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October 19, 2010

「山上敏子の行動療法講義with東大・下山研究室」

 行動療法は私にとって常に参照する臨床心理学の方法です。
 といっても山梨に行動療法の専門家はどうも見当たらないので、多少県外の講座やワークショップで学んだだけで、後はほとんど独学に近いのですが。
 それでもある程度はできてしまうのが、このアプローチの良いところで、科学性、再現性の高さといえるでしょう。

 逆にいうと「思想性」がないともいえます。著者も言うとおり行動療法は特定の理論というより技術の集成に過ぎないのですから。
 あえていうと「徹底的行動主義」という科学主義、操作主義の権化があり、これは無制限な人心操作につながり得る「危険思想」だと私は思っていますが、現実には「心やさしい」臨床家や療育者がその思想だけで動いていることはないでしょう。
 おそらく個々の臨床家の良心とか社会常識、学会の倫理規定とかに委ねているのでしょう。
 ただ原子力と同じく、行動療法が科学技術である以上は、高度な思想性や倫理性はそれ自体の中には存在し得ないのです。

 では実際の最高の行動療法家はどのように考え、技法を使いこなしているのか、それを知るのに絶好の好著が出ています。

 山上敏子・下山晴彦著「山上敏子の行動療法講義with東大・下山研究室」金剛出版

 東京大学の下山晴彦先生の研究室に山上先生をお呼びしての連続講義が本になったものだそうです。
 だから臨床心理士を目指す若い学生たちに、行動療法のエッセンスを伝えようとしているわけです。

 一読して、すごく良かった。

 噛んで含めるように、まさに親鳥が雛に餌をやるような感じで、実にやさしく、わかりやすく解き明かされています。

 本書の冒頭で山上先生の姿勢が語られます。

 私の話は臨床の話です。「臨床」の話は、生きていることの話です。生きている私たちの話ですから、理論がまずあってそこから臨むというより、本当にそのときそのとき、アドリブの連続になるわけね。そのときそのときに対応していくなかで理論ができていくものです。これがこうだと決まったものがあって、その決まった通りに事を運ぶようなものではありません。なので、治療者はいつも頭をぐるぐると働かせながら、「・・・・こうあって、こう言って、こうして・・・・」「・・・・これはどういうことなのだろうか・・・・」というように、イメージしながら、感じながら・・・・そして行うものです。

 どんな事例に対しても先生がとても柔軟に対応して、相手に合わせて技法を駆使する様子がうかがわれます。

 本書では行動療法の要諦とは、「すべての精神現象を刺激-反応の連鎖で具体的にとらえる」ことといいます。
 その刺激と反応の連鎖でとられた精神活動の単位を「行動」と呼び、それらの連鎖は多重的につながり、グルグルと循環し続けています。

 だから今の行動療法では、行動とは、昔の心理学の教科書にあったような「客観的で目に見えるもの」だけではなく、思考や認知やイメージ、身体感覚のような目に見えないものも含められています。

 だから普通の人がいう「行動」とは全く意味範囲が違い、ほとんど精神活動と同義であり、私には行動という言葉さえ不適切な用語だと思います。

 本書におけるその「行動」の記述の仕方は、まるで家族療法のシステム論であり、私がアドラー心理学で学んだ発想にとても近いものだと思いました。 

 具体的な「刺激-反応」の取り方、ひきこもりや強迫症状を例にした治療の進め方、初学者からの質疑応答など実に懇切丁寧に説明されており、本書を読むだけで臨床力はアップするかもしれません。
 私には本当に良かった。

 お薦めです。
 

 

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Comments

反応の連鎖でとられた精神活動の単位を「行動」とするとは、知りませんでした。(素人だから当然か)
しかし、精神活動も行動に含めれば客観的観察は不可能でしょうし、科学的ではなくなるのではないでしょうか?そのあたりどうなんでしょう。

Posted by: 素朴な疑問 | October 20, 2010 at 08:57 PM

 素朴な疑問さん

 そうですね。ごもっともです。
 ただ、私に聞くより著者に問い合わせるか、本書をお読みください(笑)。

 多分、主観的であっても体験することを観察して、きちんと定義し、記述すること、数値化できることはすることが大事なんだと思います。
 論理的一貫性と現象の予測とコントロールができれば科学として十分なのだと思います。

Posted by: アド仙人 | October 20, 2010 at 10:43 PM

コメントありがとうございます。
本書は私には高価なので図書館に入ったら読もうと思います。「現象の予測とコントロールができれば科学として十分」だと思いますが、科学によって予測できない現象がカオスという概念として知られるようになりました。人間の心なんてカオスそのものではありますまいか。予測とコントロールにはあまり重きを置く必要ようにも思えます。行動療法というのはコントロールが好きなようですが(某ブログによる)。

Posted by: 素朴な疑問 | October 21, 2010 at 09:00 PM

 素朴な疑問さん

 おっしゃるとおり、行動療法はコントロールが好きなようですね。
 ただ本書の著者は相手に合わせて当意即妙、即興的に動ける人のようで、現場ではそういう人が「臨床力が高い」といわれます。

 また、人の心全てを扱う必要はないので、症状や問題をコントロールするのは意外とできないことではないと思いますよ。一見カオスでも、性格とか認知には、ある秩序(個性)が必ずあるからです。
 その辺が臨床心理学の理論になります。

 心理学一般としては、コントロールとは完璧に動かすという意味ではなく、数多くのサンプルを集めた上で統計的に決定される「確率」のことだと思います。だから集団の中のある程度の「幅」の中でのコントロールという意味になります。
 マーケティングや世論調査みたいなものが、代表的ですね。

 細かいところはともかく、本質的には貴方の洞察は当たっていると思います。

Posted by: アド仙人 | October 22, 2010 at 12:06 AM

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