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November 08, 2010

勇気と気

 5日のテレビ東京「たけしのニッポンのミカタ」に諸富祥彦先生が出て、うつ病予防のキーワードに「共同体感覚」が必要となにげにおしゃっていました。あと、オタクの心がうつを防ぎ心の健康に良いという新(珍)説も披露されてましたね。でも、「武術オタク」「臨床心理学オタク」の私にはすこぶる納得の話でしたな。
 とにかく猪木オタクの諸富先生のはじけぶりがすごかった。

 その共同体感覚が仏教の縁起と通じるとは前記事で紹介した「仏教とアドラー心理学」で取り上げられたところですが、アドラー心理学の理論や発想は全体に東洋思想との親和性、接続性が良いことは確かです。

 アドラー心理学のキーワードのひとつ、勇気づけもそうだと思います。

 アドラー心理学にとって勇気とは、人生の課題やリスクに取り組もうとする意欲や活力で、勇気づけとはそうなるように相手を援助することですが、普通勇気づけについて説明するときは、心理学の動機づけ的用語や「こういう言い方をしてみよう」というスキル的な話になることが多いと思います。
 それはもちろん大事なことです。
 そうでなければ伝わりません。

 しかしまた、勇気づけには別の側面があるという考えも知っておいてほしいと思います。
 もともと勇気づけの原語は英語では「エンカレッジ」、ドイツ語では「エンムート」というそうですが、カレッジは「ハート」、「ムート」は活力のニュアンスがあるそうです。
 エネルギーという感じですかね。
 勇気づけは、相手に生きるエネルギーを与えること、「活を入れる」ということに通じるのですね。

 だから猪木みたいに「元気ですかー!」と叫んだり、ほっぺたをはたかれるのも確かに勇気づけになり得ます。実際、諸富先生みたいに猪木に叩かれて勇気づけられた人は、たくさんいるようです。

 ここはつまり東洋的にいうと「気」ですね。そういうしかない。気を育てる、気を与える、気を通じさせるのが「勇気づけ」の目的でもあり、プロセスでもあるという考え方が成り立つのです。洋の東西を問わず、勇気づけのニュアンスが同じなのは興味深いところです。

 その気に意識的に特化して高めようというのが気功や武術の鍛錬法としてスキル化しているのが、東洋的アプローチの特徴でしょう。心理学では、どうしても言語的コミュニケーションが中心になります。

 いずれにしても、相手が自分の思い通りになるように操作することではなく、また症状や問題がなくなることだけでもなく、相手が「生き生きと活力に満ちた状態になる」ことを願って行う働きかけが勇気づけだと思います。

 そのためには身体性を重視する発想は不可欠です。

 しかしそれは近代科学としての心理学の枠をはみ出すことでもあります。
 西洋近代の心身二元論にどうしても依拠する心理学は、「行動」という外側か「動機」という内側か、どちらか分けるところから始まるからです。その両方を足しても全体には達しないと思われるのですが。
「まず、全体をとらえよう」という視点が大切なのです。

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