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December 13, 2010

「FLOW 韓氏意拳の哲学」

 拳とは何か、動きとは何か?
 武術思想の究極の思考の一つがあります。

尹雄大著・光岡英稔監修「FLOW 韓氏意拳の哲学」冬弓舎

 中国武術の最高峰、意拳の極意的思考が詰まった本です。

 意拳とは、近代中国武術最高・最強の達人と評価される王薌斎(おうこうさい、1886~1963)が自らの修行の果てに到達した境地であり、気功法であり、拳法です。
 私の学ぶ形意拳はその意拳の源となった古いタイプの拳法といえます。

 本書はその意拳を継ぐいくつかの流派の中でも、最も王向斎の教えに近いとされる韓氏意拳の考え方を解説した本です。

 意拳は伝統武術に特有の「型」がありません。こう敵が来たらこう守る、こう攻める、といった約束事がありません。站樁(たんとう)と呼ばれる今でいう気功の姿勢をじっと取り続けるという練習をします。その意味では、革新的でありながら極めて伝統保守的です。
 型を廃しても、空手やテコンドーのような西洋スポーツ化や格闘技化には行かず、けして武術の本分を忘れず、ひたすら真の強さを求め続け、武の真実を追究するという実にストイックな武術です。

 どんな敵が来ても「スタスタと歩み寄るだけで、触れた瞬間に勝負が決まっていた」という圧倒的な強さを示した王薌斎が言った言葉。

「私の動きは中国が4千年の間に育んだ老荘、仏学といった思想、哲学を体現しているだけで、だから負けることはないだろう。もし私が敗れることがあれば、歴史が覆されることになる。しかし、私が負ける日が来ても、それはそれで素晴らしいことだ。なぜならこれまで積み上げてきたもとのより、さらに素晴らしいものが存在する証なのだから」

 中国武術のエッセンスがここにある、だからけして破れることはないという強烈な自負と意思は、王の慢心ではないと著者は言います。よく「最強」を自称他称する武道家や格闘家みたいに「私は強いから敗れない」と主張しているのではないと言います。

「私」とは4千年前からいまに至るまで連綿と続き、総称として「中国」と呼ばれるものを表現した何かでしかない。王の言う「私」は、いわばそういうもので、それは決して現代人が思うようなセルフイメージに縮小されてしまう自我ではなく、「私」は私よりも大きい世界を表す仮借の手段でしかない。

 それでいて、4千年という時空をまるごと身体を通じて表現する能力を「私」は持ってもいる。そのことのほうが大事なことで、自分の能力を最大に発揮したとき世界を表象する力は宿る。そう彼は言っているのだろう。p17

 この記事を読んでいる人は、「何を言っているんだ?」と訳がわからないかもしれません。私もわかっているわけではありませんが本書を読んで、これは「武術の哲学書」であり「奥義の中の奥義」だと内容のレベルの高さに感嘆しました。素晴らしい考え方だと思いました。

 しかし、これは紹介するのが実に難しい書です。文章としては簡潔でわかりやすいのですが、人が感覚の極まった状態で自然に現れる動きについて語ろうとしているので、内容はけしてわかりやすいとはいえません。

 それでも武術や武道、格闘技、スポーツなど身体運動に関わる人にとっては実に刺激的な文章が次々と立ち現れてきます。共感するにせよ、反発するにせよ。

 折に触れ少しいくつか記していきたいと思います。

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