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July 22, 2010

「気功 その思想と実践」

 気功法に長く取り組んでいますが、これは一体どういうもので、どう表現するかをずっと考えてきました。

 21世紀の臨床心理学の一つの流れは、明らかに身体性、全体性の方向に向かっています(もう一つの本流はエビデンス志向)。
 私自身、今も試行錯誤ですが、気功を物理・生理科学や心理学の言語に翻訳しないで、正面から気を論じることも必要だと最近思うのです。

 つまり、「気はある」という前提で話を組み立てるということです。

 なぜなら気功に関する生理心理学的研究はもう多々行われており、なんらかの変化、現象は身体や脳に起こっていることだけは確認できているからです。
 しかし、その現象を要素論的に解説するだけでは、気についてわかることは少ないと思うのです。

 しかし、いきなり漢字満載の中国医学風ではかえってわかりにくく、とっつきにくくなってしまいます。
 かといって、あまり単純に効能書きみたいなのばかりでも、浅い感じがしてしまいます。

 気功の本質や思想をわかりやすく、学問的レベルを落とさず、実践にもつながる良書を探していました。

「気功 その思想と実践」廖赤虹、廖赤陽著,春秋社

 はそのニーズに応えてくれるものでした。

 以前書いた記事「老荘思想とひきこもり2」でお会いした廖赤陽氏が著者の一人なので、期待して読ませていただきましたが、期待通りでした。

 気功の本質は東洋的全体論思想に基づかないと理解できないこと、気功の形の意味、呼吸法の意味、気功の意識とは何か、気功修練の諸段階、そして気功とこころ、など重要な内容が次々と論じられています。

 わかりやすい言葉で、中身の濃い議論がなされています。
 私には、私がこれまで学んだ気功と廖氏の気功は流派的には違いますが、本質的にはまったく同じであることが実感できました。

 そして最後に著者は「オフィスで仙人になれ-練習は日常生活から始まる」と日常生活での「悟り」の生活を気功で得るべきと、日々の気功を勧めています。

 仏教の言葉でこの世界を娑婆という。苦しいことと楽しいことの両方あるからである。地獄ではあまりにも苦しくて修練する余裕がなく、天国では悩みがなく修練する気がおきないそうである。この娑婆世界こそ修練にいちばんよい場所なのである。  p205

 私も既に仙人を名乗っているので、その名に恥じぬようにしたいものです。

 これから気功や気を考えるときに、本書も随時引いていこうと思います。

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