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September 09, 2012

臍下の一点

 稀有な武道家・藤平光一師の始めた心身統一合氣道では、ヘソ下の一点に意識を集めることを強調して、「臍下の一点に心をしずめる」ことを最重要課題としているようです。「動じない」(王貞治、広岡達郎、藤平信一著、幻冬舎)で藤平信一師は簡単に説明しています。

 臍下の一点に心が静まっていると、姿勢は安定しています。・・・・臍下の一点に心が静まっている正しい感覚を得たら、その感覚を維持して動くことを訓練します。臍下の一点の位置に器があり、その器には水が張ってあるとしましょう。上体に力みがあり意識が上がっていると、上体から動きます。すると、器は傾いて水はこぼれてしまいます。水をこぼさないように、臍下の一点から動くと、どのような動きをしても、どれだけ激しく動いても、姿勢が乱れることはありません。p82

 それは「臍下の一点主義」といってもよいほど徹底しているようです。

 実際に東洋的鍛錬の世界でよく言われるのは「臍下丹田」で、ヘソ下の下腹部に丸や球体のものがあるかのように意識させることが多いように思います。いわばエリア、ゾーンの感覚です。

 それに対して臍下の一点は「点」であり、そのことによるメリットがきっとあるのでしょう。
 私がちょっと真似してみた感覚では、丹田では意識する範囲が広いために、位置の感覚がブレたりあいまいになったり、意識化しすぎてしまう難しさがあるのに対して、こちらは「点」なのでそこにあるという感覚が得やすく、しかも点とは無限小のものとして実在と非実在の両面があり、意識化と無意識化の往ったり来たりがしやすいと感じました。つまりやりやすいのです。ほかの人はどうか知りませんが。

 一点さえ押さえればよいというシンプルさが、多くの超一流のプロ野球選手やアスリートに学ばれている理由なのでしょう。
 実際それで顕著な変化が現れているのだから、ある意味で予測と行動の制御ができているわけで、これはこれで科学性があるといってよいと思います。

 問題は、実際の人間の潜在能力の開発には臍下の一点だけで必要にして十分なのかということです。藤平光一師の言うように、他は要らないのか。

 おそらく臍下の一点を強調し、その感覚を開発することで、他の身体意識や感覚や能力が連関して変わっていくということなのだろうと思います。

 運動科学者・高岡英夫氏は、藤平光一師の臍下の一点主義を、「上達論上の教え」と著書(「合気・奇蹟の解読」ベースボールマガジン社)の中で言っており、実際の藤平師の能力はもっと多様であると解説していましたが、臍下の一点とは上達したり、教えていくうえでの最低限の要点としてのもので、実際に開発され、言語化可能なものがまだたくさんあるのだと思います。

 それを藤平光一師は「シンプル・イズ・ベスト」の発想から、あるいはそれ以上の言語化に対する抵抗感や時代性(「言葉は要らない、見て学べ」みたいな文化)から、臍下の一点を強調されたのかもしれません。

 本書のとても興味深いエピソードを読みながら、そんなことを考えました。

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Comments

私の間違いかもしれないので、確認したいのですが

臍下一点(せいかのいってん)って
体表上のへそ下三寸の部分ではないですよね。

口伝えの説明では
うっかりそのように解釈してしまいがちですが、

実際には背面仙骨の上端中央あたりから
体幹前面のへそ下三寸部分とを結ぶ線の中央ぐらい

身体の内部の中心点というか
「太陽神経そう」あたりというか

私はずっとへそ下の体表面の点を
イメージしていました。
前のめりの感じでした。

気功の先生に言われて気がつきました。

言葉で読んだり聞いたりして
自分で思い込んでしまい
自分の解釈を改めて尋ねないので
そのままになってしまっていました。

 知足不足さん

 直接習ったわけではないのでわからないのですが、体表ではないと思いますよ。
 いわゆる「臍下三寸」だと思いますが、本書でも説明してますし、藤平光一師自身の著書でより詳しく書いてありますが、「腹に力を入れて力の入らないところ」、という言い方をされています。

 光一師は解剖学的な言い方はしていないようですが、鼻先と臍下を一致させるという禅の教えは体表面に丹田が来てしまうので間違いと著書と言って、眉間からまっすぐ下に降りていくライン上といった言い方だったように記憶しています。腹部の内部になりますね。

 意識の世界の話だから、位置に関しては諸説ありますね。

 

>眉間からまっすぐ下に降りていくライン上

なるほど、これならば体表ではなく内部ですね。
多くの方が、多分勘違いされているのではないかと
思います。

お調べいただきありがとうございました。

はじめまして。

時々勉強させていただいております。

臍下の1点について

光一師は著書では、
臍下の具体的位置、高さ、体表か中か、等場所を詳しく聞いてい来る人もいるが、それは意味がない。
感覚で自得するものだ、というような感じで述べています。

一方、
後継者の方からは私は体表、としっかり直接聞いたこともあります(初心向けにわかりやすく伝えていたのかもしれません)。

 ばびぼ

 情報ありがとうございます。

 この問題はいろいろな見解がありますね。みんな近いところにいるのは間違いないですが。

 外部から見ると、この流派はどちらかというと論理的な厳密さよりも、感覚的な納得の仕方を重視しているような印象ですね。

お久しぶりです。 コロナ禍の中で、陽性者数=感染者と表記するおかしな風潮には納得がいきませんね。PCR検査も信用できないと知り合いの医師は述べています。

臍下の一点は姿勢によって位置が移動する一点だといううことを書き忘れておりました。

中期の教えでは胡坐のときは前に出した足の中間地点。
現在は、立位と正座は恥骨のすぐ上あたり、椅子座と胡坐は恥骨から下がった床の上になっています。

また
後継者の藤平信一師範に聞いたところ、臍下の一点は体表で臍下丹田とは違うとのことでした。  

体表前面にある軸の通過点や落下点的なものなのかもしれません。

立位では
脚のつま先を結んだ一点に重みがかかっていると思えという教えもあります。

そして前傾したりしたときはまた、その位置もより前方にかわります。     

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