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December 08, 2010

ジョン・レノンが聴けない

 今日はジョン・レノンの命日だというのに、最近は聴く気が起きない。
 ここ数年この時期はずっとそうだったのだが、今年は一層そんな気がする。

 いや、1人で聴く分にはまだ感慨があるのだが、寂しいというか虚しい気分にもなります。
 さらにテレビなどからImagineなんかが流れてくると何か鼻白むというか、嫌悪感的なものがわき上がってくるのです。

 そんなゆううつな気分にピッタリフィットした記事を書いてくれたのが、「世に倦む日日」の記事。
 その通り、本当にその通り。

 今日はジョン・レノンの30回目の命日。あれからもう30年も時間が経った。ネットでは微かにアニバーサリーの情報が見えるが、マスコミや業界は冷淡と言えるほど扱いが靜かで、ジョンに関心と尊敬を寄せる層が高齢化している現実を窺い知る。おそらく、ジョンの30回忌に何かを企画して世に問うべき者たちが、業界の第一線から引退を始めているのだ。若い世代はジョンやビートルズをよく知らず、当時の時代の空気を肌身で感じて育っていない。精神のカーネルの中にジョンの要素がない。ジョンの思想的影響という点からすれば、あくまで一般的にだが、若い世代はそこから自由と言うか、もっと言えば、ジョンの思想性については、自分とは無縁で異質なものとして、対立的な対象として、遠い過去のものとして捉えているだろう。「左翼」という否定的な観念と表象が被せられて、嫌忌的な存在として意識しているかもしれない。本当に、世界はジョンの理想や思惟からは遠い地上となった。ジョンの思いや願いが人の心に届かず、人の心に共有されない現世になった。世界は通信と情報のテクノロジーで繋がり、とても小さな界隈として一つに縮まったにもかかわらず、人と人の心が通い合わない空間になっている。金儲けと弱肉強食の論理だけが支配する、「グローバリズム」のプロトコルで人と人が関係する無機的な世界になっている。それは、ジョンの意志や希望とは敵対的なものなのだ。愛のない世界だ。  

 今、12月8日を迎えても、ジョン・レノンの曲を聴こうという気になれない。昔は、25年前は、ニュースステーションの天気予報でバックに「Happy Christmas」が流れただけで、次の日もその次の日も、楽しく幸福な時間を送ることができる自分がいた。12月になると、「Stand by me」の生ギターのイントロが頭の中を流れ始め、弦をガシガシと爪弾く音を追いかけて、まるで上野駅に足を運ぶ啄木のように、師走の雑踏のイルミネーションの間をそぞろ歩くという具合だった。ジョン・レノンが風物詩になって空気が包まれる12月が楽しかった。ジョンと共に送り過ごす師走の日々に充実感があった。今は違う。浮き浮きとした感じがない。12月の定番の曲を聴く心になれず、それに抵抗と躊躇を感じる自分がいる。それは何故かと考えるに、いろいろな理由が思い至るけれども、一つには、自分の心の持ち方だけでなくて、世界の全体とか周囲の問題があるはずだ。もっと直截に言えば、本当に現代人は、ジョンの曲を聴いて「いい」と思っているのだろうかという懐疑がある。きちんと聴いているのだろうか。「Imagine」とか聴いて、素朴に共感したり、感銘を受けたりしているのだろうか。そういう人々が、あのマスコミの世論調査の回答をしたり、今年の参院選の投票結果を出したりするものなのだろうかと、そういう気分になるのである。

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