与太郎を受容する社会
5月9日の山梨日日新聞に荻野アンナさんのコラムが出てました。地方紙だから通信社が全国に配信しているので、山梨以外の人もご覧になれたかもしれません。
「落語の世界から学ぶ 与太郎を受容する社会」というエッセイなのですが、落語に関心があってフランス語に訳したり、実際に落語家に弟子入りしようとまでした荻野さんが、落語の江戸の世界で「活躍」するおっちょこちょい、うっかり者、いい加減に生きている与太郎のような登場人物が今の社会では実に生きにくくなったと嘆いています。
現代の社会では、与太郎のみならず、八五郎も熊さんも、長屋のヒーロー連中が一人でも近所や親戚に居たら、大抵の場合、かなりの迷惑をこうむるはずだ。
迷惑もシャレのうち、と余計者や半端者を受け入れた社会はすでに過去となった。今なら与太郎の母は、彼を叔父に任せる代わりに病院に連れて行くだろう。
仕事熱心な医師によって、アスペルガー症候群、ADHD(注意欠陥多動性障害)など難しい病名がつきかねない。哀れな与太郎、薬漬けだ。
同様の発想で貧乏長屋の面々を検証すると、家賃滞納による立ち退きで住人がゼロになる。乱暴者の「らくだ」など、恐喝、窃盗、傷害と軽犯罪が折り重なる。
昔も今も「らくだ」は嫌われ者に違いない。フグに当たって死んだと分かると、長屋の隣人はうそぶく。
「よくフグが当てたねえ」
この正直さは今なら「不謹慎」と糾弾される。言語化できない「不謹慎」は雪崩を打って「2チャンネル」に流れ込む。「2チャンネル」が満杯で長屋がカラでは、落語にオチがつかない。オチつかない世の中、ということで。
荻野さんがおっしゃるように、落語の愛すべき登場人物たちが今ならアスペルガー、ADHD、または軽度知的障害、境界レベルの知的能力者であろうということは、けっこう以前から専門家や関係者は認識していることで、割と話にも出てきます。私も全くそう思う。
むしろ専門家の方が一般の人より診断名にこだわらず、その人の実像をとらえているところがあります。
一方で今は、こんな風に「医学化、心理学化」することがいいんだか、悪いんだかわかりませんが、こうでもしないと救えないところもあるのです。
普通の人は、発達障害は大変なものだ、こわい、わけがわからない、なんてネガティブなイメージを持っていることもあるので、こうやって古典落語とつながるところを示すことで、彼らとの付き合い方をイメージしてもらえたらよいと思います。
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僕は、自分に欠点・短所があるように、すべての人に欠点・短所があるんだ、と素朴に考えます。
どんな人に対しても、あるがまんまのその人の個性を認容許容し、こういう人なんだ、と受け止めて理解受容するようにしています。
自身に危害や損害を加えないかぎりです。
しかし、僕の認容許容範囲から大きく外れた場合には、その人を回避してしまいます。
自分のキャパシティで認容も理解もできないだけかもしれません。
それにしても、福祉も医療も発達していなかった昔のほうが、庶民たちの共生共存の知恵と感覚が(まさに共同体感覚が)豊かだったとは、すこし皮肉な事実ですね。
隔離方策とか棲み分け対策には疑問をかんじますが、すべての人に快適に暮らす権利があるとすれば、いたしかたないかもしれません。
僕自身も、高校の教員にもなれず、大学の教員にもなれない与太者人種ですので、マイノリティの人権や自由・幸福について、アメリカ社会をモデルベースにして勉強しているところです。
長くなって、すみません。
この記事に、感謝しております。
Posted by: 行動 | May 11, 2012 11:02 PM
行動さん
落語の世界のように余裕をもって生きたいものですね。
Posted by: アド仙人 | May 12, 2012 10:52 AM
今度、三枝亭二郎さんの落語を職場でお願いする事にしました。
ふと、
「フーテンの寅さん」はどんな病名何だろうと思いました。(笑)
Posted by: 吉川 | May 12, 2012 11:49 PM
吉川さん
寅さんは困ったら家出するので、回避性人格障害の気味があるかもしれませんね。
Posted by: アド仙人 | May 13, 2012 06:24 PM