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October 10, 2009

アドラー心理学Q&A

 秋の学会自主シンポジウムのレポートが終わったところで、その討論の時に出た質問に対する私なりの考えをしばらくここに述べたいと思います。
 教育、心理臨床両学会共、とても活発に質問が出されて議論が行われ、改めてとてもありがたかったと感じています。
 しかし、限られた時間の中で、私に向けられたものに十分に考えて答えることができなかったり、どうしても言葉足らずのところがあったので、改めて検討してみたい気持ちがあります。

 ここにあげる質問内容は、指定討論者の先生やフロアの先生がお出しになったものを、私の記憶で再構成したもので、それに対する答えも他の先生がおっしゃったものもありますが、私が同意したものとして私の理解を通して載せますので、誰が言ったとかではなく、全て私の自問自答的なものとして書かせていただきます。

 アドラー心理学の課題や将来について、議論のネタの一つになればいいと思っています。

Q.アドラー心理学では未来の目的論から考えるということだが、例えばADHDは器質的な問題といういわば「過去に生じた原因」が想定されている。アドラー心理学ではこのような問題にどのように考えているのか?
 一般の心理学の原因論とアドラー心理学の目的論を表裏のようにして統合させて説明することはできないか?

A.アドラー心理学でも器質的な影響があることを受け入れている。むしろ、歴史的に全てを「内面の問題」「親子関係の問題」など心や対人関係に原因を帰そうとしていた臨床心理学とは最初から一線を画していた。

「全体論」「器官劣等性」という基本前提や概念が、そういう器質や身体性の次元の重要性を持つことにつながっているのだろう。
 しかし、その器質的な特徴を持っているからといって成長して機械的にその子がADHDになるとは、アドラー心理学ではけして考えてはいない。

 大事なのは、そういう器質に対して、その人がどのように態度決定をしたか、その主体的決断(意識的にせよ無意識的にせよ)があると措定して「信じて」いるのがアドラー心理学である。
 これを「ソフト・ディターミニズム(柔らかい決定論)」と呼ぶ人もいる。

 初期のアドラー心理学では「劣等感の補償」と呼ぶ現象である。

 あるいは多動性や衝動性として現れる自分の体の特質という「ライフタスク」の問いかけにどう応えるかという問題といえるかもしれない。

 その主体的態度決定の結果、ネガティブな行動がなされると、診断的カテゴリーではその子がADHDと診断されることになったりするのだろう。
 アドラー心理学のライフスタイル類型でいうと、ADHD的な人全てが「エキサイトメント・シーカー(興奮を求める人)」になるわけではなく、「ドライバー(一位を目指す人)」や「ベイビー(依存的な人)」にもなり得るし、選択の可能性は限りなくあるといえる。

 したがって、生物学的原因論とアドラー心理学的原因論は質問にあるように、「個人の主体性・創造性」を起点にすれば、表裏のように統合することは可能であると思われる。

 この点で、最近の臨床心理学のアセスメント論では「生物心理社会モデル」を採用して人の心の問題や症状を説明しようという考え方が優勢であり、アドラー心理学とほとんど重なるものである。
 ただ、そこに「未来志向性・目的・目標の最重要性」は取り入れられておらず、それぞれの領域の所見をただ図式的な構造としてつなげているだけであるように見える。

 それは認知行動療法のような最新のモデルは、あくまで近代科学的因果論に基づいているが、アドラー心理学はあくまで現象学的、個人の主観的な視点を中心においているためと思われる。

 しかし、ただいまブレイク中の脳機能学者・苫米地英人氏の主張では、最新の認知科学や哲学でも「目標の最重要性」「時間は未来から現在、過去へ流れている」という考えが説かれているそうで、確認はしていないがそうであるなら、もしかしたらここでもアドラー心理学の視点は今でも世界を先取りしているといえるのかもしれない。

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Comments

心理学の専門的なことは分からないのですが、治療や回復を目的にする場合に限らず、自身の生活の質を高めながらより良く生きたいと望むならば、「未来志向性・目的・目標」は最も大切だと思います。

僕の場合、divertissemennt(=distraction=気晴らし・気の紛らわし)をしすぎると、空しさと同時に不安が襲ってきます。
また、具体的・現実的で「実行と達成・実現が可能な」目標地点と目的が見えないと、ゴールのないマラソンコースを走ってるような感じがします。これも「空しさと不安」の原因になります。なすべき仕事はしていても、精神的には「その日暮らし」となります。

ですから、僕も「目標の最重要性」を最重要として考えたいです。

大学生になった元予備校生たちと再会したりメール交信したりすると、
「塾・予備校の頃は毎日緊張感もあったし充実していた。授業も面白くて、勉強が愉しかった。
大学に入ったら、時間が漫然と過ぎてしまう日もある。退屈でつまらない授業もけっこうある。
受験生時代のバイタリティーと集中力を取り戻したい。
何かに自分を賭けたいと思うけれど、周りの緩慢な雰囲気に流されてしまう」
といった愚痴まじりの反省をもらいます。
自分の毎日の「生活と行動と努力」をどこに向けて、また何に焦点を絞り込んで統合したらよいのかが、未だ分からない状態にあるのだと思います。

可能性豊かな、若くて健康な学生たちの中にでさえ、その種の「空しさと不安」を感じている人がいるのですから、人がより良く生きて自分の生活と行動に充実感や満足感を持てるためには、「明日への構想(=未来志向性)と目的と目標」が必要欠くべからざる重要な要素だということが分かります。

自身の問題でもあるので、長々と書かせていただきました。
アドラーの勉強を進めて行きたいと思います。
taichiさんの記事に、いつも感謝しております。

Posted by: しんぷる | October 10, 2009 at 03:22 PM

 しんぷるさん

 いつもありがとうございます。

 目的がなければまさにゴールのないマラソンで、つらいものでしかないですよね。
 また、人生の意味もゴールがあるから生まれるのは間違いないと思います。

 若いときは私もそうでしたが、そのゴール探しに苦労しました。ゴールを見つけることが当面のゴールでしたかね。

 しんぷるさんがお付き合いする若い人たちも、何かいいものが見つかるといいですね。

Posted by: アド仙人 | October 10, 2009 at 11:16 PM

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