、良かった。

 コツはつかんだから、今度やってみよう。

 以前から感じていましたが、ナラティブ・セラピーはアドラー心理学の考え方とほとんどピッタリ重なるもので、両立可能なだけでなく、さらにお互いをパワーアップさせる可能性があると今回確信しました。

 今後も学んでいきたいと思います。

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