日本にリーダーはいたのか
今回の震災・原発事故を通して、私を含めおそらく多くの人が感じたのは、日本にはこういう非常時のリーダーがいない、ということではないでしょうか。
この時点で管直人はリーダーとして明らかにミス、不合格なのは異論がないでしょう。
より厳しい見方をする人なら、こいつの判断ミスや軽挙妄動がなければ、原発がこれほどの事態にはならず、福島県民の多くが難民みたいにならずにすんだのだから、「犯罪的だ、腹を切れ」と責めるのは当然です。
私も武道家としては、もう管首相は負けを認めて「腹を切るべきだ」と思います。
それがサムライとしての「勇気づけ」です。
どうも私たちはこの10年以上、日本のリーダー選びに失敗続きだったような気がします。
そう感じている人は多いんじゃないかな。
あまりに軽薄にマスコミに乗せられすぎた。
そもそも日本の首相は本来の意味でのリーダーなのか、という疑問が前から私にはありました。
よく巷のリーダーシップ論でいわれるリーダー像に当てはまるのは、ある程度独立した、目的を持った組織である企業や団体、スポーツチームなどであって、日本の首相は本当はリーダーなんて立派なものではなくて、官僚と宗主国・アメリカとの間に立つ「中間管理職」に過ぎないのではないかという感じがしていました。
つまり私と同じ立場ね。
中間管理職としてもそれなりのリーダーシップは必要だろうけど、真のトップに立つ者としてのリーダーシップ論がそのまま当てはまらないのではないか。
中間管理職は、私のようなところでも、一応小なりといえ部下もいて、彼らのマネージメントや動機づけもしていきますが、結局のところ組織のパート間の調整や上部からの意思伝達機能が優先し、そのコンテキストの中でといった立場です。
もちろん大事な立場ですよ。
でも最終的な意思決定者、責任を取る立場ではないし、取ってはいけない。
そのため優秀な中間管理職はある程度、官僚的体質というか、前例主義、調整型、保守性を持っているはずです。職種によって多少は違うと思うけど、若者が選ぶ「理想の上司像」とは少々違うのではないかな。
おまけに日本の首相は実は日本国民が選ぶのではなく、前段階でアメリカ政府に「次はお前やれ」と決定されていると噂されています。
多分そうなのでしょう。
その後で我々はうまいことマスコミに乗せられて選ばさせられるか(小泉純一郎)、勝手に内部闘争でリーダーになってしまう(麻生太郎や管直人)かで、うっかり本気になってリーダーシップを発揮するとにつぶされる(田中角栄や小沢一郎)ということなのでしょう。
管直人のダメさ加減は、中間管理職がいきなり、リーダーシップを求められたところにあるのでしょう。要するに器ではなかった。
でも野心はあったんだろうな。
所詮二流の男は、危機の時には馬脚を現し、つらいなあ。
私個人が緊急時のリーダーシップの必要性を学んだのは、1995年の地下鉄サリン事件・オウム真理教事件の時のことでした。当時私は山梨の児童相談所の若手心理判定員でした。オウム真理教の実体がわからず、社会全体が騒然となっていた4月上旬、赴任したばかりの所長が、私にとって非常時のリーダーの最高のモデルとなりました。
その所長は行政職だったのですが、前任地は消防学校の校長を務めていました。つまり今回の原発事故の放水で活躍した消防士たちを作る学校のトップだったのです。
ちょっと話すとただの元気な田舎のおじさんでしたが、危機管理と危機対応、トップダウンの意思決定の重要性を理解していた人でした。
児童相談所に来たのは全くの偶然だったのでしょう。しかしこれが前代未聞の案件を処理するに絶妙の人事配置となりました。
あの時、山梨の児童相談所がオウムの施設にいる53人の子どもたちを保護したニュースを覚えている人はいるかもしれません。
まだ虐待防止法ができるずっと前で、前代未聞の宗教団体からの強制的一時保護を迅速に決定し、指揮したのはあの所長がいたからこそできたと今にして思います。
今、私たち日本人は本当のリーダーを求めています。
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