石橋湛山に憧れる
昨日8日のNHK・Eテレ「日本人は何を考えてきたか」に石橋湛山(と吉野作造)が取り上げられていました。
姜尚中東大教授がレポートしていました。
それで、先月の記事「池田清彦先生に会う」で、ホテルの喫茶店の隣の席に姜先生を目撃したことを書きましたが、なんで先生があそこにいたのかがわかりました。
きっと、山梨出身の石橋湛山の取材に来ていたのに違いありません。番組と同じ服を着ていたし、ホテル(甲府富士屋ホテル)のすぐ側に、番組に出ていた御崎神社(湛山が後輩に思いを語った場所として)、甲府第一高等学校(湛山の母校)があるからです。
両方とも私にとってなじみの場所です。御崎神社は小学生のころよく遊んだところで、甲府第一高校は私の母校でもあります。要するに私のホームグラウンドですよ。
番組に出ていた校長室に飾ってある湛山の書「Boys be ambicious!」も直に見たことがあります。
高校時代よく校長先生が、
「石橋湛山先生は、うんたらかんたら・・・」
といかに偉かったかを滔々と喋っておられてすべて忘れてしまいましたが、実際、石橋湛山はすごい人だったと改めて知りました。
戦前の情報統制の厳しい中、ジャーナリストとして帝国主義・日本の欺瞞を暴き、「植民地を返すべきだ」と主張したり、戦後は政治家として総理までなりながら、アメリカの言うなりになるべきではないと自主外交を主張し、中国との国交回復の道を探ったり、「日中米ソ平和同盟」を主張したりと、今から見ても素晴らしい活動をした大人物でした。
私なりに写真や活動の様子から見ると、湛山は相当の「肚」「丹田」の人であったと推察できます。不動の信念と行動力が同居し、なおかつ荒ぶることなく落ち着いた柔らかいたたずまいが感じられるからです。
番組では日中国交回復の交渉前に病床の湛山を見舞う田中角栄の写真が出ていました。
番組を見て、私にも政治思想なるものがあるとすれば、無意識のうちに湛山の影響があるかもしれないと気づきました。湛山の発言、行動にいちいち納得し、思い出すことがあるからです。
高校と大学の後輩の末席ながら、先輩・湛山を誇りに思うばかりです。
それにしても、総理になったばかりの湛山が病に倒れなければ、後の日本はこれほどひどくはならなかったのではないかと思えて仕方がありません。
総理の後を継いだのが、湛山の政敵、妖怪・岸信介であったのだからなおさらです。
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石橋湛山ですか、半藤一利の本で読みました。理念を持った政治家という感想を持ちました。そして非常に的確な国際政治の情勢分析ができていた。未だに稀な政治家でしたね。石橋湛山が生きていれば戦後の日本も違っていたというのは、たぶんその通りだと思います。ただ石橋湛山だけがいれば解決したかというとたぶん違って、国家と国民の意識が石橋湛山に追いつかなければならず、そうならなかったので結局いまの日本になったのだと思います。後世からの評価として早過ぎた政治家という気持ちがしてなりません。
Posted by: 八雲 | July 09, 2012 05:13 PM
八雲さん
そうでしょうね。
うちの親父もずいぶん湛山を好きだったり、実は上の世代で慕う人はあの時代多かったようです。むしろ今よりもラディカルに考える人が多かった時代ではありました。その点でも牽引車になれる人だっただけに、残念です。
ちなみにタイミングの良すぎる湛山の病には、以前から謀略の影の噂もありました。
これ以上は妖しくなってなんですからお会いした時にお話ししましょう。
Posted by: アド仙人 | July 09, 2012 06:34 PM