中沢新一、深沢七郎を語る
前記事のとおり、中沢新一さんの深沢七郎への思いは大変強いもので、「自分にとって(深沢七郎は)思想形成、人格形成において大変大きい存在」と言っていました。
それはまさにお二人、そして私自身や聴衆のほとんどの人たちがそうであると思われる、甲州人の気質の本質に関わることでした。
それは甲州が日本中の他の地域に比べて縄文時代にかなり直接的に接続するような土地柄で、深沢七郎はその精神をなぜか汲み取る能力を持った人らしい、というのが中沢さんの主張です。
甲州に今もあちこちの辻に残る丸石神は道祖神として各地域で祀られていますが、どうもそれは甲州の各地に残る縄文遺跡の石の状況にルーツがあるらしい。それは天皇中心の神道の神々がやってきて浸透するはるか前からある、日本の神の原風景ともいえるものです。
先ずは講演の要旨を新聞から引きます。
中沢さんは、日本の近代文学が高度な発達を遂げつつある時代に深沢七郎が突然現れ、多くの作家、読書人に衝撃を与えたと指摘。その理由として「七郎の文学には、近代の意識とは異なる精神構造が平然と存在し、しかも作品に描かれた『庶民の世界』が、どこにもインテリめいた要素がなく、そのまま自分を語り出していた」点を挙げた。
また「深沢作品に表現されている人間の、モノの考え方、世界の感じ方、生死についての考え方を見ると、この根っこは大変古いもので、人類の普遍性につながるもの」と分析。七郎の「庶民像」を作り上げたのは縄文時代からの文化を連綿として継続させてきた甲州の土壌であり、「それが近代文学に出現するという奇跡的なことを起こし得たのは深沢七郎が天才だったからでしょう」と話した。(10月18日山梨日日新聞)
中沢さんによると、縄文からつながる文化、精神の流れは日本の他の地域では鎌倉、室町時代に途切れてしまい、さらに江戸時代の藩の政治で近世文化が発達して大方なくなってしまいました。
しかし甲州は江戸時代の一時期を除き、幕府直轄地の天領で左遷されたような役人が天下ってくるような土地で、彼らが仕事はろくにしないで遊ぶので芝居や博打が盛んになる土地になった。つまり近世化が十分になされずに、つい最近まで縄文からの連続体の意識を人々は保持しており、「未開の心」を持っていた。深沢七郎はその精神をそのまま表現したのではないか。
中沢さんが東大の大学院で人類学を学んでいたころ、都会出身の多くの仲間は遠くの島の未開人の研究を読んで驚いていたが、中沢さんは、これはまるで近所のおばさんたちのことではないかという思いにとらわれたといいます。
私もとってもよくわかる・・・。
明治以降の日本の文学者は田舎から上京することで、生まれた土地から分離し、それから自分のルーツを問うという「外からの観察者」になることで作品を生み出してきた。自然主義とか。
深沢はそのような分離は経験しないで、直接土地の精神を作品に表すことができた稀有な人だったらしい。
そのためまさに近代意識そのものの三島由紀夫は大変な衝撃を受けた。三島は近代人でありながら日本固有の意識、思想に戻ることを考えていたが、深沢がいとも簡単にそれを成し遂げていることを怖れたのではないか。反対に三島はインテリ臭くて、深沢は三島を評価しなかったようだ。
一方、小林秀雄は深沢について「逃げ回ってばかりででたらめ」を書いていたらしい。
深沢七郎の本質をつかんだのは、武田泰淳、正宗白鳥、井伏鱒二くらいだとのことです。
このように日本のインテリの意識を無化する「野生」が深沢七郎にはあった。
おもしろいことにヨーロッパで最初に彼を評価し翻訳したのはハンガリーだった。ハンガリーはアジア人であるマジャール人が入ってきてできた国だ。ハンガリーにも姥捨て伝説みたいな話が残っていたらしい。ハンガリーや東ヨーロッパでは深沢は理解されるかもしれないが、西ヨーロッパでは難しいかもしれない。
とまあこんな内容だったかな。
「野生の心」「未開人」であることを甲州人は恥ずかしがることはないし、また日本文学で誰一人としてなしえなかった精神の有様を表した深沢七郎を誇りに思うべきだ、と「未開人で野蛮人」の私は思ったのでした。
山梨県立文学館の深沢七郎展は11月6日までやっています。
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