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March 09, 2012

「災害ユートピア」

 3.11が近づくにつれ、関連したいろいろな番組や書籍、情報が流れています。私も個人的にいろいろな思いがわいてきます。

 震災当初、人々の落ち着いた整然とした行為、穏やかな振る舞いを「さすが日本人は素晴らしい」と讃える海外の報道があったとかで、大和魂とでもいうのか、日本人の良いところが出たとされました。ほめてもらったのですから、それはそれで確かに誇りに思ってよいのですが、実はこのような災害時における人としての優れた振る舞いは何も日本人だけでの専売特許ではなく、むしろ世界中で普遍的に見られることらしいのです。
 真の危機の時、けして多くの人は群集心理とかにやられて無分別、暴力的な行動は取ったりしないで、助け合い、いたわり合い、整然と行動するのです。

 そしてそれらは、相互の共通性の認識もなく、「さすがはアメリカ人」「ドイツ人は立派だ」「イギリス魂は不屈だ」とかそれぞれの民族の優秀性を称賛する言葉になっていったらしい。

 以前から気になっていて手に取ったのがレベッカ・ソルニット著「災害ユートピア-なぜそのとき特別な共同体が立ち上がるのか」亜紀書房。
 巨大、強烈な災害、事故直後に生じる、人々の暖かく協力的な連帯の様子が非常に詳しく調査され、報告されています。

 2009年の出版なので、当然今回の震災は入っていませんが、20世紀だけでも世界中にこれほどの出来事があったのかと先ずそれに驚きました。そして、そのいずれにおいても、悲惨で命がひっ迫している状況にもかかわらず、いや、だからこそ人々の高貴な行動が一部ではなく、あらゆるところに現出したのです。

 本書で証言として登場するのは多くは無名の市民の記録ですが、中にはアドラーなどとの同時代人、心理学の先駆者であるウィリアム・ジェームズもいます。サンフランシスコ地震に遭遇した彼は、こう証言しています。

「(地震当日の)昼になるころには、動ける者は全員が活動していた。全体的な狼狽というものは見られなかったし、、度を越した興奮や会話もほとんど見られなかった。…身体的な疲労と真剣さのみが、彼らの顔から読み取れる内的な状態だった。過去と未来が残酷に遮断されたにもかかわらず、そして慣れ親しんだ物からすべて切り離されたにもかかわらず、誰もが陽気に見えた。規律と秩序はほぼ完ぺきだった」p86

 本書ではこのような事例がたくさん、具体的に描写されています。
 著者はこういいます。

 地震、爆撃、大嵐などの直後には緊迫した状況の中で誰もが利他的になり、自身や身内のみならず隣人や見も知らぬ人々に対してさえ、まず思いやりを示す。大惨事に直面すると、人間は利己的になり、パニックに陥り、退行現象が起きて野蛮になるという一般的なイメージがあるが、それは真実とは程遠い。二次大戦の爆撃から、洪水、竜巻、地震、大嵐にいたるまで、惨事が起きたときの世界中の人々の行動についての何十年もの綿密な社会学的調査の結果が、これを裏付けている。けれども、この事実が知られていないために、災害直後にはしばしば「他の人々は野蛮になるだろうから、自分はそれに対する防衛策を講じているにすぎない」と信じる人々による最悪の行動が見られるのだ。1906年の大地震により破壊されたサンフランシスコから、2005年の水浸しになったニューオリンズまで、相手は犯罪者で、自分は風前の灯だった秩序を守っただけだと信じる、またはそう主張する人々により罪なき人々が殺されてきた。やはり、何を信じるかが重要だ。p11

 文芸評論家の柄谷行人氏の新聞書評で的確に述べられている通り、この危機時の心性は人間の本質にかかわることであり、まさにその意味はアドラー心理学で主張する共同体感覚なるものが、人間の潜在的可能性であり本質的なものであるということを例証していると思われます。

本書において、災害は自然災害だけでなく、戦争や経済危機などをふくんでいる。いずれの場合も、災害は新たな社会や生き方を開示するものだ。ニカラグアやメキシコでは、それが社会革命につながった。人々は自然状態では互いに敵対するというホッブズの政治哲学が、今も支配的である。だが、それは国家的秩序を正当化するための理論にすぎない。災害後の「ユートピア」が示すのは、その逆である。国家による秩序がある間他人を恐れて暮らしていた人たちは、秩序がなくなったとたん、たちまち別の自生的な“秩序”を見いだす。それは、他人とつながりたい、他人を助けたいという欲望がエゴイズムの欲望より深いという事実を開示する。むろん、一時的に見いだされる「災害ユートピア」を永続化するにはどうすればよいか、という問題は残る。しかし、先(ま)ず、人間性についての通念を見直すことが大切である。

「他人とつながりたい、他人を助けたいという欲望がエゴイズムの欲望より深い」とはまさに共同体感覚のことでしょう。

 素晴らしいのは日本人だけでなく、人そのものといってよいと思います。

 しかし、これに対して、為政者、権力者たちの示す態度は好対照で、本書では「エリート・パニック」と呼ばれます。
 つまり普段偉い人ほど、この危機事態に対応できず、判断が混乱したり、「大衆がパニックになる!」と勝手に恐れて不適切、時に破壊的な行動をとってしまうというのです。予測不能の事態に、自分たちの権力基盤が脅かされるとでも思い込むようです。本書でもその悲惨な例がいくつも報告されています。
 まさに今回も原発事故などで、日本の権力者たちにその「事象」が見られたのではないでしょうか。
 そういう点では、エリート・パニックも普遍的で、管首相だけの問題ではなかったのかもしれません。

 3.11の1年後の今も災害ユートピアは続いているのかわかりませんが、あまりにも大規模だったためか、今も懸命に熱心でクリエイティブな支援活動や復興の努力はなされているのを散見するので、きっとそこかしこにまだ生きているのかもしれません。

 しかし、全体的にはエリート・パニックは収まって、今は災害を利用して権力者が盛り返そうと、例えば復興増税などの「ショック・ドクトリン」に流れているような気がしてなりません。

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