根源的感覚としての気
前掲の春木豊著「動きが心をつくる」(講談社現代新書)は、高岡英夫先生のゆる体操を弛緩系の運動の一つとして挙げていたり、日常使う体に関係のある言葉(頭にくる、腹が立つなど)を「からだ言葉」としてその意義を紹介したり、また後半には先生考案の具体的なエクササイズを紹介したりと、高岡先生の発想とかなり共通しているところがあります。
著者独自の見解として前記事のとおり、レスペラント反応という概念の提唱がありますが、これがいわゆる「気」と関係すると考察しています。
レスペラント反応は体と心が重なり合うところにある反応ですが、人間全体を理解するときに必要な次元の概念(本書では精神、身体、自然、社会、行動の5次元を提唱)が収斂するところであり、それが「気」であるといいます。
そこで本書では、気を人間のさまざまな側面を成立せしめている「統一的な根源としての概念」としておきたい。気が万物の根源として理解するのが本来であると思われるが、ここでは人間の身体、精神、行動などの根源であるとしておきたい。p161
今まで述べてきたように、身体の次元は物質としての体と心を含む身に分けた。精神の次元は体を含む心と、体をまったく含まない純粋な精神としての例とに分けた。そして行動はレスポンデント反応とオペラント反応とに分けた。
さらに各次元は、一つに収斂していると考えた。その収斂点が「気」であることに注目していただきたい。ここで示した人間の全体像は、換言すれば深さを含んだものである。行動の次元、身体の次元、精神の次元は人間の深みにおいて、気として一体となり、融合されていると考えるのである。p162
一見難しいようですが、おそらく気功や武術関係者なら理解できる発想と思われます。
では、もう少し具体的な表れとしてはどういう風なものか。
それが起こるのは、心の根源的、原初的な状態として気分・感情と身体の感覚反応系が相互に交わるところ(相即の関係)と考えられます。
そこで、体と心を結び付けている根源的要素は、感覚と気分であると考えられる。動きと体と心とはレスペラント反応、感覚、気分において、人間の根底で結ばれ、一体となり、融合していると考えるのである。
さらに付け加えるならば、ここでいう感覚はいわゆる五感というよりも、さらに根源の感覚としてのレスペラント反応によって起こされる身体感覚(体性感覚)が重要であると考える。p168レスペラント反応は、感覚、気分は一つに融合したものであって、分けることはできない。p169
心身一如という言葉は昔からいわれてきたが、体と心のみを観念的に捉えている限り、一如にはならないと思われる。そこに動きを挿入することによって、可能になると考える。すなわちレスペラント反応を実行して、気感を経験することによって心身一如を体感できるのである。
すなわち心身一如は論理によって到達することではなく、実践による直接経験(体験)によってのみ知ることができることなのである。p169
ここで運動と身体感覚(体性感覚)の重要性を取り上げているのは、高岡英夫先生はじめ昨今の身体論の論者と共通しています。その辺を比較研究してみたいものです。
実践的どうすればよいかというと、体と心と動きが気として融合、一体化しているところであるので、「この領域のワークはレスペラント反応(反射/意志的反応)を実行すること p170」といいます。
レスペラント反応を対象にして、働きかけ、その心身への作用を体験することになります。
特にレスペラント反応が生じるのは、「呼吸、筋反応、表情、発声、姿勢、歩行、対人距離、対人接触 p167」の領域です。ここを鍛える、操作できるようになること、またそのための感受性を磨くということになります。
これはまさに武術・武道の扱う領域そのものではないか!
内田樹先生は武道の意義を「能力の開発」と説いていますが、稽古とはまさにそのレスペラント領域を対象にして、操作できるようにするものといえるでしょう。
そしてカウンセリング、心理療法でも非常に重要な「隠れた次元」ではないかと考えられます。
大変示唆に富んだ書でした。
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