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February 15, 2010

愛着、恥、劣等感

 再び最近の北米アドラー心理学界誌から。

 Distinguishing the Holistic Context of the Inferiority-Superiority Striving : Contributions of Attachment and Traumatic Shame Studies

    Alexander H.Smith

 トラウマと劣等感を論じた興味深い論文です。
 アブストラクトです。

The recnt literature on taumatic shame and the literature on affct regulation and the modulation of feeling states through a caregiver have converged with the study of developmental attachment.These emperical trends can be viewed as consistent with the Individual Psychology concepts of social interest,infeiority-superiority strivings,and lifestyle.An integration of these common principles has application in Individual Psychology-orinted psychotherapy.This paper explores the infeiority-superiority striving found in the patient`s lifstyle,snd the more clinically resistant ,often hidden aspects of shame.Additionally,considerations are made about psychotherapy as an experience of increased social interest that reduces the effects of shame.

 乳児期から幼児期にかけて虐待などを受けて、トラウマを抱えた子どもは、心に「恥」の感覚を抱くといいます。
 恥shameというと他人からバカにされて恥ずかしい思いをすることをイメージしますが、ここでいう恥はもう少し深い感覚をいうようです。

 乳幼児期に人の安定的な心理的基盤である愛着の形成が阻害されると、自分が世界に居場所がない感覚や無力感、見捨てられ感を抱き、いたたまれない感覚を持ちやすいでしょう。それが恥となります。そうすると健全な自己概念が育ちにくくなってしまいます。
そのような「恥」の感覚を持った人は、他者への関心、つまり共同体感覚の発達が疎外されやすいと考えられます。

 著者はアドラー心理学と力動的心理療法を専門にしている人らしく、トラウマから生じる愛着と恥の問題をフロイト、ボウルビイ、ウィニコット、コフート、ユングらの論とアドラーのライフスタイル論を比較しています。

 著者は、子どもは養育者との愛着関係から基本的世界観が形成されるという内的作業モデルinternal working modelとアドラー心理学のライフスタイル論はよく似ていて、一致しているところが多いと考えており、同様の見解はアメリカの他のアドレリアンからも出されています。
 私も確かにそう感じています。

 そこでまた愛着形成の失敗による恥の感覚はアドラー心理学の劣等感という概念ともつながるように見えます。どちらも「自身の不完全さ」の感覚が根底にあるからです。

 過度の劣等感や恥の感覚を持つと人は、自己概念が歪み、世界に対する信頼感が弱く、非常に不安定なパーソナリティーになることは容易に想像できます。

 しかし一方でアドレリアンである著者は、トラウマによる恥の感覚とアドラー心理学でいう劣等感は相通じるところはあるものの、本質的に違う次元のものであり、区別するべきであると考えているようです。

 トラウマによる恥の感覚を持つと人は心理的に動けなくなり、世界から引きこもる方向にいってしまいがちになるのに対し、劣等感は人が人であるが故に根源的に持つ「不完全さの自覚」であり、より積極的に世界に働きかけていこう、マイナスからプラスの状態に向かおうと駆動させるものだからです。アドラー心理学ではこれを「優越性の追求」といいます
 劣等感の本質は全体性の追求(It is a part of the human dynamism of wholeness-seeking.)なのです。
 だから、両者は本質的に違うものだといいます。

 したがって、治療者はトラウマによる恥と劣等感を分けて見るべきだという主張します。

 アドラー心理学でいう劣等感は一般の人や普通の心理学者がいう劣等感と意味されるものが違うことが、トラウマと混同されたり、やや混乱を招くことにつながるのを危惧しているのかもしれません。

 少し長い論文で内容的にも難しく、私の理解に足りないところが多いかもしれませんが、虐待問題に長く関わってきた者として、興味深い内容でした。

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