自己肯定感とは?
前記事で紹介した「ほんものの『自己肯定感』を育てる道徳授業」(明治図書)の冒頭で、諸富祥彦先生が自己肯定感とはどういうものかを説明しているところがあって、さすがとてもうまく整理されていて参考になったのでここにも引いてみます。
諸富先生によると、自己肯定感には3つの層があるとしています。
「比較的浅めの自己肯定感と比較的深めの自己肯定感、そして深い自己肯定感」です。
「比較的浅めの自己肯定感」とは、「自分にはいいところがある」「自分で自分のいいところを知っている」「自分は自分のことが好きだ」という気持ちのことです。
このレベルは自分で自分のことをこう思っているということで「自己認知の次元における自己肯定感」といえます。
自分の長所を長所として認めるところは、自己否定感の強い人よりはよいのですが、あくまでそこで留まってしまい、「自己主張は強いけれど、耐性が低く、すぐにキレて他者を攻撃していく子ども」になりがちです。「ボクできるよ、ほらすごいでしょ!」と自分を見てというメッセージが強くなってしまうのです。
面白いのは、このレベルにいる人は、自分の良いところを認めることはできるので、自己肯定感アンケートとか自尊感情尺度みたいな質問紙調査には高くなりがちだということです。質問紙で測れるのはあくまで「自己認知レベルでの自己肯定感の有無」でしかないからです。だから、以下の二つの自己肯定感を質問紙等の手法で測ることはなかなか困難になります。
「比較的深めの自己肯定感」とは、
「自分では、ダメなところ、欠点だと思っていたところも、違った視点から見ると、いいところになる、と気づく気持ち」です。「自分でダメなところ、欠点」⇒「実は、自分のいいところ、よさ、持ち味」という「視点の転換」が起きることによって生じる自己肯定感です。
カウンセリングでいう「リフレイミング」や「よいところ探し」みたいな、ものの見方を変えるて、ものごとの肯定的な側面をより多く見つけていく体験をすることで獲得されます。
そうすることで、心の苦しみから解放され、新しい一歩を踏み出せるようになるかもしれません。
では「深い自己肯定感」とは何か。
自分の「こころの闇」や「暗い衝動」までも、自分の大切な一部として受け止めていくことができる、そうした「ほんものの自己肯定感」です。・・・(中略)・・・
生身の普通の人間にできることは、こうした醜い気持ちや汚れた気持ち、自分の「こころの闇」や「暗い衝動」の存在をただそのまま、あるがままに認め、「そうした汚れた気持ち、醜い気持ちもこの私にはあるけれど、そんな私でも、存在していいんだ」という「深い自己受容」の行為でしょう。
自分にあるものをただそのまま受け入れ、肯定していくということでしょう。確かにそうだなと思います。
では、どうすれば、そんな深い自己肯定感を得られるか。
そしてこうした「深い自己肯定感」を育てるには、日常の人間関係の水準を超えて、超越的な視点を持つことが必要になってきます。「大いなるいのちとのつながり感覚」や「人間を超えたものへの畏敬の念」の育成が不可欠なものであることがわかってきます。
トランスパーソナル心理学やプロセスワーク、ホリスティックワークなど、スピリチュアルな観点を含んだ心理学の活用が必要になってきます。「より大きな自己」や「大いなるいのち」の観点から、自分自身を見つめ直すような、そんなエクササイズが必要になってきます。自分を離れた視点から、自分自身を見つめ直す、という「脱同一化」の視点が必要になってくるのです。
まさにアドラー心理学でいう共同体感覚が深まり、広がっていくことといってもよいと思います。
これらの自己肯定感の3つのレベルはどれも重要であり、その時々の目的に応じて対象として考えていくべきものと思われます。
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