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February 19, 2012

心理療法は政治である

 昨年末に急逝された高橋規子先生(ブリーフセラピーやNLPの達人)の遺作となった「ナラティヴ、あるいはコラボレイティヴな臨床実践をめざすセラピストのために」(八巻秀先生との共著、遠見書房)で、最も印象に残ったところを引用します。

 心理療法やカウンセリングはいろいろな語られ方、説明のされ方をしていますが、高橋先生は、この特殊なコミュニケーションは本質的にある種の権力作用でもあり、政治行為であると指摘しています。

高橋 何がオルタナティヴで何がドミナントなのかが決まってくるプロセスは本当に政治的行為ですよ。

八巻 そうか。私はその「セラピーというのは政治的行為なんだ」というセリフにちょっと嫌悪感を持っていたんですが、ちょっと今ので変わりました。

高橋 でもそれはマイケル・ホワイトが前から言っていることです。それは多くの人々の言説が集まることによって優位になっていくという仕組みですから、これは政治ですよ。それで優位になればなるほど反対意見は劣等に扱われ押しつぶされていく。なので、いわゆるマイノリティにいる人の声というのは無視され、貶められ、本来言説としては同等のはずなのに政治的な力関係によって扱われなくなる。そういうことが社会的には普通に起きているわけで、それと同じことが個々の人々にも起きている。当然つながっているものですから。ですから、彼女の困りごとは政治的困りごとなんですよ。

(中略)

 多くの場合セラピーは異議申し立ての場であって、自分の主体性言説を回復する場ですよね。自分の主体性言説がドミナント・ストーリーにのっとっている人はセラピーに来る必要はないわけでしょう。自分の主体性言説がドミナント・ストーリーからないがしろにされている人がセラピーに来るわけです。だとしたらなんとしてでもオルタナティヴ・ストーリーの種を発掘して、それを一緒に語ることによって育てないとならない。そして育てたものを定着させるべく、より分厚い記述をしていかなければならない。とまあこいうことですかね。 p136

 私も全くその通りだと思います。

 悩みや困りごとはその人の「内面の問題」や「性格の問題」ではなく、社会の支配的な考え方(ドミナント・ストーリー)に自らも支配された「政治的問題」であるというのは、セラピー空間を変に閉じないためにもとても重要な視点だと思います。

 治るとは、ドミナント・ストーリーにもう一度支配され直すとか、適応させるというのとは本来は違うでしょう。しかし実際は往々にしてそういうところがあったり、期待されているところがあるかもしれません。

 私がアドラー心理学を気に入っているのは、その点で、なかなか素晴らしいオルタナティヴ・ストーリーを用意してくれているところで、しかも各人の実践上の自由度が高いところだと思います。つまり、一応の目標(共同体感覚の育成)はあっても、そこに至る間口や道筋は多様であることを認めていると思えることです。
 でも「これが絶対の路線だ」と言い始めると、アドラー心理学も変なドミナント性を持つことになるでしょう。その結果「こっちが本物だ、そっちは偽物だ」と言い出したりします。私はこのような動きを「カルト・オブ・アドラー」と呼ぼう。

 セラピーを考える上に、重要な示唆を与えてくれた故高橋先生に感謝します。

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