« 縄文震動:田中泯と中沢新一に会う | Main | 幕末土佐と甲斐の縁 »

March 13, 2010

千葉佐那は甲府に眠る

 大河「龍馬伝」では、千葉道場の「鬼小町」、坂本龍馬の許嫁といわれる千葉佐那(子)を貫地谷しほりちゃんが演じています。
 しほりちゃんは、「風林火山」で山本勘助の妻をやったときに注目して、それからすっとファンです、おじさんは

 しかし坂本龍馬の女といえばおりょうとされていますが、龍馬と別れて以後の千葉佐那の晩年は意外なほど寂しいものだったそうです。でも、そこに山梨と縁があったことはあまり知られていません。

 実は、佐那の墓は甲府にあるのです。
 甲府市朝日町にある清運寺というお寺に眠っているのです(ちなみにそこは私の元職場・山梨県中央児童相談所の側です)。

 なぜ、江戸にいた佐那の墓が甲府にあるのでしょうか。

 龍馬が許嫁の佐那を離れてから京で活動してついに暗殺され、明治維新になると、武士階級、特に幕府側や江戸の武士たちは急速に没落していきます。
 名門北辰一刀流の千葉家も例外でなく、父定吉や兄重太郎が没後孤独の身となった佐那は、結婚もせず家伝の鍼灸で細々と独りの生活をしていました。

 しかし腕はなかなかのもので、「千葉の灸」として県外にまで名が知られていたそうです。
 山梨・甲府にいた小田切謙明という自由民権運動に身を投じた政治家・実業家(この人もなかなか面白い人ですけど、いずれまた紹介します)は持病を治すため、佐那の元にわざわざ通っていました。

 小田切謙明は、最初の佐那との出会いを「人品卑しからぬ老女」と思ったそうです。どこか普通の女性と違う品格を備えた不思議な人だと思った謙明が生い立ちを聞くと、佐那は、
「私は、剣の千葉家の娘です」
 と答えました。謙明はあの千葉道場の娘かと知って驚きました。おまけに、
「私は、坂本龍馬の許嫁です」
 と佐那は言うので、さらに仰天したのです。

 実は明治の半ば、今と違って坂本龍馬は一般の人から完全に忘れ去られた存在でした。なんと誰もその名を知らなかったのです。だからもし謙明が普通の人だったら、「だから何だ?」と素通りしたことでしょう。

 しかし自由民権運動家だった謙明は、その指導者、土佐の板垣退助から、「自由民権の思想の始まりは坂本龍馬だ」という話を聞いていたので、龍馬の名を知っていたのです。
「あの龍馬先生の許嫁がこんなところに・・・」
 そこから小田切夫妻と佐那の交流が始まります。

 残念なことに佐那を発見した謙明は明治26年4月に病で死去してしまいます。

 しかし謙明の妻豊次(とよじ)と佐那は、夫の死後、お互い独り身で気が合ったのか佐那は甲府に来て、数年を豊次と暮らしました。
 その時、二人がどのような会話をしたのか記録は残っていませんが、佐那は龍馬の思い出話をしたのかも知れませんね。

 しかし佐那は明治29年(1896年)10月15日死去します。享年58歳。甲府で亡くなったという話もあります。

 佐那が無縁仏になることを恐れた豊次は葬式をあげ、清運寺に遺骨を持ってきて、小田切家の墓の横に佐那の墓を作りました。

 その墓碑の表には「千葉さな子墓」、裏には「坂本龍馬室」と彫られています。室とは妻という意味。
「自分は坂本龍馬の妻である」という佐那が一生涯貫いた一途な思いを、友情の証として豊次が後世に伝えようとしたのでしょう。

*以上のストーリーは、「山梨発見塾」という場で作家・岩崎正吾先生から聞いた話をもとにしたものです。岩崎先生には記して感謝します。

|

« 縄文震動:田中泯と中沢新一に会う | Main | 幕末土佐と甲斐の縁 »

Comments

へえ~!いいこと教えてもらいました。
これで「龍馬伝」いっそう楽しめます。
ありがとうございました。

Posted by: | March 13, 2010 10:29 AM

 蕪さん

 歴史の陰の側面を探ると、人間の縁の不思議さがわかって面白いですね。

 佐那のお墓参りに行ってみたいです。

Posted by: アド仙人 | March 13, 2010 10:51 AM

Post a comment



(Not displayed with comment.)


Comments are moderated, and will not appear on this weblog until the author has approved them.



TrackBack


Listed below are links to weblogs that reference 千葉佐那は甲府に眠る:

» 千葉佐那は甲府に眠る [葬儀葬式]
[Read More]

Tracked on March 13, 2010 05:04 AM

« 縄文震動:田中泯と中沢新一に会う | Main | 幕末土佐と甲斐の縁 »